生きたくないって思わせる社会

西荻窪の中央線のホーム目の前で人身事故があった日。
あんまりこういう話を書くのは良くないかもしれないけど、その光景が忘れられなくて、忘れてはいけないと思うので書く。(不愉快な思いをする人がいたら、ごめんなさい。指摘してください。消せます。)

一瞬なにが起こったかわからなかったけど、ふとホーム下に目を向けたらその方が亡くなってた。周りの大人はみんな動かずに静止していた。

ケータイの画面越しに見ていた、パレスチナの人々のバラバラになったご遺体を思い出して、血だらけの体が思い浮かんで、それを今度は自分の目の前にして、これが家族だったら、友達だったら、と考えた。
人身事故と虐殺を比べるのも、日本とパレスチナを比べるのも全然違うけど、わたしには同じ尊い命が奪われた瞬間に思えた。

大雨の日だったから、辛かったものが溢れだしちゃったのかな。
もしわたしがあと10分早く駅についてて、その人と目が合って、喋ってたら、違ったかな。

その方の事故の理由はわからない。一瞬だったから。
でももし飛び込み自殺だったとしたら。自らその選択をしてたとしたら。

みんな仕事があるし、学校があるし、用事がある。
わかるけど、でも、迷惑そうな顔をしないでほしかった。
カメラを向けた男性、本当に嫌だった。やめてくださいって注意したかったけど、遠くてちょっと怖くてできなかった。

人の死を、自分の平穏な日常や、急がなくてはいけない用事と天秤にかけて、「迷惑」で片づけてしまう大人がたくさんいるから、世の中の問題は解決されないんじゃないかな。その方の人生やその日の理由はわからないけど、人が自殺する理由って社会のせいじゃないのかな。

学歴や収入や能力とか誰かにとっての良いを押し付けられて、本当に大切なことを教えてもらえない教育で、労働者として管理されて、その人の死にたいって思う理由って社会のせいじゃないのかな。わたしたちにはこれっぽちも責任ってないのかな。この日から人身事故に対する見方がすごく変わった。

わたしは未来に希望が持てる、生きたいって思える社会がつくりたいです。自分で命を終わらせるほど追い込まれる社会、誰かに命を終わらせられることが許される世界、それをどうにかするのが政治じゃないのかな。

だから東京都のみんな、都知事選に行こうね。生きたいって思える社会がほしい。




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