SNSに手を染める

家族の入院をキッカケに Twitterを始める。

兼ねてから古い友人より猛烈にTwitterを勧められていたが、
必要性も面白さも全く感じられず、全面的に拒否ってた。
ところが2010年頃、家族の入院がキッカケで 突然Twitter民に。
付き添いで缶詰になり、外部との連絡が簡単ではない境遇。
入院中の家族の状況を、身内や知合いに間接的に報告するには
当時Twitterしか思い当たらず。
それがSNSのはじまり。

仕事のアイテムとして活用

Twitterで投稿するという行為にも すっかり慣れた頃
SNSで それなりに人とのつながりが出来始めた。
濃厚な文章のやり取りだけで、会った事のない他人様の中身を
それなりにイメージすることが可能だなんて
始めたての自分には想像も出来なかった。

以降、色々ありで 自分で小さく仕事を開始。
それからはTwitter含め、色んなSNSを仕事のCMとして利用した。
そこそこ長い付き合いだったと思う。

SNSから消える

2018年、諸事情で全ての活動を停止。
常に隣り合わせだった創作活動も停止。
と言うより、もう2度と創作活動は出来ないだろうと思った。
肉体的とか環境的ではなく、
自分自身の中身の無効化による活動不能。
活動不能。そう。活動不能。
だから、もう必要ない。
可動していた全てのアカウントを削除し、SNSから雲隠れ。
ここら辺のことは文章化出来る時期が来たら
多分、書くんだろうな。

再び浮上

書けなくなって何年経つか。
書けなかった大きな要因は、書くことへの恐怖心。
これについても追々詳しく述べようと思ってる。

書くことが怖い。恐ろしい。
想像しただけで震えてしまう。
そんな時期がしばらく続いた。

殺風景な日々の生活を送りながら、
それは”殺風景ではないんだ”と感じるようになり、
”書く”という行為への嫌悪が 少しづつ、少しづつ無くなっていく。
単に「時が解決した。」ワケではない。
自分自身との しつこいぐらいの やり取りの中で、新たに現れたはじめた。

「ちょっと書いてみよっかな…」
ぼんやり そう思うようになった。
頭の中の ほんのひと言を文章化。
自分の目に見えるカタチで表す。
「怖くない。書けるかも知れない。」

体調を壊し、2022年11月8日より療養期間に入る。
自分の身体を通し、思いが湧き出すようになり
2022年11月30日、新たにアカウント登録しTwitterに再浮上。
身体との関わりの中で感じていく
自分の心の動きを、純粋に単純に記録したいと思った。
実に4年半以上振り。
やってることは前と同じかも知れない。
でも、過去の自分はもう居ない。
新しい自分で呟き倒す。

この記事が参加している募集

#自己紹介

230,124件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?