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いくら人生の調子が良くても人間死ぬ時は死ぬ。


この世が公平か公平じゃないかと聞かれたら、そりゃ公平なわけないと私は答えます。

生まれ持った身体に生まれてきた家、私達は全てが不条理な格差を背負いながらこの人生を生きていかなくてはなりません。

しかし最近ふと思ったのですが、一点だけ私達全ての人間がやはり平等だなぁと思える点を見つけるとしたら、
人間、逝く時は逝くと言う事です。どんなに人生が順風満帆だろうが充実してようが、死ぬ時はあっさり死にます。人生の絶好調と私達の人生の生き死にはほぼ無関係なので、新築を建てた翌月に旦那さんがぽっくり逝くことなんて当然あるわけです。

本人は勝手に”よし!夢の戸建ても買ったし、これからバリバリ人生上向きだぜ”と思っても、事故なのか病気なのかは分かりませんが、死ぬ時はあなたの人生のコンディションに関係なく死ぬわけです。むしろ人生が盛り上がってきた所での訃報になると余計に人生の非情のコントラストがはっきりするかもしれません。

数年前にスリランカに旅行に来ていた欧米の超富豪の家族がバカンス中に宿泊していた高級ホテルのレストランで、そう言った西欧の富豪をターゲットにしたテロリストグループに襲われて、確かその家族の子供が二、三人亡くなると言う事件がありました。楽しみのはずのバカンス中に家族が死ぬと言う事も普通にあるわけです。しかもその理由が自分が金持ちでそう言うホテルに泊まりに来たと言う理由で。

これは2008年に起きた超高級ホテルであるムンバイホテルで起きたテロ事件とも同じです。いくら栄華を極めたと思っても、予期せぬファクターXで死んでしまうのがこの世の知られざる事実であり、あなたの年収が上がったりすれば、命の危険が少なくなるわけではありません。むしろ狙われると言う意味ではリスクが上がるのかもしれません。

最近ふと人生は一回きりで、あっという間に自分も老いていくんだなぁと考えると、もっと切実にこの事を意識しないといけないなと感じます。それは、やりたい事をもっとやるとか、もっと好きなキャリアを選ぶとかそう言う事ではなくて、いつ自分が死ぬかなんて本当は誰も知らないんだよなぁと言う根源的なことです。

どんなに人生の調子が上がり調子でも、それは勝手に自分達人間が決めたルール上の好調であって、自然とかそういったルールとは全く無関係なんだよなと思います。
絶好調の時にぽっくり逝く事があるのがこの世界なんだと思うのです。オリンピック開会式前に2人の演出家のクビがそれこそ社会的にも飛んだのを見ても思います。
開会式の演出の仕事と言う絶頂から急転直下があるのがこの世界です。

どんなに人間のルールでお金やら権力やらをフル装備にしたところで、腹ペコのライオンや鮫の前に裸で放り出されたらどんな人間の価値も同じです。後はどいつが1番美味そうかだけの話で、逝く時は逝きます。文明や社会のルールにどっぷりはまっていると、自分も自然界の一部である事を忘れているだけです。自然から見たら突然死ぬ事すら自然な事でしょうか。

人間死ぬ時は死ぬ、それを思うと確かに根源的な意味では誰もが平等のような気もします。


今日のFirst take スティーブンAのおっさんの英語はこちらです。ルークジェイムスと言う歌手の方にインタビューしていますが、おっさんはおそらくこんなことを言っています。

ルーク、あなたはビヨンセやプリンスと仕事をしたり、音楽業界で素晴らしいキャリアを築きながらも、今は俳優のキャリアもスタートさせています。何故新しいキャリアをあなたの履歴書に追加しようと思ったんですか?


スティーブンA、スポーツとは関係ないミュージシャンへのやらされている感じありありのインタビュー、有難うございます。

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