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白い部屋で

なかなかPCに向かう時間が取れなかった。
我が家は乳児と幼児を育てる、4人家族。実家は双方共に遠方。
そんな生活の中、なんと引っ越しを断行してしまった。
師走のそれでなくてもバタバタした季節、それでなくてもバタバタした乳児育児中、荷物をまとめて2週間でお引越し。
無謀だと思ったけれど、やってみればできるもので、なんとか生活は継続できている。

思えば、前の部屋はオレンジ色だった。
わたしたち夫婦が結婚するときに入居した部屋だったので、やや手狭ではあったあの部屋。
レンガ打ちの外観のおかげか、暖かい色味だった。そしてそれは、当時のわたしにはとても大切なことだった。

オレンジの部屋へは、一人暮らしをしていた職場の寮からの引越しだった。
レンタルのハイエースに引越しの一人暮らしの荷物を詰め込んだら、案外収まってしまって驚いた。(もちろんベッドなどの大型の家具は手放した)
手伝いに来てくれた母に見送られ、夫の運転するハイエースの助手席に座り、移動には半日かかった。
疲労を回復する暇もなく、とにかく荷物を部屋に詰め込んで、夫は車をレンタカー屋さんに返しに行った。

もうとっぷり夜だったので、私は近くのスーパーにお惣菜を買いに行くことにした。
夫からスーパーの方角を口頭で伝えられ、マンションの前で別れて言われた方に向かったが、言われた方向には交通量の多い道があり、信号が見当たらなかった。
これまで住んでいた町に比べ圧倒的に明るい夜。
道路を挟んだ向こうには、あかりを煌々と灯した大きな大きなマンションが建っていて、別の世界にきてしまったと感じた。田舎者がいる場所じゃないのかもしれな
い。

突然にとんでもなく不安になってしまった。
なんて大それたことをしてしまったんだろう。
この街で生きていくための心の糧は、この街に夫が住んでいると言う以外には何もない。知らない街で、夫だけしか知る人のいない世界で、いきていけるのかしら。
慌てて取り出した携帯で夫に電話をかけた時、もうほとんど泣きそうになっていた。

もともと転校が多かった私は、友人ができても継続して友人関係を続けられなかったことが多く、比較的対人的にさっぱりしていると思う。
そのぶん家族に対しては依存があり、家族をコロニーのようにして生きてきてしまった。
そんな私が両親や家族から離れて過ごすためには、住まいを居心地よくすることがとても大切だった。
「私の巣」
それがオレンジ色の部屋だった。

引越し前に内見をした時、この部屋は白かった。
壁は白く、床はフローリング。以前の「オレンジの部屋」と基調は変わっていないのに、白いと感じた。
白い部屋はそれでも無機質なわけではなく、ここから自由に作っていける、まっさらという印象を受けた。

白い部屋で、子どもたちを育てる。
きっと子どもたちは、どんどんさまざまな色を弾きだして、すぐにでもカラフルな部屋になるだろう。
どんな色になっても、それを楽しめる母になろう。
「私の巣」がなくなっても、「家族の家」があれば大丈夫。
おかげさまで、今日も我が家は元気です。

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