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休日のこと。

(前置き)
私はうつ病を患った友人と同居生活を送っているアラサーの会社員です。
友人との関係や日常について、「#日記」のタグで備忘録や頭の整理を目的にnoteを書いています。

先日、外出から帰ってくると、友人が
「今日はもうお出かけ終わり?駅前の飲み屋さん行かない?」
と、誘ってくれました。

しかし間が悪いことに、次の日、大学時代の学友の結婚式に出席する予定だったため、晩ご飯は抜こうと決めていたのでした。
折角のお誘いでしたが今回は断り、次の日無事にワンピースを着て結婚式に参列してきました。

そんな出来事があって数日たった今、
今更ですが友人の誘いを断ったことを後悔しています。

昔の私たちの間柄では、
「ご飯に行こう(訳:話したいことがある)」
というのが何となくの共通認識でした。

今は一緒に住んでいるからこそ、
そのことがすっかり頭から抜けていました。
楽しい話でも、重い話でも、どうでもいい話でも、
友人の「話したい気分」にいつでも付き合える自分でいたかったです。
それゆえの何とも言い難い後悔が今になってやってきています。

学友の結婚式に出席して思ったことですが、
自分のライフステージはあやふやで自由です。
年をとっていくのと引き換えにできなくなることも増えてきますが、
自由だということはすごく心地いいです。
それも周りの人に恵まれたからでしょう。

私は今まで、
「恋人はいるの?」
「結婚願望はあるの?」
「将来子どもを産みたいって思う?」
というような、この年代にはあるあるの質問を
両親から一度もされたことがありません。
本当に一度も。

それがどれだけありがたいか、
言われる側の気持ちを知らなかったからこそ、
最近までわからずにいたのですが。
年齢というリミットを追いかけるように
結婚していく友人や同僚をそばで見てようやく気付きました。

自由でいさせてくれてありがとう。

5年ぶりに会う学友の結婚式は本当に素敵で、
沢山の人から愛と祝福を受ける彼女は、
本当に宇宙一かわいくて綺麗で輝いていました。

もし私がなにかの巡り合わせで
誰かと結婚することになっても、
そのときには今よりだいぶ年を取ってるんだろうなぁと
頭に浮かんできます。

どんな生き方を選んでも、
愛され、祝福される人間でいたいです。

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