インドで夜行列車に乗り遅れた話(2010年)

ちらっとボイス(というかツイッター)のほうにだけ書いたけど、
けっこう貴重な体験をしてきたので忘れないように日記にも書いときます。

先日の旅行で、ヴァラナシからデリーに戻る長距離夜行列車を乗り逃がしました。
列車の出発は深夜0:40。
ヴァラナシ駅に23:20頃着いてしまい、電光掲示板でホームの番号だけ確認した後は、
駅舎の片隅の地べたに座って本を読んで待っていました。
ヴァラナシ駅はかなり大きな駅で、深夜を過ぎてもものすごい人。
 昼間のヴァラナシ駅
駅舎の中で寝起きしてる人が数百人ひしいめいている中、
東洋人の若い女が一人で本を読んでいる様子は注目の的でした。
(インドの一般人は本なんて読まないから、何してるのか聞かれたりもした)

0:30を過ぎたころ、念のためホームに移動。
周囲のインド人にホームの確認をしつつうろうろしていたら、
ベンチに寝転んでたインド人(英語カタコト)が
「ホームが変更になったよ」と言いつつ、移動していくではないですか。
半信半疑でついて行こうとしたら、別のインド人が私に「ここで大丈夫」と
流暢な英語で声をかけてくれました。
このインド人が、一緒に電車を乗り逃がすことになる二ーラージさんです。

二ーラージさんはインドの大企業、TATAの社員さんで
インド人には珍しくインド訛りの少ない英語で話してくれるため、
かなりおしゃべりが弾みました。
0:40頃、隣のホームにニューデリー行きの列車が止まっても、
「あれは僕たちの乗る電車のひとつ前のやつ」と教えてくれ、
私はのんきにいい人に会えてよかったなぁと思っていました。

ところが1時間近く過ぎても電車が来る気配がない。
インドでは数時間の遅れはざらなので
ツイッターにこんな書き込みをしつつ鷹揚に構えていたのですが、

[m:158]ヴァラナシ駅のホームで電車待ちなう。ただ今50分の遅れ…ま、こんなもんだろう!
 (5:02 AM Sep 23rd Keitai Webから)

二ーラージさんが駅員さんに確認に行ったところ、
戻ってきた彼が険しい顔で一言「gone(行っちゃった)」。
「What's Happen(何が起こったの)?」と聞いても「わからない」と吐き捨てられ、
とりあえず現状を把握するため二人で駅員室に向かいました。
そこで、実はさっき隣のホームにとまってた車両がそれで、
電車はきちんと時間通りに来て出発してしまっていたことが判明したのです。

次の電車は昼の12時発とのこと。
さっきホテルはチェックアウトしてしまったし、
12時間以上もどうやって時間つぶせばいいの。。。
それ以前に、手持ちのチケットが無効になってしまったため
予約をとり直さなくてはならないのに、
人気路線なので取れるかどうかもわからない。
二ーラージさんの機嫌もずーっと悪いしで、途方に暮れていたところ、
駅員室にいた謎の男が「きみのことは何とかしてあげよう」と言いだしました。
最初駅員かと思った謎の男はどうやらリキシャドライバーで
彼が「モーガンサライ(隣の駅)までリキシャで行って、
そこから朝5時発の列車に乗るのが一番早い」と教えてくれたのです。
旅行者で次の日の予定が何もない私と違って、
次の日に仕事が控えている二ーラージさんはどうしても早めに帰りたい様子。
駅員でもないこの男を信じていいのか? ていうかモーガンサライってどこ?
おとなしく12時まで待った方が安全なんじゃないか?
そう思いつつも、ドライバーと二ーラージさんの交渉(ヒンディ語なので内容不明)を
見守るしかありませんでした。

ところで駅員室には、もうひとり日本人の女性が座っていました。
彼女はスリナガルに向かう電車に乗らなくてはならないのに、
駅員さんにニューデリー行きのを教えられ、
途中で気づいて慌てて降りてきたという経緯で、
ここで既に数時間遅れているスリナガル行きを待っていたのでした。
何が言いたいかというと、つまり、駅員さえも信用できないということ。
だったら、一か八かでモーガンサライに行ってみよう!と
二ーラージさんとともに駅を出たのです。

歩き始めてから初めて、二ーラージさんが
「僕のせいで乗れなくて悪かった」と謝ってくれました。
ま、私も最初はちょっとそう思ったけど、根本的には自分の責任。
「気にしないで」と返し、そんなことよりモーガンサライまでのリキシャ代金と
新たにとり直さなくてはならないチケット代金をふっかけられたらどうしようと
そっちのほうがよっぽど気になっていました。
途中「お金を下ろすから」と二ーラージさんがATMに寄ったりしてるのを見ても
一体いくらで話がついたんだろうと不安が募りましたが、
「モーガンサライまでいくら?」と聞いてみたところ、
「お金のことは気にしなくていい」と言ってくれるではないですか。
確かに一人でも二人でも料金変わらないだろう、とお言葉に甘えることにしました。

人通りどころか車通りすらない真っ暗な夜の町をリキシャが走り出します。
時刻は深夜2時過ぎ。
モーガンサライがどこなのか、リキシャでどのくらいかかるのかも分からない。
一緒にリキシャに乗ってるおっさん二人の正体もわからない。
しかし私はこの時にはすでに腹をくくっていました。
こんな経験めったにあるもんじゃないし、
万が一このまま日本に帰れなくても別にいいや、と。
好きなことすべてやって生きてるから人生に悔いはないし、
どうせ日本に帰っても放り出すこともできない膨大な量の仕事があるだけで
ここでやむを得ない事情で帰れなくなれば仕事をやらなくて済む!
そう思ったら楽しくなってきて、
「Bad・・・」と呟いて頭を抱える二ーラージさんが何度も謝ってくるのに、
「気にしないで。わたし夜のドライブ楽しんでるよ!」と本気で答えたら、
ドライバーが噴き出し、二ーラージさんもやっと笑ってくれました。

そこからはなごやかムードで、
通り過ぎる町のガイドをしてもらったりしつつ、
<photo src="v2:653900335"> ガンガーにかかる橋を渡る
約1時間後モーガンサライに到着。
ドライバーと二ーラージさんが「ここで待ってて」と駅に向かったので、
駅前のリキシャだまりに停められたリキシャの中で一人待機させられ、
周囲のインド人30人くらいの視線を惹きつけつつツイッターに書き込みしてたら、

[m:158]たいへんなことが起こった!
 同じホームで待ってたおじさんの言うことを信じて待ってたら、
 実は到着ホームが変更になってて、電車は定刻通りに発車したらしいのだ!
 つまり乗り逃したってことなんだけど!
 (2010年9月23日 6:14:36 Keitai Webから )

「急げ!」と言いつつ、二ーラージさんが駆け戻ってくるではないですか。
何とひとつ前の電車がちょうど止まってて、それに乗れそうだとのこと。
慌てて荷物を抱え上げ(こういうときのためにも荷物は小さく!)、
並んでるインド人の列を押しのけて二ーラージさんがチケットを買い
(↑こういうところインド人である)、
遙か彼方の16番ホームまで全速力で駆ける。
ホームにたどり着いてもすぐには乗れない。
長い長い長い列車の中間あたりに立っている車掌さんに交渉して
空いている寝台を融通してもらい、
ようやく自分の席に座りこんだその時、列車が動き始めました。

間に合った・・・・しばらく放心。
そこで気づいて「チケット代いくらだった?」と彼に聞いたら、
「そんなことより」と、二ーラージさんが荷物を脇に置き、
「間に合った!おめでとう!」と喜びのハグをしてきました。
私のポジティブシンキングが二ーラージさんに感染している!!(笑)
ひとしきり自分たちの健闘をたたえあった私たちは、
深夜3時過ぎで寝静まる周囲の迷惑も顧みず、
検札に回ってきた車掌さんに記念撮影まで頼んでしまいました。

恐れていた追加代金ですが、乗車賃は二ーラージさんが出してくれたので
私の負担はエアコン付き2等の特急寝台料金650ルピーほど(1300円くらい)。
<photo src="v2:653900540"> 乗車券と車掌さんの手書き指定席券
本来乗る予定だったのが約300ルピーのエアコンなし2等寝台車だったため、
お金が足りるかとしきりに心配されましたが、
わたし日本人だし36歳だし働いてるし、
もしかしたら二ーラージさんよりお金持っている・・・
でも相手は大企業TATAのエリートだったから
リキシャ代と乗車賃だけ甘えちゃった[m:58]

列車は順調に進み、二ーラージさんは自宅のあるLacknowに向かうため、
7時半ごろ途中のKanpurで列車を降りていきました。
その直後、新たな事件が起きました。
となりの個室(3段ベッド2つがカーテンで仕切られている)の軍人さんが、
私たちの個室のコンセントで勝手に携帯電話の充電をしていたのが、
なくなったと騒ぎ始めたのです。
私は爆睡、もう一人の青年は手洗いに席を立っている最中のことでした。
乗務員を連れてきて各寝台をあらため、青年の荷物を開けさせての大捜索。
にもかかわらず、私には「何をしてた?」「寝てた」のみで完全スルー。
二ーラージさんの電話番号は言わされましたが、私の寝台は探しもしない。
これまでインドを旅してきた日本人旅行者たちの築き上げた
日本人の良いイメージに感謝しました。
日本人は盗まれたり騙されたりはしてもその逆はほとんどしないもんね。

その後も1時間おきくらいに軍人さんはやってきて、
何度も何度もうちの個室の家探しをしていきました。
最終的に携帯は見つからず犯人もわからず、
途中で乗ってきた朝刊売りかサモサ売りかな…という結論に達したようです。
軍人さんの青年に対する横柄な態度に、インドの身分社会を痛感しました。
はっきり言って携帯から目を離した本人が悪いと思うのですが、
インド人でも裕福な人たちは騙されたり盗難にあったりするんですね。
余談ですが、私がヴァラナシでプージャを見た船が100ルピーだったと知った
二ーラージさんが驚愕してたので、やっぱりボラれてたか・・・と思ったら、
「僕は200だった・・・」とのこと。
もしかしたらこの人はおぼっちゃまで少しとろいのかもしれません^^;

デリー到着は15:00頃だというので、
寝たり本読んだり寝たり本読んだりを繰り返していました。
同じ個室の青年(私に風邪をううした)が
駅からどうやってホテルに行くのかを聞いてきたのですが、
「歩いていく」と言ったら「遠いから無理だ」と返され、
歩いたことのある私には彼が何を心配してくれてるのかさっぱりわからない。
これまで言葉が通じないと自分の英語力のなさを悔やんできましたが、
二ーラージさんとのスムーズな会話でわかったのです。
私の英語はそんなにダメじゃない、インド人の訛りがきつすぎるのが悪いんだ!と。
ここで彼が何言ってるかわからなかったため、最後の事件が起きました。

電車がニューデリー駅に着かなかったのです。
私が乗れたのはデリー郊外の別の駅行きの列車だったらしい。
周囲の人が降りていっても車両に残ってたら、
乗務員にここが終点だからと下ろされ、ポカーン。
駅員にニューデリーまでの行き方を聞いたら
「メートル・トレインに乗れ」と言われ、さらにポカーン。
よくわからないけど、とりあえずニューデリーまですごく遠くはないらしい。
駅を出て、周囲の人にメートル・トレインの乗り方を聞くと、
少し離れたところにある別の駅を教えられました。
建物は見えてるけど道がないため行き方が分からず、
人の波に乗って路地裏を通り抜けて何とかそこにたどり着き、
現在地がアーナンダ・ビハール駅であること、
メートル・トレイン=メトロ・トレインだということが判明。
インド人の発音って…!!
<photo src="v2:653900446:l">
駅名を覚えるために撮影

そこからニューデリーの中心地コンノート・プレイスまでは11駅。
コンノート・プレイスから安宿街パハール・ガンジまではリキシャで10分ほど。
無事シゲタトラベルまで戻ってきたときには夕方の5時を回っていました。

長い、長い旅でした。
重いからという理由で「地球の歩き方」を持っていかない私が悪いんだけど、
さすがにここまで手探りだと疲れます。
でも本来の列車に乗っていた到着予定時刻12:30から
たった5時間ほどしか遅れずにたどり着けてものすごい達成感。
日本では起こり得ないイベントに遭遇し、自分のレベル上げが出来るのが
旅の最大の魅力だなと改めて実感した、今年の夏休みでした。

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