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ハワイで拉致されそうになった話

これは 私の浄らかな思春期に母と行った忘れられないハワイ旅行のお話です。大人にも言っておきたい。

「知らない人には付いていってはいけません!!」

その2人旅の2年前、我が家はハワイにいた。私以外は。

中学2年生だった私は、断固部活を優先させると1人自宅に残っていた。 

ハワイでバカンスか、バスケットコートでドリブルか。

今の私なら迷わずハワイでバカンスだが、思春期とは恐ろしいものである。即決でバスケを選び、家族がいない間、自宅で子どもだけの合宿を決行した。そっちの方が中2の私にはハッピーなイベントだったわけで。

母はハワイ旅行が最高だったので、行かなかった可哀想な娘の為にハワイ2人旅を計画してくれた。(父は、もっかい行きたいだけや!と言っていたが)

母からのハワイ最高アピールが凄かったので、行くことにした。そのハワイ旅が今でも忘れられない。

常夏のハワイのあの眩しすぎる海!食べ盛りの私の胃を目一杯満たしてくれたビッグステーキ!

。。ではなかった。。。

初めに説明しておくと、母は感情が全面に出るタイプで、私は幼い頃から母の感情の激しさに振り回されてきた。そのせいもあり、思春期に入ると母への反抗があからさまに。そんな2人の初めての海外2人旅である。

そういうわけで、すでに雲行きが怪しい。

ツアーに名前が載っていない!?

ハワイに着くとあちこちで日本人がそれぞれのツアーごとに集まっていた。私たちも人の流れに乗ってその内1つの団体にたどり着き、初めましての皆さんの中にいた。

添乗員さんらしき人が名前を呼び何かを手渡していく。そろそろ呼ばれるかなーと待っているが中々呼ばれない。

「お名前は?」と聞かれ答える母と手に持った紙をハテナ?な顔で覗き込む添乗員さん。周りの人達もちょっと心配そうに見ている。

その紙にウチの名前は載っていなかった。「あれー?」と惚けた顔をしている母。恥ずかしいので離れた場所から見ていた私の元へ、母は戻ってきた。

「みんなについて来たけど、ツアー頼んでへんかったわー笑」って。

こわい。怖すぎる。  私の初海外旅行がどうなるのかは、この人にかかっているのに。。そして、皆んなに注目された中、「私たち関係のない人間でしたー!テヘッ」と帰って来たかんじがめちゃくちゃ恥ずかしい。中2のイラッとが止まらない。

ハワイに着いてそうそうムスッとし始めた私。その後何とかホテルに到着した。ショッピングをしたり、ビーチ沿いのピンクのホテルでの食事はボリューム満点で美味しかった。

だんだんと「ハワイっていいところやんー」そう思い始めていたのに。。。

アイツに出会ってしまった!

ハワイと来たらアラモアナショッピングセンターでしょう♫とウキウキな母。そのショッピングの最中にアイツと出会う事になる。

ショッピングセンターだったか、どこかのビルに入る入り口のスタッフだったと思う。ちょっと高い所から話しかけられた。もしくは、母が道を聞いた。

覚えている限りでは、ブラウンの髪とスッとしたスタイル。多分イケメンだった。年齢は30代くらいかな?

なぜか気付いたら一緒に食事に来ていた。

母娘水入らずの旅は、いつの間にか、見ず知らずの外人付きになっていた。

しかも、着いたのは、『TANAKA of TOKYO』というご飯屋さん。

何も知らない私は、ハワイまで来て、「東京の田中さんちのご飯食べるってどーやねん!」とか思っていたけど、田中さんちは、思っていたより面白かった。

ちなみに田中さんちはこちら『TANAKA of TOKYO』

https://www.tanakaoftokyo.com/jp/main#tanakaoftokyojp

鉄板の上で鮮やかなショーが繰り広げられる中、母の向こう側にはブラウンヘアーが微笑んでいた。誰やねん!

ブラウンヘアーが暴走する!

次の日、また3人旅の続きが始まる。あちこち回った後、車でホテルへ送ってもらう。。。はずだったが、なぜか車は違う方向へ!?ブラウンヘアーは無言でどこかへ向かう。

母が「Stop!」だとか「○×■△~!!」だとか言って車を止めさせようと後部座席から身を乗り出すが、ブラウンヘアーは知らん顔している。

母の訴えを無視して運転し続ける後頭部を見ながら、徐々に「これやばいんちゃうん?」そう思ったが、私は何も言えない。

と、私の右側にいた母がおもむろに「バンッツ!!」とドアを蹴り上げたのか、ただ開けたのか、とにかく勢いよく車のドアが開いた。

ドアの向こうには道路脇の景色が結構なスピードで流れていた。ドアが開いたことに驚いたブラウンヘアーが急にブレーキを踏んだ。

車が止まりきる前に、母は「出るよ!!」と私を引っ張り、道路を横断して車と反対方向へ走っていく。

後ろでブラウンヘアーが何か言っているが、母は見向きもしない。私は、揺れる母のロングヘアーを追いかけるのに必死だった。

次の日の朝だったと思う。ホテルの部屋にブラウンヘアーから『ごめんね』コールがあった。だけどその後ブラウヘアーに会うことはなかった。

ブラウンヘアーの行動は、単に母へのラブアピールだったのかもしれない。それよりも、旅先で出会ったイケメンに付いていく母がどうかと思う。

最後はせめてハワイの海で癒やされたい

そう思ってエメラルドの海へ向かった。  が、そこには、日本では見た事のないビルの様なビッグウェーブがドーン、ドドーン!と。なんと台風まできてるやん!

その海を見ながら、こう思った。

『なんて旅だ。』

帰る前に、母に『この事はぜったいお父さんに言ったらあかんで!』と口止めされた私。

なぜに私が父に後ろめたい気持ちにならないといけないのか。

『なんて母だ。』

大いに言ってやりたいよ! ナンパについて行って危ない目に遭いそうだったとお父さんにちくってやりたい。。。

だけど、あれから30年近く経った今も、この話は父にはしていない。 父を不愉快にさせるのがイヤだからだ。決して母を庇う気持ちではない。

日本へ帰ったあと、旅の思い出に持ち帰った『TANAKA of TOKYO』のマッチをなんとも複雑な気持ちで眺めた。

これが私の初めての忘れられないハワイ旅行だ。その後も母への反抗は20歳くらいまで長めに続いた。


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