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兼家が花山天皇を出家に追い込む!?(花山院の出家〈大鏡〉)

こんにちは!
よろづの言の葉を愛する古典Vtuber、よろづ萩葉です。
今回は平安時代の歴史物語『大鏡』より、大河ドラマ「光る君へ」に登場する花山天皇が出家に追い込まれる場面を解説します。


内容の意訳

次の天皇は、花山天皇という人でした。
彼は17歳のとき、永観二(西暦984)年に天皇になりました。
驚いたことに、寛和二(西暦986)年の夜、彼は誰にも言わずに19歳で退位し出家してしまいました。
天皇でいた期間はたったの2年。退位してから22年もご存命だったということです。
出家した日は、とても気の毒でした。

当日の夜のこと。
藤壺の上の御局から外に出ると、有明の月がとても明るく、
「明るくて目立ってしまうから、気がひけるなぁ。どうしよう」
と花山天皇が言うと、
「だからって中止するわけにはいきませんよ。神璽と宝剣はすでに次の天皇・東宮の元へ移動させてしまったのですから」
粟田殿(藤原道兼)がせきたてます。
その理由は、まだ花山天皇が出てくる前に、道兼が自分で神璽と宝剣を東宮の方に渡してしまったので、
今さら花山天皇が宮中へ戻っては困る、と思ったからです。

月明かりが明るいと言って悩んでいるうちに雲が出てきて、辺りはうす暗くなりました。
「私の出家は成功するようだ」と言って花山天皇は歩き出しましたが、
いつも大事にしていた、去年亡くなった弘徽殿の女御(忯子)からの手紙のことを思い出し、
「ちょっと待て」と言って部屋へ取りに戻りました。
道兼は、
「出家するのにどうしてそんな未練がましい気持ちになるんですか。今を逃すと支障をきたしますよ」と言って嘘泣きをしました。

さて、道兼が花山天皇を連れて土御門から東へ向かっていると、安倍晴明の家の前を通りました。
中から声明の声がして、手を激しく叩いている音が聞こえます。
「天皇が退位すると思われる天変があったが、おそらくもうすでに退位されてしまっただろう。宮中に行って天皇に申し上げなければ!車の準備をしてくれ」と言っています。

花山天皇は覚悟していたとはいえ、いざ言葉にして聞くとしみじみと感じられたようです。
「急いで式神一人、宮中に向かってくれ」
と晴明が言うと、目には見えない何かが外へ出ました。
花山天皇たちの後ろ姿を見たのか、
「たった今、家の前を通り過ぎたようです」と答えたということです。

晴明の家は土御門大路と町口通りが交差するところにあるので、花山寺への通り道だったのです。

花山天皇と道兼は、花山寺に到着しました。
天皇が剃髪を済ませると、道兼は突然、
「ちょっと家に帰って、父(兼家)に出家前の姿を見せ、事情を説明してきます。そのあと必ず戻ってきますから」と言い出しました。
花山天皇は「私をだましたな」と言って泣いてしまいました。
かわいそうなことです。

常日頃から「花山天皇が出家したら自分は弟子として仕えます」と約束しておきながら、恐ろしいことに花山天皇をだましていたのです。
道兼の父・兼家は、もし道兼が天皇につられて出家してしまったら…と気がかりで、護衛をつけていました。
この人たちは都のあいだは隠れていて、鴨川の土手のあたりからは姿を見せてお供していました。
お寺についてからは、誰かが無理やり道兼を出家させないように、30cmほどの刀を手に道兼を守っていたということです。

人物紹介

花山天皇

984〜986年の天皇。
父親は冷泉院(在位:967〜969年)、母親は藤原伊尹の娘・懐子です。

弘徽殿の女御

花山天皇の女御。藤原為光の娘・忯子(しし)。
花山天皇が出家する前年に病気のため亡くなりました。

粟田殿

藤原道兼。兼家の息子。

春宮

懐仁親王。のちの一条天皇。
一条天皇の母は兼家の娘・詮子です。

晴明

安倍晴明。陰陽師、天文博士。
式神:陰陽師が使役する鬼神。陰陽師の命令に従って術を行うとされた。
晴明は式神を使うのが上手だったといいます。

大臣・東三条殿

どちらも道兼の父・藤原兼家のこと。

語句の解説

花山寺(はなやまでら)

今の京都市山科区北花山にあった元慶寺(がんぎょうじ)。

藤壺の上の御局

清涼殿の北側にある、后妃のための部屋。

神璽・宝剣

三種の神器の中の「勾玉」と「天叢雲剣」(別名「草薙剣」)のこと。
これは皇位継承のしるしの品でした。

鑑賞

自分たちの権力のため、天皇を騙して出家させてしまった親子のお話でした。

この時代は外戚政治が主流となっていました。
自分の娘を天皇に嫁がせ、その娘に次の天皇を産ませます。
そうすることで自分は天皇の祖父として摂政・関白となり、政治の実権を握っていたのです。

花山天皇は、伊尹の孫。伊尹は、天皇が4歳の時に亡くなりました。
その後、伊尹の弟・兼家は、自分の娘が産んだ皇太子を天皇にして、自分が外戚として実権を握ろうと考えたのです。
この花山天皇の出家は、兼家と、その息子の道兼が企てたことでした。

前年に花山天皇の妻が亡くなったことも、出家を決意するきっかけになったと考えることもできますが、亡くなった直後ではなく一年も経ってからのことなのです。
加えて「有明の月」、夜明け前の月が出ています。
隠れて出家するのであれば、夜明けではなく深夜に決行するべきだと思いませんか?
出発が夜明け前になってしまうほど、花山天皇は出家することを躊躇していた、と読み解くことができます。

花山天皇は、人間味のある純粋な心を持った人物として描かれていますね。
対して、道兼はずる賢い人物として描かれています。
父親の兼家は、腹黒く、個人的な護衛が用意できるほど組織力のある人物として描かれています。

この話は作者の意見が多く描かれていて面白いですね。
花山院の出家については『栄花物語』にも記されていますが、政治的な策略については触れられていません。
出家の理由は最愛の妻が亡くなったため、と書かれています。

どちらが本当なのか、実はどちらも嘘なのか…花山天皇については謎が多く、大鏡と栄花物語の記述は信憑性が低いとも言われています。

動画で解説


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