推し方のこと

「お花畑」オタクであろうとしている。きっとそれは幸せなことだから。

基本的には3次元の推しの人となりに興味がない。

声優の推しも、若手俳優の推しも、アイドルの推しも、アーティストの推しも、タカラジェンヌの推しも、私が推しを推している理由は、主に能力である。(私にとっての「能力」は、歌・踊り・演技などの技術力だけでなく容姿の整い方、声質などの性質も含まれている。)
私は、おそらく単純なオタクだから、推す理由が推しに備わっている限り、推しを推し続ける。推しが幸せならそれでいいとも思うが、私は、たとえ推しが絶望していても、推す理由が推しに備わっていればそれでいいのだ。推しが仕事を全うしてくれさえすれば良いのだ。死んでは欲しくないけれど。

私は推しに人間性を求めてはいない。人間性を感じようとは思わない。
容姿なり、技術なり、推しが推したる理由がそこにあればよい。
推しの精神状態には興味がない(心配になることはあるけれど。少し矛盾しているが。)推しの素行もどうでも良い。推しが裏で何をしてようが、何を言っていようが、何を考えていようが構わない。
推しに人間性を感じていないのだから、「推しが人として受け入れられない。無理。」なんてことは起こりえないのだ。
こういうスタンスのオタクは、ある意味で「お花畑」や「盲目」なのかもしれない。

でも限度はあるのだ。
「裏」で推しがどうしていようが、どうなっていようが、一向に構わないが、「裏」が表出してしまえば話は別である。
「裏」(「素」とほぼ同義なのかもしれない)が「表」に出てしまえば、否が応でも推しに人間性を感じてしまう。
こうなってしまえば、もう「お花畑」や「盲目」ではいられない。
「人間性を受け入れ難い」という感情持ってしまったが最後、もう推すことはできない。いくら推しの能力が魅力的であっても。

だから、推し、上手く生きて。
表の場(不特定多数の人間が見られるコンテンツ)では、表情管理しっかりして。
裏でいくらオタクをこき下ろそうと、異性関係が派手だろうと、行動や言動や性格が褒められたものではなかろうと構わない。
でもプロなのだから、それを隠しきって。表には出さないで。
自分は隠す努力をしていても、周りの人間から漏れることは往々にある。
あと、法にだけは触れてくれるな。

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