20200401 diary

今日はエイプリルフール。
喧嘩別れした友人に、「あんたは嘘ばっかつくのな」とよく言われていた。

もちろん私は故意に嘘をついているつもりはない。
詐欺師とか、そういうのとは無縁なはずだ。

嘘、というより、話を合わせているつもりだった。



例えば、「寒くない?大丈夫?」と言われたとする。

もちろん寒いのだが、凍死するほどではない。我慢できる。
「(寒いには寒いけど)大丈夫だよ、(我慢できないほど)寒くない」と、返す。
でもだんだんと冷えきて、唇の色が悪くなってきたあたりで、
「大丈夫じゃないじゃん!寒いっていいなよ!」と怒られる。

私の中では我慢できるレベル。確かに寒いけれど、その代わりに楽しい時間が途切れたりして水を差されるほうがよっぽど嫌だった。
確かに暖かいところに行きたいけれど、みんながまだ外にいるのに自分だけ暖を取るためにその場から離れたくないのだ。


例えば、「○○ってキャラクター最近ハマってるんだ」と言われたとする。

私の好みではないが、その子が好きそうなキャラクターだし、一般的にみてかわいい基準は満たしている。
「(私のこのみではないけど)わかる、かわいいよね。」と返す。

その人の趣味嗜好に関して否定することはあまりしたくないのは私がされたら嫌だからだ。私が推しているものを、人から貶されたくはない。

時折、最初は興味がなかったけれどオススメされたものが、だんだん好きになっていくこともある。好きになる機会かもしれないのだから、それは奪われたくない。

だが、かえって、マネしていると受け取られることもある。
人がいいというものが好きなだけで、”自分が好きなもの”ではないのだと。




小さいころの環境もあってか、人と合わせることがいいことだと思って生きてきた節がある。
否定や拒絶が極端にへたくそなのだ。

好き嫌いは誰しもが持っているだろうが、私は好きなものも少ないし、嫌いなものも少ない。
ただ、どっちでもいいものはそれなりにある。


どちらがいいのかわからない、ようは優柔不断な性格なのかもしれない。
人に合わせているから、オリジナリティもない。

自分から光を放てる人が好きだ。太陽のような人。
私は、その光を反射して、なんとか輝く月だと思う。
照らされていないと、その実はクレーターまみれなのだ。


自分の意志を持って、自分の判断をし、表現をするのが中々に苦手だ。
経験則や、他人の体験、可能性の模索、いろいろ考えあぐねて、言葉ひとつ発することもないまま、時期を逃しているのかもしれない。

どうも不器用な自分がいてやるせない。







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