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ありがとう東京03、わたしはコントを知らずに生きてきた

最近人と語れる分野に「お笑い」というレパートリーが増えた。正確には「関東のコント師」。

親がお笑いをあまり好かないのもあって、高校まではテレビでもコメディ・バラエティの類は全然見なかったし、youtube見すぎて通信速度制限になった、という友達の話も全然ピンと来なかった。学校でみんなが流行りの芸人を真似ているのを見て聞いて、「へ~こんなのが流行っているのか」と知る程度だった。

ところが、大学の友達、一人暮しの部屋に寝袋を置かせてもらうくらいしょっちゅう遊んでいた大阪出身のその子にお笑いの魅力を説かれ、じんわりハマりだしたのが去年の冬。気づけば、取り返しがつかないほどのお笑いファンに・・・。やっぱり生でしょ!と思い、ライブにもせっせと足を運ぶようになった。

元々わたしはものや人にハマると突き詰めたくなる微オタク気質、かつ偏愛にあふれた人間なので、昔から色んなものに心酔し、誰よりも深く理解したいと願い、アホみたいな時間のかけ方をして・・・というのを繰り返して世界を拡げてきた。そしてこのたびのターゲットがコント、とりわけ東京03で。もうかれらなくしては週末が成り立たない。

そんなわけでファン歴はめちゃくちゃ浅いわけだけれども、喋りたくて喋りたくて仕方がないので筆を執る。

0.東京03

正直一つ挙げるなんて困難なのだけど、すごく「03らしい」のはこれかなぁ~。すごい!!!と感動したのは「小芝居」というネタ。(でもコンテンツって人に勧められて見ても面白くないというジレンマはありますよね・・。)

東京03のコントはとても大人っぽい。「みんな心のどこかで思ってる(けど大人だから決して言えない)こと」や人間の根源的なダメさを基軸にしたプロットに、たったの一言で力関係と空気をがらっとかえる巧妙な構成・展開。それを支えるずば抜けた演技力。洗練された間合い。そこに3人の素の性格がいい隠し味になって、この心を掴んで離さない。
バナナマンの設楽さんが、先日とある番組で「古新しい」と形容していた。コントの基本の型を踏まえたうえで、つねに新鮮さを取り入れる。挑戦を続けている。大人っぽいけど、新しい。まさしく。
人間の愚かしさ、哀しさ、滑稽さ、それゆえの愛らしさを取り出し、透き通るまで煮詰めたのが東京03のコントです。といちファンが言い切るのも大変におこがましい気もするが、喜劇とお笑いと小説のいいところを結晶させた、人間愛あふれる爆笑舞台芸術なのである。

さらにネタのバランスをとっているのが、「あるある」と「ないない」の比率の妙。場面設定や、細かいキャラクター設定は基本的に「あるある」。本人たち自身のエピソードや聞いた話など、実体験をネタにすることも多いからまず現実味がある。怒るポイント、ひっかかる言動、うんうんあるよね、こういう人いるわーーー。そこに、思ってても言えない感情やら、人間関係のちょっとしたひっかかりが重なり、ブチ切れるヤツが出てきて、なんだかどんどん歯車がかみ合わなくなってしまいには、もうとんでもないオモシロ展開にずるずるずるっと引き込まれて時間を見れば余裕で2、30分経っている。

リーダー・飯塚さんの、コントへのまっすぐな愛と美意識も好きだ。コントの正解はお客さん笑いの量だけが決めると言い切り、実際に3人で笑いを取り続けている姿にはやっぱり、シビれる。25年もコントを書き続けていたら、どうしたってじぶんの笑いはじぶんが決める、となってしまいそう、それなのに主導権は永久にお客さんにあって、ネタの適切な間合いもライブごとに違うらしい。(ちなみに角田さんはその匙加減はゼロだそう。笑)
今回は触れないが、03を支えるコント参謀、構成作家・オークラさんの存在も03を語るうえでは欠かせない。

それにしても、なんでこんなに彼らのお笑いを観てしまうんだろう。
「分別のついた大人」を演じるように生きるうえで隠している、心の動線および自意識を目の前でなぞられる、ある種マゾヒスティックな快感か。
言えないことをずばり言っちゃう彼らみたいに、素直になってみたいからか。
じぶんや他人のダメさや弱さを、じつはもっと愛したいからなのか。

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03を観るようになって、よかったことが2つある。ひとつは、人生がもっと楽しくなったこと。日ごろ出会うニガテな人、意味不明で理不尽な出来事、じぶんや他人に対するいらいら、そのすべてがコントになる。べつに、どこに発表するわけではないが「うわうわ!03のコントみたい!!」で大概のことがオモシロ体験に昇華するので圧倒的におすすめしたい。

ちなみに人の愚痴やちょっとした失敗をポップにしたいときにも使えるぞ。(※ポップにしちゃいけないときもありますがね)
「バイト先の愚痴大会がひどくて本当にいやになる。他人の作業効率の悪さを意気揚々と指摘している人が、実はぜんぜん仕事できない人でさ…」
「もうそれ、コントじゃん」

先に「寝坊した、30分遅れる」と連絡したAを非難しつつ、じぶんもうっすら遅刻してきたBに贈る言葉は
「ナイスコメディー」。

汎用性、抜群。

もうひとつは、面白いと感じるものごととその理由をはっきりと自覚できたから、面白いものだけに笑い、面白くないものへの愛想笑いが減った。(これはいいことなのか不明。)逆に言えば、自分のオモシロセンサーに対して正直になれたことで、いままで「別に面白くはないがここは笑ってあげたほうがいいんでしょう、」と、周りに合わせて笑っていた場面が意外に多かったということに気がついた。そして自分がそういうのにはあんまり笑いたくないタイプであり、意外とモヤモヤしていたということにも気がついた。元々無愛想だしね。
もちろん別に面白くはないぞと思ったうえで笑うこともある。人間関係ってそういうもんでしょ。でも、じぶんの感情を一旦ふまえるという認知のステップはすごく大事だな。笑うか否かをきちんと選択することでストレスが軽減するという意外なライフハックだった。

まあ難しいことはよくて、今日はとにかく大好きなコント師についてひたすらに書き綴りに来たのだった。芸歴もバラバラだが彼らはみな、心地よく日常をずらしてくれる。コメディアンって、すごい。心からそう思わせてくれる人たちです。


1.シソンヌ

有名どころから。シソンヌは単に爆笑する、というよりも、感心して圧倒されてしまうコントが多い。設定、演技、触れにくいもの・タブーの織り込みかた。このコント、最初見たとき「天才!!!」と思った。
「ひきこもり」という、言ってしまえば社会問題ど真ん中を、笑いに変えるのは難しい。それを「ひきこもりらしからぬひょうきん者の息子」という設定だけで、こんなにもポップに、だれも傷つけることなく、家族のあり方について訴えかける。

「仕事バリバリしてるけど、一切実家に寄りつかない息子と、いまの俺、どっちがいいと思う?」
軽やかに、しかし実にあざやかに、世間的なよさ、みたいなものを問いに付す。

「別に悪いことじゃないけど、なんでお前…そんなに明るいんだ?」
「うーん、~~~じゃない?」(ぐっとくるセリフ。最後の方。動画見てください)

こういうぎりぎりのラインを攻めて、表面的なあげつらいや直接的な風刺に終始せず、なおかつしっかり笑いも取る。稀代の天才にしかできない離れ業だと思う。もし上の「うちの息子、実は」を見てくれて、面白かった人にはこれを。まさかの葬式コント。笑えて泣けて、感心して、感情がぐっちゃぐちゃになる新タイプのコントだ。

「さとし、白飯宣言。」
ここに込められた文学性はたまらない。

ネタを作っているじろう(「別れ」のサムネ向かって右側)は、芸人1年目の冬に大好きだったお母さんを亡くしているという。じろう(が演じる女性・川嶋佳子)著『甘いお酒でうがい』という日記のかたちをとった本のあとがきに、以下のようにある。

悲しみをいかに笑いに変えるか。気がつかないうちに、それが自分の作るネタのテーマになっていた。この日記に付き纏う物悲しさ。これはやはり母の死が原因なのだと思う。(中略)川嶋佳子はとにかくついていない。しかし彼女は自分の不運を客観的に見て、自分に舞い降りる不幸に意味を持たせることで日常を楽しんで生きている。その姿勢こそが僕がテーマに掲げていることであり、この日記に触れた方に伝えたいことなのである。
些細なことにいらいらして何になる。声を荒げて何になる。起きてしまったことはもうどうにもならないのだ。

クセになっちゃう。今年の単独、「neuf」もよかったよ。


2.ジェラードン

構成や演技やテーマに支えられたお洒落な笑いを提供する東京03やシソンヌの一方、こちらは「キモさ」を基軸にしたキャラクターコントと理解不能な世界観で中毒性のあるトリオだ。どれも思わず「うわぁ、、」と漏れる、華麗なる気持ち悪さ。だからこそ、ツッコミ・海野くんの普通過ぎる、というか雰囲気イケメンという芸人としては若干のマイナス要素が完全に面白くなるし、「え?」というこの世で最もシンプルなツッコミだけで笑いをかっさらう。

わたしが一番好きなコント「深夜のオフィス」(誰にも見られていないことをいいことに、オフィスをパンツ一丁で暴れまわる興奮を味わうヤツが2人も出てくるネタ)がyoutubeに載っていないので、代表的なこちらを。

ふつうのコントもおもしろいのだけど、クオリティはともかく謎の世界観が炸裂している「海野くんとおともだち」とか映像コント(youtubeに上がってる)も中毒性があってズルい。

無理やりシソンヌの話とつなげるならば、ジェラードンも「ぎりぎり笑える気持ち悪さ」を攻めている。たぶんこれ以上気持ち悪くなったら引いちゃっておもしろくなくなる(実際、引かれちゃうこともままあるとか笑)。西本さん(ベランダにいるおっさんの方)曰く、本気出したら今より全然キモくできるらしいので、そのバランス感覚はある種天才なのやも。

3.ラバーガール

世界観といえば、ラーバーガールは外せない。「飄々としたボケ」と形容されることが多いが、それよりも「ボケのずらし方のアルゴリズムが他と違う」という感じ。発言がいちいちぶっ飛んでいて、「いやいやww」というより「は?!?www」って言いたくなる。ツッコミの飛永くんが敬語使うも好きだな。

大水くん(ボケ)の、ひょろりとしたスタイルにいまいち感情の読めない表情。この得体の知れない感じは天然なのかしら。すごいなあ。

4.もっともっと売れてほしい。GAGとザ・マミィ。

最後に、わたしがもっともっと売れてほしい、いや売れるぞ絶対に、と思っている人たちを。

キングオブコントで4年連続決勝入りを果たしたGAG。「男のダサさ」をコンセプトにしていて、まあわたしは女であるのでイメージでしかないのだけど、そういう人間の根っこの部分にあるダサさを愛している。ツッコミが独特で好き、ちょっと説明的すぎるときがあるけど。

以下のコントも好きだが、「芸人の彼女」というネタで「女芸人をブスだと笑うこと」それ自体を笑う、という構図のものがあって。時代がかわってんだなぁ。


それから、ザ・マミィ。コント村(ハナコ、ゾフィー、かが屋、ザ・マミィで構成されたユニット)のなかでも一番好き。マミィ。ザマミィ。マミィ―。口ずさみたくなるコンビ名。ゾフィーからもらってきたという「ィ」が可愛い。ここまでも個人的な偏愛ぶりを晒してきたが、ザ・マミィはとりわけ肩入れしてしまう。

マミィのコントは酒井さんの強いキャラを売りにしているものの、その滑稽さのなかにいつも哀しさがあるんだ。「この人マジでやばい」というより「なんか理由があるのかな」「こうするしかなかったのかも」なんて思ってしまったり。でもやっぱり、有無を言わせぬ特徴的オモシロさ、酒井さんの酒井さん性みたいなものの前にわたしは跪く(=爆笑する)。林田さんの控えめで戸惑い気味のツッコミもこれまた心地よくて。東京03でみたいな即時爆発型ツッコミ(?)に慣れていたので、「へええなるほど!ツッコミが、立場的に&勢い的にも負け続けてても面白いんだ!」と新鮮だったのを覚えている。

2018年に卯月というトリオを解散して、そのうちの2人だった酒井さんと林田さんでリスタートしたザ・マミィ、林田さんのいまの感情や考えてることがnoteに大公開されている。すごい時代。林田さんは長文欲を発散しつつ表現の滝行に励む。わたしはマミィが売れていく過程をリアルタイムで目撃できる。なんていい時代!!・・と興奮して、この前林田さんの記事全部読んでしまった。

自意識とコンプレックスのはざまに横溢したことば、って私が言うのもなんですが。かっこよくてかわいくて眩しい。コントしてる時のキラッキラの林田さんと、親近感とのギャップにくらくらする。この方があの愛すべき酒井さんと一緒に仕事してるという事実にもグッとくる。この2人絶対売れてほしい。この前テレビの企画でマミィが食虫植物を売ってたので会ってきた。最高だった。

中学の時から常に第一線で活躍してきたルーズリーフの扉におサインを・・書きながら「バカになっちゃうよ??」って酒井さんが。いいじゃない。バカになろう。

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ここに来て、結局思索をひろげてしまいますが

コントを好きになってわかった。やっぱり誰かを踏みにじることでしか成立しない笑いって面白くない、正確には「わたしはそういうの、ダサいと思う」。所謂「誰も傷つけない笑い」至上主義者だからでもなければ、社会問題をやってるからとかでもない。そんな明らかなる「弱さ」でしか笑いをとれないなんて、シンプルにいけてないと思うだけだ。そんな自分の中でのポジションを確立しつつある。

わたしは社会問題に強い興味があって「やさしさ」ということを一つのテーマにしているので、お笑いにハマり散らかしている話をすると意外だ、最も遠い世界じゃないの?などと驚かれることがしばしばある。たしかにお笑いやバラエティといえば人のコンプレックスをあげつらって嗤い、ときには笑われるいわれのない一般の人までバカにして、低俗な「お決まり」の流れに、困ったら下ネタ。という否定的なステレオタイプもあながち間違いとは言えない。バラエティにはその文化はまだまだ根強いし、そういうの、正直言って結構笑っちゃうんだよね。本能レベルでおもしろい、って思っちゃう。そんなにできた人間じゃないから。

でもさ、弱いものいじめというか、マイノリティを笑いの対象として一方的に消費するのは単純にダサい。そんなことは誰にだってできる。そうじゃなくて、権力関係をひっくり返すのがプロの仕事じゃない?
人やグループ、権力、「常識」や「あたりまえ」でもいい、とにかくこの社会で強いと思われているものの都合の悪いところを炙り出し、弱さをつっつき、茶化して笑いに変えるのがコメディアンじゃないのか。負け犬の遠吠え?強者への見苦しい嫉妬?そんな外野の声はどうでもいい、どうでもいいからそのコントを、漫才を、トークを、誰にも文句を言わせないほどの芸術的な面白さにまで昇華させてみてよ、って思う。

笑わせるのは、泣かせるよりも考えさせるよりも、桁違いに難しい。型はあれども正解はないから。だからこそ、今日も愚直に笑いをつきつめようとしているコント職人をわたしはずっと応援したい。お洒落で心揺さぶられるコントに、ずっとずっと出会い続けたい。


ライブに行くと、コロナでもAIでもコントは死なないということを確信する。人間が、ちょっぴり自嘲気味に、それでもたのしく、人間のことをやるのがおもしろい。でもAIが「AIあるある」とかやりだしたらそれはそれで面白いかもね。



しかしなぜ、お笑い好きは女性が多いのでしょう?
お笑い芸人は男性が圧倒的に多いから、という理由だけではない気がしている。



(サムネ画像:飯塚さんツイッター@iizuka03 より)




*不定期更新* 【最近よかったこと】東京03単独公演「ヤな覚悟」さいこうでした。オタク万歳