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身体、空間、時間

重田園江さんのミシェル・フーコーをたまに読む。本物のミシェル・フーコーの本は難しいので進まないが、重田さんの文章なら読むことが出来る。秩序というのは、身体、空間、時間によって出来るというのを、休日ベッドで寝っ転がりながら読んでいた。学校や会社などを思い出すと、イメージしやすい。

布団からよっこらしょと出て、恵比寿ガーデンシネマでターシャテューダーを見ようと、上映時間ギリギリにボサッとした格好で現れたのは間違いなく私である。席はほぼ満席、前の方しか空いていませんとのことだったので、次の回のチケットを買い、TOPミュージアムで山崎博さんの展示を見に行った。

彼の作品は実験のような雰囲気で、最近作ったものかと思われるほどに、私には今らしい印象を受けた。新しく感じるような、近頃みんなが関心を持っていることのような。一言で言ってしまうと、定点観測な感じなのだが、不思議な、というより奇妙な雰囲気が漂う。私は1979年16mmフィルムで撮影された、HELIOGLAPHYというカラービデオが特に気に入った。彼は自身の身体をある空間に持って行き、時間を記録していた。

それを見終えて、ターシャテューダーを観た。豊かな自然を愛し、自らの手で作った彼女の素晴らしい世界観は心から美しいと思った。私が彼女の言葉で最も印象に残ったのは、一人が好き、という言葉である。彼女は自分の身体で好きな空間を作り、そこで一人の時間を過ごしていた。

これらを見終えて、身体、空間、時間によって秩序が出来るということを私は思い出していた。彼らには独自のルールが、間違いなくあったに違いない。秩序というのは集団の中でしか発生しないと思っていたが、彼らが私たちに残してくれた作品たちは、自らが選択し続け、誰とも違う組み合わせの中で生まれた唯一のものである。

一人で過ごす休日、こんなことを考えているのは、今、世界できっと私だけだろう。この日、満足して良い眠りについた。

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