大人になるっていうことは?
好きな絵本、というより自分の子供時代に何度も読んで、娘のための絵本でも再び手に取った絵本。
昔は特徴的な絵柄のイメージで、再び手に取った今は読むとなんだか考えさせられる絵本だった。
世間的には誰がどう見ても立派な大人の年齢になった私だけど、自分が思い描いていた28歳と大分違う。
というより自分が子供の頃に見ていた28歳の人達はとても大人だと思っていた。
いざ自分が28歳になってみると、28歳を思い描いていた中高生の頃からテンションに大きな差はないし、クールになっている気もしない。
大人になってみて大人を見渡してみると、大人って全然完璧じゃない。
大人になることを大層人が変わるような気がしていた幼い自分が見たら拍子抜けするような世界だ。
むしろ大人なはずなのに、、と思うような出来事が多い気がする。
絵本では、大人になるということ、を物理的な内容と行動的な内容でとってもシンプルに書いてある。
今読んでみると、
「あなたにとって大人になるとはなんですか?」
と問われている気持ちになった。
そうかぁー、と問いを受け取ってふんふんと考えてみるともんもんと考えてしまったので、久しぶりにnoteに残すことにした。
私にとって大人になることは、
"わからない" を知って、受け入れることだった。
小学生くらいの頃は自分が見たことが全てだった気がするし、中高生の頃は周りをわかろうとすることでいっぱいで、大学生の頃から少しずつ、"わからない"ことに目を向け始めた気がする。
"わかる"ということほど曖昧で難しいものはない気もするし、"わかる"と過信することは人を傷つけることも多いし、"わからない"と割り切ることは突き放すようにも感じる。
"わからない"ことが起きなかったり、決めつけやすい考えになるのは、環境にあまり変化がないとそうなりやすいのかなって考えたりする。
現に私は、いわゆるお嬢様学校に6年間エスカレーター式で通って、同じ家にずっと住んでいた頃は"わからない"ということについて考えたことはなかったし、考える必要がない環境だった。年齢的な未熟さもあって。
大学進学で上京して、それまでの15年間で与えられていた価値観が全然自分のものじゃないことに気がついて、初めて自分の価値観を右往左往し、発掘し続ける大学生活をした。
価値観再構築は結構苦しい時もあったけど、今となっては自分で築いた強固な軸となってくれた。
新しい軸、価値観として初めて父に見せたのが卒制だった訳だけど、それはいわゆる美術作品ではなかったし、目に見えやすい、わかりやすい形状ではなかった。
今思うともう少し改善したい点はあるけど、タイムスリップしても同じ卒制をする。
でも、それを見た父は激怒した。
それは私の価値観をわからないから。
自分の価値観と大分違うから。
自分の娘の価値観がわからないはずがないという気持ちからなのか、とにかく"わからない"から、激怒した。
自分の娘に対して"わからない"ということが起きないと思っていたのかもしれない。
決めつけたくなるものなのかもしれない。
親から見た子供は自分が育てたと思うから余計にかな。
当時私は"わからない"、から否定されて、激怒された時本当に酷く傷ついた。
わかってほしかった訳じゃない。
わからなくても、そうなんだね、って知って欲しかった。
その時、わかるって難しくて、"わからない"ってもっと難しいことなんだと思った。
そういうことをきっかけに、わからないことが起きた時、家族や大切な人に対して、決めつけたくないし、わかったふりもしたくないし、わからないからと突き離したくないなと考えるようになった。
わからなくても、知ろうとしてみたり、少し距離を置いて観察してみたりしたい。
わからなくても大切な人ならなるべく応援したい。
わかることが相手の全てじゃないし、愛=わかるじゃない。
今娘を育てていて、両親に似ているなというところもあれば、娘独自の行動もあってとても面白い。
どんな人生を歩むのか未知数な娘を応援したい。
わからないことでも、応援したい。
新米母はそんな親になれるように日々格闘中。
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