白い

それは本当に唐突だった。
自分とは無縁だと思っていた。
けれどある日から、身体が動かなくなった。
病気じゃない。いたって健康。
けれど動かなくなった。
毎日毎日天井を眺めた。
変わらない景色は私を慰めてくれた。

お前が一番だよ。
記憶の中の声が脳内で繰り返し響く。
お前が一番だよ、お前が一番だよ、お前が一番だよ。
そんな甘い言葉を真に受けて。いや、真に受けてはいなかったと思う。ただ、信じたかった。

「私が一番じゃなかったのかよ」
小さな声が喉を震わせた。
私を一番だと言ったあの人は、知らない女と結婚した。

このままひとりで天井を眺め続けていたら、きっといつか本当に動けなくなって、そして死んでいくのかな、なんてぼんやりと思う。
こういう時に助けを求められる友人はいない。私が自ら関係を繋げてこなかったせいだ。
すべて自業自得なんだ。だから今私は一人でいるんだ。

お前が一番だよ。
その言葉だけが何度も響く。
もう私は彼の一番ではないのに、その一言に縋っている。

「嘘つき」
なんて毒づいてみたところで現実は変わらない。天井は白い。外からは子どもたちの楽しそうな声が聞こえた。
私にもあんな時代があったのだろうか。屈託なく笑っていた時代が。
思い出そうとしてもその記憶は全く引き出すことができなかった。

何もかもなくしてしまったなあ、とぼんやり考える。今の私に何が残っているんだろう。
指折り数えたくても1本も動かなかった。
思いつくものが一つもなかったから。

両親は共に健在だ。
こんな私の状況を知らせるわけにも頼るわけにもいかない。ずっと迷惑をかけてきた。もうこれ以上心配をかけたくない。

なら起き上がって、やるべきことをやらなくちゃ。
仕事は無断欠勤を続けている。いつしか連絡も来なくなった。
動かないのだ。動けないのだ。

天井だけが私の視界にある。
変わらないでいてくれてありがとう、と心の中で礼を言った。

何も出来ないのに生きている。
終わらせる気力すらない。
みんなはどうやって生きているんだろう。
つらくなるだけだから、SNSを見ることはやめた。

「私って、人間?」
布団と一体になったまま笑った。笑いが止まらなくなった。
私って、人間?
面白いじゃん、と狂ったように笑う。

終わらせることもできず、かといって続けることもできず、生きるってなんて難しいんだろう。
でもみんな当たり前にやってるんだよなあ、と白い天井を見ながら考えた。

思考も止まればいいのに。
余計なことばかり考える。それは暇だからだと誰かが言っていた。

誰か助けて、なんて思っても誰も助けちゃくれない。ヒーローなんていない。私はヒロインじゃないから。

「あー」
うめき声の様な声が漏れた。
いいじゃん。だって天井白いし、いいじゃん。
目を閉じた。夢の世界はいつも破天荒で嫌いじゃない。
今日も動けないまま夢に落ちていく。
いいじゃん、まだ生きてるんだし、いいじゃん。

「面白いね、人生」

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