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20200405 最推しアニメが始まった

今日からアイドリッシュセブンのアニメ二期が始まった。アイドリッシュセブン、私にとっては大切なコンテンツなのだ。とても。


真性・りぼんっ子だった私は、もちろん種村有菜を見て育った。イオンから怪盗ジャンヌ、時空異邦人KYOKO、満月をさがして。毎月りぼんの発売日が楽しみで、雑誌を切り抜いてスクラップブックにして、コミックスもクタクタになるまで読んで、全員応募大サービスは必ず購入した。

中学生になって本誌を読まなくなって、ちょっとずつ離れていっても、種村有菜だけは特別だった。

種村有菜がりぼんを卒業するとき、ああ時代は変わっていくんだなと悲しんだものだが、却ってりぼんに囚われずに様々なコンテンツに関わることになっていって、りぼん作家としては稀有なまでに、特別な存在だと思う。

そんな中リリースされたのがアイドリッシュセブン。種村有菜が原画だ。リリース当初にダウンロードしたものの、なんとなくうたプリの二番煎じのように感じて、そのままアンインストールした。

それから1年経って、友人が「アイドリッシュセブン、めっちゃ面白いからやって!」と勧めてきた。なまじっか興味はあったので、言われるがままに再度インストール。

ナンジャタウンのコラボにも連れていかれて、2周年記念のグッズが並んでいた。その中で金髪碧眼の六弥ナギが気になって、キーホルダーだけ購入した。

六弥ナギは見た目と相反して、カタコトの日本語とアニメ好きなキャラクターが面白くて、でもここぞという時はしっかりとした一面もあって。メンバー思いで、音楽が大好きで、イケメン。だけど出自に少し影がある。

すっかりその魅力にハマってしまって、さっそくラフォーレ原宿のアンテナショップに駆け込んだり、アニONライブなどコラボイベントに足繁く通った。

やがて、誘ってきた友人が「三月も天にぃも好きだけど、四葉環が好きなんだよね」とだんだんと推しが固まってきたあたりで、「ゲームショウでコスプレしたいから、MEZZO"やろうよ!」と誘ってくれた。

MEZZO"はアイドリッシュセブンでも人気のグループで、やんちゃな四葉環と内向的な逢坂壮五による、凸凹コンビだ。初めは不調和は2人だが、お互い足りないところを補うように成長していく。

私は六弥ナギが好きだったが、ようやくゲームの方でも2部の終わりに差し掛かった頃で、件の「スクリュードライバー事件」があり、「逢坂壮五もおもろいやん」となってたところだった。

私は二面性があるキャラクターが好きなようだ。第一印象を裏切るような大胆な性格であったり、内向的で大人しいなりをしているのに、いざと言う時は周りも驚くような行動にでたり。真性・りぼんっ子に話を戻すが、「こどものおもちゃ」の紗奈ちゃんこそが私の原点であり、どんな辛いことも「お笑い」をもって立ち向かっていける子が好きなのだ。

やんちゃな四葉環と大人しい逢坂壮五も、ストーリーが進むにつれ、その内実は真逆であった、という展開も相まって、すっかり逢坂壮五担になっていた。

毎日毎日、アイドリッシュセブンのことでいっぱいだった。新曲が出れば0時きっかりにダウンロードして、コラボカフェがあれば応募した。コスプレも既製品衣装で飽きたらなくなったら、まったく初心者なのにミシンを買って試行錯誤して作成した。

その友人とも毎週のように遊んではアイドリッシュセブンの話をした。とはいえ、そんなに供給が多くなかったので、他のジャンルに手を出したり。こんなに毎日、自分の好きなことに熱中できたのは久しぶりだった。

小学生のころに半ば強制的に所属しなければならなかったクラブ活動に、漫画クラブというのがあった。好きな漫画の絵をコピーして、トレーシングペーパーでなぞり書きをしたり、上手い先輩だとセル画などを描いていたりした。その頃は、次の活動の時はジャンヌの絵を描こうとか、毎日あれやこれや考えて、毎日が楽しかった。

とはいえ、オリジナルの漫画家描けるほど絵も上手くなかったし、中学生に上がれば漫画やアニメは地味なやつが見るものだと蓋を閉めてしまった。そういった世間的な圧力に流されるように、好きなものも変わっていった。

大人になって、オタク文化が様々な媒体を通して浸透してきて、働き出してからは自由に使えるお金も手に入れて、好きなものを好きなだけ消費できるようになった。

毎日が新鮮で、毎日が楽しかった。
いつまでも遊んでいれたし、好きなことを語ったり、表現できるのが嬉しかった。


アイドリッシュセブンは私が蓋をしてしまった、諦めてしまった、「楽しい」をもう一度やり直させてくれたのだ。

もちろん一人だったらここまで楽しくできなかった。その友達がいたからだ。
とても大切な友達。

ユーモアがあって、行動力があって、好きも嫌いもしっかりと持っていて、弱いところも強いところも、共有できた友達。

とても大切な存在だった。

彼女なしに、この幸せな期間を過ごすことはできなかった。


なのに何故手放してしまったのだろう。

また、あの時と同じように、世間的な圧力に負けてしまったんだ。
好きなものを好きで居続けることが、またできなかった。

そうして、また地団駄を踏みながら、駄々を捏ねている。いつまでも変わらない自分に嫌気がさす。

もう一度やり直せたらいいのに。
でも時間は不可逆に過ぎていく。

今日から始まったアニメの二期も、たった一人でリビングで眺めていた。
語りたいことはたくさんある。
でももう、それはできない。

やりきれなさと共に月曜日がやってくる。

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