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Qui a écrit le document ? - 怪文書『女性差別的な文化を脱するために』の中の人

オープンレター『女性差別的な文化を脱するために』は怪文書です。呉座勇一先生のアカデミアからの追放を求める内容であるか否か?等の文面解釈の議論以前に形式的に決まることです。執筆者が不明なのです。

ひょっとしたらオープンレターというものの性質かもしれません。一揆の傘連判状のように、誰が先導者(言い出しっぺ)か不明にする方法なのかもしれません。それこそ言い逃げを狙ったものなのか?個人的には怖くて手を出せません。

であれば,その良し悪しは別として「オープンレター」一般が怪文書だということになります。公式上は発起人全員が共同執筆者ということになるのでしょう。しかしながら,従兄弟同士の2人,プロット担当のフレデリック+文章担当のマンフレッド=エラリー・クイーンのような,誰が主導するということもない,まさに共同制作のoutputと考えるのは,18名(当時 ※その後礪波亜希先生が離脱)という規模からも,各人間の距離からも非現実的です。少なくても発起人の1人である津田大介さんが自身は文書作成に無関与であることを認めています。1人,せいぜい2人が原文を起草し,他の発起人のチェック(この作業には多少の加筆が含まれ得ます 程度の差こそあれ実質的にも執筆者となります)を経て発表という手順と考えるのが現実的です。

與那覇潤先生が,誰がどこを担当したか明らかにされてないことで文責の所在が不明になっているとの問題意識から、歴史学者ならではの,資料に基づいた,起草者の推理を披露されておりますが,私自身は,発起人1人1人が全文に責任を持っている,換言すれば文書の任意のパートに関して各自に文理解釈の説明を求めることは横暴ではない,と考えます。しかし今問題にしたいのは責任論ではなく,物理的に(?)誰が起草したのかということです。

ここでterminologyの確認:文書作成の順序ベースであれ貢献量ベースであれ,その筆頭が「起草者」であり,「執筆者」はその上位概念(つまり,執筆者群の中心だった方が起草者)とする ー これは一般的な語用と思いますが,当の発起人=公式上の共同執筆者はここは区別してませんね。

しかし私はあくまで中心的執筆者として「起草者」を用います。

発起人の1人である北村紗衣先生は,18名の発起人の中で小宮友根先生を「中心」と形容しています。

北村@Cristoforou先生と私は長きにわたり相互フォローだったことは既に述べましたが,小宮@frroots先生とも(確か)2011年から今に至るまで相互フォローです。当然tweetもずっと拝読してきました。「中心」の意味するところは不明ですが,起草者の候補の1人として検討に値することは間違いありません。2021年3月23日の以下のtweetは,追って4月4日発表にされるオープンレターの序盤とそっくりです。

物議を醸しているオープンレターですが,その理由は呉座勇一先生のアカデミアからの追放を求める内容であること(但し内容以上に発起人に北村紗衣先生が含まれていることがより決定的)のみならず,twitterでの「呉座事件」と無関係なトピックがわんさか詰め込まれていることです。

後半になって突如登場する「マイノリティ」に始まり,「在日コリアン」「歴史修正主義」「慰安婦」「トランスジェンダー」
… 本件と何の関係があるの? 

特に女性差別発言もなく,男女問わず攻撃していた呉座氏の事件はそもそも性差別との紐付きさえ怪しいのですが,オープンレターの大義名分を受け入れるとして(※性差別案件か否かは本稿の論点ではない),ではなぜ「マイノリティ」問題として扱いうるのか?世の中の半分以上が女性ですよ。
在日コリアンやトランスジェンダーと女性一般を同列に語るのはあまりに乱暴です。発表当初からその点からの批判の声はあったようですが,何よりそれらもまた呉座事件と関係のない話題です。

こうした唐突なトピックの登場は,文章としての質の低下とタイミングが重なっています。後半から読みにくい,主語が不明な悪文になるのです途中で書き手が変わっていることが伺い知れます。

文章の暴走 - ここに起草者のヒントがあります。人は目立てる場を与えられれば,日頃からの持論を披露したがるものです。暴走は誰もが犯すにしろその方向=トピックの選択に個性が出てしまいます。そこでそんな話を始めるのはあなたならでは!という。

こうしたトピックを常日頃頻繁に話題にする方が発起人におられます。

「トランスジェンダー」 twitter blog
「在日コリアン」 twitter blog
「マイノリティ」 twitter blog
「歴史修正主義」 twitter blog
「慰安婦」 twitter blog

呉座事件の「マイノリティ」差別問題への該当を所与としてすら,なぜその話になるんだ?という究極の唐突トピックが「歴史修正主義」と「慰安婦」です。小宮先生は2008年3月からの14年近くのtwitter活動にていずれも話題にしてません。

「歴史修正主義」 

「慰安婦」
他のトピックを語る文脈での2014年1月の1回の使用のみです。引用以外では他に使用例はなく,常に「従軍慰安婦」で語られています(なのでこれは厳密にはトピックではなく後述の文体問題として扱うべきかもしれません)。

原仙作『英文標準問題精講』の「この文章は以前も読んだことがあると気づいた時,ヒントになっているのは内容よりも文体である」という問題文が印象に残っているのですが,作者は誰だったか?本オープンレターの後半=暴走部分ついては,特徴的な言い回しが2つ登場します。

「戯画化」
多少マニアックな言葉ではないでしょうか。北村先生はtwitterでもblogでも多用されてます。但し小宮先生もしばしば使われてはいます。

「非寛容」
正しくは「不寛容」です。誤用なので当然珍しい=個性の出る言葉です。北村先生はtwitterでもblogでも使用経験があります。一方小宮先生のtweetには使用例がありません。

最後に怪文書にて最もcontroversialなパートについて
やはり後半に登場します。こんな狂ったことを書ける人が発起人内に複数名存在するとは思えません。(この起草者が他の発起人と違って正気を失っていると申しているのではないです。熊谷千葉市長のエアコン設置拒否発言の時に述べたことがあるのですが,知性にしろ人格にしろどんなにまっとうな人でも狂うポイントはあります。狂気であるが故に,その狂い方=ポイントが複数人で一致することは滅多にないのです。)

キャンセルカルチャーの凶悪性を自覚しつつ,でも自分たちは被害に遭ってきたんだからこれからは加害者になる権利がある? …正気の沙汰ではない。しかしそっくりな文章があります。



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