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日本での中学英語は全然ダメだった、その後


私の中学生活はかなりドタバタ始まりました。

その時、私は千葉県から東京都に中学入学を機に引越したのですが(転勤族)、親が目星をつけていた住居が古すぎて、住めないということで、入学式直前まで家探し。入学式数日前に制服を急いで作ってもらいました。

自分がどこにいるのかも良く分からないまま、学校行ってきなさい!という感じでした笑

兄弟が多いので、引越しはいつも寂しくなかったですし、子供ながらに密かに次はどこに行くのか楽しみにしていました。

中学1年で突然始まった文法授業

しかし、中学校はそれまでの小学校の転校と違い、全てにおいて馴染むのが大変でした。

英語に関しては実力のある英語担任ではない、サブの先生が当たってしまい、学校の授業だけでは文法が全然理解できませんでした。。というか、「文法」という存在すらよくわかっておらず、ただ単語を覚え、なんとなく音で覚えたことをテストに書く日々。。。

当然良くできる方ではなかったです。

中学2年、捨てる神に拾う神あり

しかし、2年目、いよいよクラス担任が英語本科の先生になりました。この先生が私のつまづきをすぐに見抜いてくれて、母親から先生が特別レッスンしてくれるから夏休みに学校に行きなさいと言われたのです。有難や〜。この先生なしに私の英語はもしかしたら芽を出さなかったかもしれません。

ここで基本的な英語の文型の作り方を学んでからは、あとは細かい単語を乗っけて行くだけで、少しずつ英語が理解できるようになりました。しかし中学英語は万年「3」のまま終わりました。

高校1年、英語の先生が偶然流してくれたマドンナの音楽

この時から、洋楽に目覚めて家で少しずつ聴くようになりました。歌詞カードを見ながら英語で歌を覚えるようになりました。

また塾に通わせてもらってから、英単語だけは覚えるのが苦ではなかったので、英語の勉強は留学するまでここからずっと続けられることができました。

この頃から留学から帰ってきた高校の同級生などもいたため、留学を視野に入れるようになりました。

短大1年生

そのまま、上の4大に上がることも、海外の大学に途中から編入することも出来そうだったので、家から近い短大にまずは入りアルバイトに励む日々。英文科に入ったので、少しずつ英語の本を読むことが出来るようになりました。またこの間のアルバイト代はほとんど全て後の留学資金に充てました。

18歳で初めての海外、ニューヨークで2ヶ月のESL

高校生から洋楽を聴いていたせいか、意外に生の英語が英語教材のリスニングよりも聞き取りやすいと感じました。しかし、元々の社交的な性格が功を奏して、新天地でも話す人には事欠かず、英語はみるみる上達するのを感じました。

日本人留学生にも出会い、色々話を聞くうちに、今後の様々な課題が見えたので、次の本格的な留学に備えて、日本に帰ってから次のことを行いました。

・洋書を数冊読み切る

・週一回英会話学校に通う(確か自腹。。笑)

・TOFELを受験する(カナダの大学に直接入学できるスコアを目標として)

カナダの大学の2年次へ編入して、その後無事に3年で卒業

私は自分の意思で留学したので、初年度はアルバイトで貯めたお金で留学費用を賄いました。そして一年のみで留学を終えなくてはいけない可能性があったので、このような無理もしました。

しかし、今では私の通ったこのカナダの田舎の学校もインフレで授業料は当時の2倍以上になっており、留学生に対しては年間約200万円の授業料になっています。今だったらとても通えなかったと思います。

ちなみにこれまでの経験から、私のように親の賛成が得られずに、自分で貯めて留学する子は高い確率で起業すると思いますよ笑

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