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「そこそこ」

はじめての会社を辞める時、これからは自分の好きな事をしようと思っていた。

それから、20年くらい経って、仕事選びのポイントは、どんな仕事でも、「長くやってると飽きる。」ので、疲れない事が選ぶポイントになった。


初めての会社を辞めてから、その時々のやりたいことをやってきた。が、どれも途中離脱。製造業も面白いと思っていたが、立ち仕事は疲れた。

「根性無いんだね。」と、言われればそれまでかもしれないが、長く続けるには、ある程度条件がいる。いつまでも若くはない。体力も落ちる。自分の考えや目標も変わる。

若いときは、何となく頑張って、偉くなって、お金持ちになりたかった。

いい車に乗って、大きい家を建て、ブランド物で身を固めたり。そんなことを考えていた。

実際、休みの日には大手百貨店で、ブランドスーツや、高い腕時計を購入していたっけな。

でも、今は違う。そこそこの生活でいい。無職のせいもあるが、普段はTシャツと、チノパンで生活しているし、時計もしない。車は軽四だし、家はボロイ。


これで、それなりに満足している。なぜだろう?

何年か前、物の整理をしていた時、何回かしか着ていなかった、ブランドスーツを着ようとしたが、サイズが合わなくなっていて、人にあげた。
いくつか有った高めの腕時計も、いつの間にか失っていた。勿体ないと思った。

他に、車を運転してて、高級車がチンタラ走っていくのを見たりすると、「いい車乗ってんだから、颯爽と走ってみせろよ。」と思ったり、家の近所に大きい家を建てる人をみていると、いつの間にか持ち主が変わったりしたり、誰も住まなくなるのを見ていると、勿体ないなと感じるようになったからかもしれない。

なんにしろ、考え方が変わった。

いろんな物は、消耗品。形あるものは、いつか壊れる。そんな感じじゃないだろうか。

家族数人なのに何部屋もある大きい家を建てたり、値の張る車や、バックを何個もそろえたりするのは、違う。

世の中何が有るかわからん。
一所懸命頑張っても、台風、大雨などの天災で、景色はかわる。
蔵に、大金隠してても、蔵ごと流されたらお終いだ。
そんな物に執着するより、毎日、大禍なく過ごせるほうが、幸せだと感づいた。
だから、そこそこで、いいんだろうな。

だが、その「そこそこ」を体現するのは難しい。
働きに行けば、嫌と言うほど働かせてくれる。「僕、残業とかしたくありません。」と、言えば、仕事は無い。
働くか、休むか。
そこそこの仕事は、あまり無いらしい。

それに生活するのにはそれなりの金もいる。
まだ、霞を食らって生きていけるほどの修業は積んでいない。

結局、僕もまだまだ「欲」を捨てきれない。

希望は、ちょっとした田舎で、そこそこの仕事をして、そこそこ食べて、そこそこ暮らす事。

大体、8割、いや6~7割くらいの仕事量、食事量、睡眠量、運動量が、いいな。

そんな夢を見ながら、今日も過ぎていく。今もそんなに悪くない。

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