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【ギヴン〜5巻ネタバレ】中山春樹の「耳」と「目」について

アニメ放送中の「ギヴン」。
あまりにも9話・10話が良すぎて、漫画を購入して一気に読んだ。特に4・5巻がすごかった。きっとここはアニメ化されない。残念だ。
(※2019年9月追記→4-5巻劇場版公開決定大感謝)


だからこそ、今こそ考察しておきたい。
中山春樹という存在について。

以下、大いにネタバレと妄想を含むので、苦手な方は引き返して欲しい。
雨月派の方にもご不快かもしれない。ご容赦願いたい。

「ギヴン」は、もちろん音楽青春群像劇であるので、「音」が大切な要素である。立夏の音を聞いた真冬、真冬の声を聞いた立夏、雨月の音を聞いた秋彦…なんらかの情動のきっかけは、「音」である。
しかしその一方で、「見る」という行為もとても大切に描かれていると思うのだ。由紀の最後を「見る」真冬、秋彦を「見る」春樹、真冬を「見る」柊…など。今回は特に、「聞く」「見る」という行為に注目していきたい。

前置きが長くなったが、本作で私が考察したいのは

中山春樹

である。
簡単に彼のプロフィールを。
文系大学院生の22歳、一人暮らし、カフェでバイト、ベース担当。前のバンドのボーカルに逃げられていたときに立夏と秋彦を誘い、3人でtheseasons発足。秋彦に出会って恋をしてから、髪伸ばし続けている。
…まず年下の秋彦に叶わぬ想いを寄せ続けている時点で、拝みたくなるキャラではある。

作中で秋彦も度々主張しているが、彼がいなければギヴンというバンドは崩壊するのである。その春樹自身が崩壊しかけたのが4、5巻であった。主に秋彦との関わりから、春樹という存在について私なりに考察したい。


1.実はもっとも「閉じた」存在

私は春樹が通り一遍の「お人好し」だとは思わない。
年齢を重ねていることも影響しているだろうが、バンドメンバー4名の中で、もっとも自分を抑えているのは春樹だ。それは決して他人を慮ってのことではない。

例えば立夏は、特に音楽についてはズバズバ自分の意見を表に出すために、人と衝突する。
秋彦は人と場所を選ぶものの、やはり音楽についてはハッキリ言う(ライブ1週間前に練習を打ち切ったし、真冬を煽った)
真冬は、当初こそ「閉じて」いたものの、1stライブで情動発散した後は、先陣を切って意見を言うようになっている。

春樹は「調停役」と言われるだけあり、誰かの言動に対しての反応はサッと示すものの、自己主張はしていない。天才肌3名をひとつにまとめるのに、春樹が重要な存在であることはまず間違いない。

この役割がにわかに転倒したのが、5巻である。
秋彦に「フラれ」、たけちゃんに髪を切ってもらって初めてのスタジオ練習のときである。春樹のベースが他三人と合わなくなった。立夏が「春樹さん、なんで機嫌悪いんすか」と直球で尋ねるものの、春樹は「ごめん、調子わるくて」と、やんわり返答を拒否する。立夏は「シャットダウンしないでくださいよ!」と怒るが、結局真相は(その場では)解明されない。

この「閉じ」方。これが春樹である。

真冬に悟られるまでは、秋彦を居候させていることも黙っていた。サポートで他バンドに行くこともだ。全てはバンドの安寧を願って…といえば聞こえがいい。それだけではないはずだ。

春樹はtheseasonsの活動のすべては「奇跡のようだ」と思っている。
その奇跡を「醒まして」しまうもの、それを避けて、自分と向き合うのを先延ばしにしているのではないか。

それが証拠に、シャットダウンした練習の帰り道、春樹は「自分の価値」を見失う。現在のバンドに居場所がないように感じてしまったのだ。この不安は急に湧いたものではなく、蓄積されてきていたはず。ただ、奇跡を終わらせないために目を背けていただけだ。巻5にいたってはじめて、春樹はその本心を顕在化させた。「閉じた」蓋をあけたのは、秋彦である。

2.感受性の鈍さ

ギヴンの登場人物は、感受性の鋭さと才能とが相関関係にあるような気がする。

例えば雨月は、秋彦曰く「途方もなく心と感情のサイズが大きい」=「生きるのがしんどそう」と評される。その裏返しとして、ヴァオリンの天才。
真冬も同系統の人間である。感受性が強さから、どんどん音楽を吸収し天才の一面を垣間見せている。
秋彦もまた、誰よりも先に真冬の過去に勘づき、音楽以外に対する感受性はかなり高い。春樹の想いに気がついているのだって、その表れだ。ただし、自身の感性に寄りすぎているので、相手とずれる。
立夏の場合は少しタイプが違う。人間の感情には至極鈍感なのだが、直観力や瞬発力が高い。それをそのまま包み隠さず出すので、「王様」になってしまうのだ。

さて肝心の春樹である。
音楽的には、「合わせてくれる」という評価が高いようなので、感受性はゼロではないが上記の天才たちとは質が違う。
自分の感情や他人の感情については「かなり鈍い」と言っていいだろう。立夏よりもたちが悪いと思うのは、「たとえ感じ取ったとしても、無意識の部分にしまいこんで蓋をしそう」だからである。雨月がオーディション3次選考に来ていたと気がついていたにもかかわらず、その記憶を封じているようなところがあった。

春樹の鈍さは、真冬の過去に最後に気がつく点、秋彦の同居人がいることに最後に気がつく点、1stライブで真冬の弦が切れたときにピリピリにならない……などにも滲んでいる。
この鈍さにバンドは救われているし、秋彦も救われている。

しかし、春樹とて敏感な部分が当然ある。それが露呈したのが、5巻での秋彦とのいざこざだといえよう。特に、秋彦に「フラれた」と感じたことで得た「みじめさ」が、バンド内の立ち位置にまでリンクしてしまう部分なんて、鈍いなら感じることのできない劣等感である。「閉じた」春樹の感受性を、図らずも秋彦が開花させたのであった。


3.春樹はほんとうに「フラれた」のか

さて問題の5巻である。
苦しそうな表情で春樹を抱く秋彦に対し、「なんでもしてあげるから」と、甘えさせようとする春樹。秋彦はそれを「お前に言ってもどうにもならない」と切り返す。
このやりとりを春樹は「お前じゃだめ」と言われたと考え、フラれたと解釈している

果たして本当にそうなのか?

春樹が髪を切って戻ってきた時、「俺はお前にふられて疲れてるから、帰って」と言い放ち、秋彦は「ちょっと待った」と何かを言いかけている。
これ、「べつにフッてない」と言いかけたのではないか。

のちに、書き下ろし「羽化前夜」で秋彦は「(春樹に)助けて欲しいと言いたかった」と回想している。
春樹に助けて欲しい、でもそれを言ってしまったら、また秋彦は雨月(=バイオリン)と向き合う機会を逸する。だから「お前に(助けてと)言ってもどうにもならない。(これは自分で解決しなきゃいけない問題だから)」と言ったのではないか。

感受性の強い秋彦と、鈍い(ようにしている)春樹の決定的なすれ違いである。もちろん秋彦はクズである。春樹の好意につけこんで甘えようとした。しっかり自戒しているので最終的には許せるのだが、確かにクズである。
とはいえ、春樹にも非はある
春樹はかつて、立夏が真冬をバンドに勧誘した際に「真冬にちゃんと「どうして」って聞いた?音楽はコミュニケーションだよ」と言っていた。その言葉、そっくりそのまま返そう。

春樹、秋彦に「どうして?」って聞いた?

もちろん、行為直前に春樹は「なんで(こんなことするの)?」と言っている。秋彦はこれに対し「なんで?もういいだろ(お前、俺が好きなんだし)」というクズ発言で返す。しかし、「何があったの?どうしてこんなことするまで荒れてんの?」ということは聞いていない。

これまで春樹が「一方的にこの男が好き、でいいや」と思っていたこと
秋彦がその好意を知っていながら受け止めなかったこと

二人が向き合ってこなかったことが、5巻の事件の遠因である。
向き合っていないがために、言葉がすれ違う。

実は四巻のラストあたりまでで、秋彦は二度、春樹に「こっち向け」「俺をみろ」と言っている。春樹はそのたび彼を見るのだが、結局スッと目線をそらす。

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           © キヅナツキ・新書館/ギヴン製作委員会より引用

これが二人のこれまでを象徴する動作になっている
のである。


4.目を背け、耳を閉じる春樹

春樹は秋彦を見ながらも、目をそらすことが多い
出会いの場面こそ、距離があったためにそらしていないが、それ以降は顕著である。

例えば弥生をバイクに乗っけてきた秋彦を見てしまった時は、目を覆ってしまう。1stライブで「こっち向け」と言われたときは、結局自分から目をそらす。髪を切った直後のスタジオ練の帰りも、「お前が(バンドには)必要だ」と言われて受け入れるものの、フイッと一度目を背けてしまう。
これが春樹の基本的なスタンスなのだ。
自分が傷つくであろうことは「見たくない」。それがたとえ秋彦の本当の姿だとしても、見たくない

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           © キヅナツキ・新書館/ギヴン製作委員会より引用

だからこそ、秋彦がなんども本心から伝えてきた
「春樹が必要」
という言葉が、春樹自身には全く浸透していない
のだ。少なくともそれを告げられた2回とも、春樹は秋彦の視線と手を振り払っている(1stライブ直前、オーディション前の車の中)
髪を切った直後のスタジオ練の帰りでようやく「なんだあ、そうかあ…」とかろうじて受け入れられたのは、この時はじめて春樹が「閉じた」状態から、「開いた」状態になっていたからである(怪我の功名というやつだ)。
それでもまだ、秋彦の言葉の一部しか春樹は受け取れていない。

「お前必要だって、結構ずっと言ってるよな?」

という秋彦の言葉は、バンド活動に限ったことではない。それ以外の、人間的な営み全般について言っているはずなのだが、おそらくこの時点で春樹はそれを感じ取れていない。自己評価が低い、というよりも、やはり感受性の問題だと私は思う。

感受性の強い秋彦は、一つの言葉に詰め込む意味が多い
春樹はそのうちの一つしか受け取れない

「耳」からの情報ですれ違う二人は、春樹が秋彦の日常を「見る」ことで徐々に近づいていく。


5.秋彦の「ほんとうのすがた」を通して

春樹はその出会いから、秋彦を特別視している。
屋上から見た秋彦の姿に、戦慄を覚えているのだ。

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           © キヅナツキ・新書館/ギヴン製作委員会より引用

秋彦が雨月との出会いの瞬間に抱いている感情とは少し違うものである。なぜなら春樹は秋彦の「音」を聞いているわけではない。「目」でみた情報を起点として、彼を特別視しているのだ。出会いの状況からして、春樹が秋彦の真の姿を「耳」から理解していくのは不可能だったのだ。

春樹は秋彦をしっかり「見」なければいけない。
それが4巻終盤から5巻中盤までで展開される、「変化していく秋彦を、ただ見るだけしかできない春樹」なのだ。この期間があったからこそ、5巻ラストで春樹は「いいよ」と言えたのだ。

春樹は4、5巻を通して、天才ではない、努力に裏打ちされた秀才としての秋彦を目撃していく。そして「同居人(=雨月)」との終わるようで終わらない恋が「苦しい」と漏らす秋彦に、「やっと対等になった」と感じる。
つまり、出会いから長らく続いていた「特別視」がようやく出口に向かおうとしているのだ。これは春樹の言う「奇跡」の日々の終わりも意味する。

しかしまだ、「耳」が誤解したままである。春樹は未だに、「フラれた」と思い込んでいる

そんな中、秋彦がバイオリンのコンクールに出る。真冬に強制的に連行されて春樹はそれを見に行く。
秋彦が変化していく姿を見ていながら、春樹はそれを傍観していた。なぜなら、その変化を起こしているのは「雨月」だと思っていたからである。彼は自己防衛のためにまた目を背けようとしていた。しかし、真冬がそれを許さなかった。真冬のすごいところはこういう部分だ。立夏には決してできまい。(秋彦を諦めた、という春樹に「ほんとうに?」と詰め寄るのも真冬である)
これまでのギヴンの流れであれば、この秋彦の「音」を聞いて、春樹が「秋彦が変わった・・・?」と気がつく展開であろう。しかしそうはならない。二人の関係のはじまりは「音」ではないのだ。

河川敷にやってきた秋彦はこれまでではありえなかった直接話法で告白する。(これはネタバレするにはもったいない台詞なのであえて書かない)

これを受けてようやく春樹は「いいよ」と言える。
半年ほど「見」てきた秋彦の姿が、自分のためだったという情報を「耳」から得たことで、ようやく春樹は秋彦を真正面から受け入れられる。だから「いいよ」と告げる春樹は、もう秋彦から目をそらさない。


6.春樹と雨月、その違い

なぜ秋彦が春樹を選んだのか?
ここも一応、なんとなく考察しておきたい。考察するのも野暮なのだろうが…備忘録として…

究極的には
「地下」「雨(上から下に降る)」
「地上」「樹(下から上に伸びる)」

この対比であると思うのだ。「羽化前夜」によくあらわれている。

雨月といれば、秋彦は二人だけの閉ざされた世界で生きていけただろう。しかしそれは二人が「変化しない」ことを意味する。これは雨月が別れを切り出した2年前に「互いが互いの足かせになっている」と感じた部分である。よくよく見返してみると、秋彦と雨月は横並びのカットが多い。彼らの場合は「見」ているものが同じなのだ。同じだからこそ、他を排斥してしまう。

春樹の場合は、花火や朝日のようなモチーフにも現れるように、とにかく地上で、開放的な世界に身を置いている。秋彦はその春樹の部屋に居候したことで、「変化」を余儀なくされた。雨月といたらできなかったことである。そして、秋彦は春樹に「俺を見ろ」となんども言う(前述したが…)。横並びでは春樹と分かり合えないとわかっているのだ。春樹とは「見」ているものがちがう、だから新しいものも見える。でも、雨月ほどにぴったりとはわかりあえない。

つまりは、秋彦が人生の方向性を考えた時に必要なのが、どっちであったかということであろう。これまでは雨月が必要だった、これからは春樹が必要だった。どちらも欠けてはならない。
真冬がその体の中に由紀を抱えて生きていくように、秋彦の中にも雨月はあり続ける。人が生きていく上で必要な「人」はひとりではないのだ。

ちなみに、雨月はオーディションのギヴンの様子を「見た」上で、春樹に注目して
「この男か…」
と、何かを納得している。
表面的に捉えれば、「秋彦の次の男はこいつか」に読み取れるが、「この男が真冬や秋彦に化ける「きっかけ」を与えた男か…」と言っているようにも思える。春は生命を育む季節なのだ。春樹が持つ力で変化した秋彦を、雨月は「見て」、彼との離別を確信する。
雨月にもいつか、誰かの恵みの雨、になれる日がくることを願ってやまない。

ちなみに、秋彦が春樹へを真剣に意識しはじめるのは、おそらく春樹が髪を切った姿を「見た」時だと思っている。それまでは「惚れられている」という奢りのようなものからの甘えで、勝手に「俺の居場所」認定していただけに過ぎなかったのが、春樹の想いを形として「見た」時に、ようやくその大きさを知ったというところだろう。やはり、春樹と秋彦の関係性には「見る」ことが重要なのである。


だいぶ長々と書いてしまった…自分でも何を書いたのかよくわからないくらい書きなぐってしまった。とにかく、春樹と秋彦のエピソードが最高だったと言いたい…それだけのはずだったのだが。

秋彦との関係によって、春樹の感受性は開花した(もちろん鈍いところは残るだろうが…)。これはギヴンというバンドにとっても大変良いことであろう。秋彦にはこれに懲りず、きちんと言葉にして、春樹を「目」と「耳」で安心させて欲しいものだが、きっといろいろあるだろう。そのいろいろが、ギヴンの音楽をさらに磨いていってくれることを期待しつつ…

あとはぜひ、秋彦に「変わりたい」と思わせた、春樹に「もう一度恋をしよう」と思わせた、ギヴン2曲目のオリジナル楽曲を、アニメ二期で拝聴したいものである。

※映画ギヴン考察として、村田雨月についての追記記事↓(2020年8月)

長文にお付き合いいただきありがとうございました!

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