続・ぺらぺら人間
このノートに消さずに残ってる先頭の記事がこれだ。
僕は生まれてからずーーーーーーーーーーーっと自分の底の浅さ、ぺらさを自覚しながらも苦しんで、人生つまんねーーーなんて斜に構えながら生きてきたと思う。
ビックダディじゃないが「俺はそういう人間だ」で枠を勝手に作って、オタク構文のような西尾維新の主人公のようなニヒルさでもって、社会を冷笑して生きてたんだ。
ついこないだの僕のnoteを見たってそれがよくわかる。もがき苦しんでいるのがよくわかる。その苦しみは複合的なもんだけど、根底にあるのは諦観・悲観・冷笑・皮肉・無責任・無関心だ。
それが端的によくわかるのがこのぺらぺら人間というわけだ。
でもそれでも、苦しんでいるのはなぜだったかといえば、そんな状況が嫌でどうしようもなかったからに他ならない。分厚い本になりたいと望みながらもその道筋すら自力で見つけることができない、と思い込んでいる。ある日いきなり誰かが救ってくれる、あるいはその必要がないくらいに世界を破壊してくれるということを夢想していた。自分の死も世界の破壊に含まれる。
それでも今僕はその苦しみから少しずつ離れることができている。自分の、人間の、価値を、可能性を、絵空事なんかじゃなく、現実に見ることができているからだ。
悲観主義と人間主義の話だ。最近の僕は心にずっとこれがある。
僕が一番見てて一番影響を受けててっていうこの僕をトランスヘイト沼から救い上げてくれた人の記事がこれだ。
ジョジョの人間賛歌は勇気の賛歌のところ、恐怖を乗り越えようというところ、本当にその通りだしなんて健全なんだと思った。
斜に構える必要なんてどこにある。素直にダメなものはダメ、良いものは良いと言い合って、現実で誰も嫌な思いをしないようにすればいいんだ。
勝手に限界を決めつけて、勝手に自分を人間を決め付けて、勝手に苦しくなってたらわけないんだ。
最近は過去見て無邪気に楽しめた作品が楽しめなくなったりもした。これってそっかーとか。なんでこんなことを知らなかったんだ!ってことが増えた。
こうやって書くとマジで陰謀論にはまった人みたいだけど、マジのマジでこれまでの"普通の日本人"だった方が何倍も陰謀じみてた。トランスジェンダーでありながらトランスジェンダーを差別してたんだぜ、やべえだろ。
人権意識や法令順守の意識が皆無(言い過ぎかも、いやでもマジでそうだしな…)だったところとかは痛烈に過去を批判して反省しなくちゃいけない・・・
僕はそれでも今も、自分の底の浅さ、大学まで行かせてもらったのに学び取る力の弱さ、誰も救うことができない無力さ、わがままを抑えられないところ、どうしようもなく臆病なところ、その他いろいろ、いろんな課題があると感じてる。
だから、僕を分厚くするには、そんな課題一つ一つに対して、逃げずに向き合っていくことだ。それしかないんだと、今はっきりとわかったんだ。
だからあらゆる差別に反対する。差別をしないように気を付けて、してしまってたらきちんと反省する。自分の特権性を自覚する。自分の弱さも自覚する。今ここに意識をちゃんと持って、過去に縛られず、未来に逃避せず生きる。そう決めた。
日本の病理はきっとたくさんある、目に見えるもの見えにくいもの見えないもの。でも人々の心の問題もきっとあって、それを何とかすれば防波堤になって、流れを変えられると思うんだ。本当は環境が最高によかったら誰も苦しまずに済んだかもしれないけど、過酷な試練が与えられちゃってるから、逃げずに立ち向かうしかない。一人一人ができることをやるしかない。
だから僕は僕にできることをやり続ける。おわり