星新一「殉教」を読んで

 多くの人間は、死を恐れている。では死を恐れなくなったら? きっと、生きることが、馬鹿らしく思えるかもしれない。

 一人の人間が、「死なんて怖くない」と信じたことで、人々は連鎖的に死体と化していく。ある者は信頼のおける言葉を、ある者は素晴らしき科学の総体を信じて――そのどれもが、自分の意志を信仰することに繋がるのであるが――死への恐怖を克服した。

 人間というものは、なんのために生きているのだろう。この答えが出たのだった。つまり、死の恐怖だけで支えられていたらしい。文明の進歩は、未知にもとづく恐怖をつぎつぎに消し、死こそ最後に残された、ただ一つの、最大の恐怖だった。

星新一著、新井素子編『ほしのはじまり ――決定版 星新一ショートショート――』、P473

 僅か数ページに渡る物語の中で、あまりにも本質を突いた段落である。また、死への恐怖が信仰の元ともなっているかもしれない。

 一方で、死を選ばぬ者たちもいる。彼らは自身を「信ずる能力に欠けている」と評している。自分の判断や機械や親族の声を信じることができない、もしくは、そもそも死者と交信できる機械に関心がないのである。それ以上のことは文面にない。あるいは、彼らは最初から死を恐れていないのかもしれない。死を恐れぬ者には、信仰がないということだろうか。
 而して生きることを選んだ者たちは、「信ずること」なしに社会を築けるだろうか。それは彼らにも、読者である私にも分からないのである。

 私はこれまで、それなりの数の星作品を読んでいたが、一度読み終えてから次の話へと進まずに、二度目を読み始めた作品は、この「殉教」が初めてだった。
 浅い知識で何やかんや述べ立てたが、とにかく、彼の作品で、こんなにも生々しい死の香りを嗅ぐとは思わなかった。少々不穏当だが、非常に新鮮な気分である。

【引用・参考文献】
星新一著・新井素子編『ほしのはじまり ――決定版 星新一ショートショート――』、角川書店、2007年11月


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