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【古文解説】道長と伊周、弓争ひ(南の院の競射)〈大鏡〉内容解説|万葉授業

こんにちは!
ばーちゃる古典オタクのよろづ萩葉です。

今回は大鏡より「道長と伊周、弓争ひ(南の院の競射)」の内容を解説をします。


大鏡とは

主に藤原道長の栄華について書かれた歴史物語。
道長の周辺の人々のことも詳しく書かれている。

道長の力を示す話が大鏡には数多く納められている。

背景

道長周辺の人物関係図

道長の父・兼家はとても強い権力者だった。
あとを継いだのが、長男・道隆。 
時の権力者の家の次期当主、という座は兄弟たちにとって喉から手が出るほど欲しいものだった。

道隆はもちろん、自身の長男・伊周にあとを継がせたいと考えていた。

しかし道隆は早くに亡くなり、そのあとを継いだのは兼家の次男・道兼
その道兼もすぐに亡くなる。

伊周があとを継ぐかと思われたが、
ここで兼家の三男・道長の巻き返しが始まる。

その結果、道長は栄華を極めることになった

人物

藤原道長

この世をばわが世とぞ思ふ望月の
欠けたることもなしと思へば

「この殿」
平安中期に政界のトップまで上り詰めた人物で、
この時代は道長とその息子・頼通(と、娘・中宮彰子)が牛耳っていた…
といっても過言ではないほど、強い存在。3兄弟の末っ子。

藤原道隆

「中の関白殿」
藤原兼家の長男。道長の兄

藤原伊周

「帥殿」
藤原道隆の長男。道長の甥
伊周は道長より官位が上だった。

語句

饗応し

機嫌をとり、もてなし

下臈

官位の低い者

同じものを、中心(なから)には当たるものかは

同じ当たるにしても、的の真ん中に当たるではないか。

無辺世界

とんでもない的外れのところ

意訳

南の院(道隆の邸)で、伊周が人々を集めて
弓の競射をしていた時のこと。

当時すでにライバル同士だった道長がやってきて
道隆は何事かと驚く。

おもてなしをし、道長の方が官位は下だったが
伊周は道長に先に矢を射させた。

すると勝負の結果、
伊周の矢数は道長より2つ負けてしまった。

父の道隆も、周りの人も、伊周を勝たせたかったので
もう1勝負するよう促す。

それを聞いた道長は不機嫌になるが
「それなら延ばしなさい」
と言って、また矢を射た。

その時に
「道長の家から帝・后が立つならば、この矢当たれ」
と言って射ると、なんと的のど真ん中に当たった。

次に伊周が矢を放つも、気おくれしてしまい手も震えて
的とは全く別の方へ飛んで行ってしまった。

それを見て道隆は真っ青になってしまう。

また道長が射る時に
「摂政・関白になるはずの者ならば、この矢当たれ」
と言うと、また同じように的の真ん中を捉える。

道隆は初めはわざわざ機嫌をとってもてなしていたのに
気まずくなってしまった。

父の道隆は、息子に
「なんで射る必要があるか。射るな、射るな」
と言って止めに入り、場は白けてしまった。

解説

この時、道長は左京大夫だったとあります。
そこから考えると、当時の道長は22か23歳。
伊周は14、15歳になります。

まともな勝負をするには、ちょっとおかしな年齢ですよね。
このことから、この話は作り話だとされているんです。

このように、大鏡には道長の偉大さを示すために
作られた話も多く収録されています。

ここで描かれている伊周は
父親に言われた通りに動く印象ですね。

その父、道隆は、「な射そ、な射そ」と
いかにも敗者のように描かれています。

対して、道長はライバルである兄の家に単身乗り込み
自分の栄華を予言しています。

いかにも大鏡らしい話と言えるでしょう。

動画


ご覧いただきありがとうございました🖌️

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