2024/7月の振り返り
ざっくりとした振り返り
僕が"Joi"こと、伊藤穰一氏のことを知ったのは、小学3年生のころだったと思う。確か、EテレのスーパープレゼンテーションというTEDを見る番組で、サブナビゲーターが吹石 一恵さんの頃から僕はその番組を見ていた。
日本一過疎化が進んでいた田舎町に住んでいた僕にとっては、いつも東海岸のボストンから届けらえる情報にとてもワクワクして、毎週録画して見ていた様な記憶がある。
その後、田舎から金沢に引っ越し、月日は流れ高校生になった時、日常が単純化していく感じがした。例えば友達と何かしようとなっても、みんなテスト週間とか受験になると辞めてしまって、よく僕はひとりになっていた。どれだけ好きなことをやろうと思っても、みんな結局は将来を考えて動くんだなと思ったし、同時に、この連続が社会なんだろうなと思った。この後高校を出て、どこかの大学に入っても、また大学のテストに追われ、大学を出ても、どこかの会社に就活して、会社に入っても、昇進ゲームが始まり、みたいな、明示的ではないんだけど、ゆったりと流れる圧倒的な社会の渦のような、暗黙的な空気を察した。n個目のステージをクリアしても、n+1個目のステージが出現して、周りはそれを攻略することに夢中になり… それに永遠振り回される人生になるんじゃないかなと悟った。
そんな将来を悩んでいた時にJoiのWikipediaを見て、人生何でもありなんだなと思った。何せ、大学は3度も中退し、起業も失敗し、借金を背負ったり、シカゴでDJして稼いだりしたという苦労人(?)なのに、MITの教授になったり、有名企業の社外取締役を歴任しまくったり、Creative CommonsやMozillaのようなプログラマーなら誰もが知る団体の中心人物も歴任したり... 。
JoiのWikipediaを読むと誰もが思うだろうけど、もはや人生何でもありなんだな、と、とても救われた気がした。
人生は電車のようなものだなとつくづく思っている。コミュニティという電車に乗り、ある人は卒業まで待てずに途中下車し、ある人は転職のため乗り換え、ある人は気づいたら逆戻りしたり、行きすぎたり、永遠待っても電車が来ない人もいる。
だけど、Joiの生き方を知り、人生は一回間違えたら終わり(ex:浪人, 就活失敗, 離婚…)という一直線の軸というモデルよりは、別に何回間違えてもいつでも自分の行きたい場所に行く、レジリエンスが高い東京の路線網のモデルの方が正しい考えるようになった。
(残酷だが、知ってる路線の数は直接的に言えば人的ネットワーク、究極的には色んな環境に飛び込む柔軟性(ex: 改宗、引っ越し頻度、結婚)がないと、永遠に空白のままのように感じられる)
田舎町から僕を連れ出し、42のようなwiredなコミュニティに連れ出してくれたjoiには、金沢の時には知らなかったさまざまな路線を教えてくれ、ある種信仰心に近い想いが募っていて、ずっと会いたいと思っていた。
そんな彼と、ついに話す時が来た。
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