見出し画像

6月6日CA|救急車有料化の是非

今回ゼミにおいて、「救急車有料化の是非」というテーマでディベート(Critical Analytics / CA)が行われました。私はファシリテータを務めました。

CAでは、立論者が時事的な話題からディベートのテーマを選び出し、自分の本当の立場とは逆の立場で立論をします。そして、ファシリテータの進行のもと、この立論に、立論者以外の参加者全員が反駁します。

このnoteでは、今回のCAの記録をまとめて公開します。


前提

掲載記事


2024年6月1日|読売新聞オンライン
救急車〈軽症有料〉に賛否 出動数抑制/呼びにくい 入院しない患者に7700円 松阪市きょうから

松阪市内の基幹3病院が6月1日から、救急車で運ばれたが入院しなかった軽症患者に対して、7700円を徴収する。救急出動件数が増加し、救急医療体制が逼迫ひっぱくする懸念が出ていることを受け、軽症者による救急車の利用を抑制する狙いがある。市民からは賛否の声が上がっている。対象は、松阪市の済生会松阪総合病院、松阪中央総合病院、松阪市民病院。軽症患者からは、紹介状なしで受診した場合に請求する「選定療養費」として7700円を徴収する。学校での熱中症や交通事故などは徴収されない。同様の取り組みは伊勢赤十字病院(伊勢市)で2008年から行われているが、地域の基幹病院が足並みをそろえて徴収するのは全国的に珍しいという。

救急車の到着の遅れは応急処置への影響も懸念されており、総務省消防庁によると、通報を受けて救急車が現場に到着するまでの平均所要時間は、2002年は6分18秒だったが、2022年は10分18秒になった。心肺停止後、10分を超えると生存率は下がるといわれる。

今回の「有料化」について、松阪市民の受け止めは様々だ。

肺炎で救急車を利用したことがあるという会社員男性(33)は「有料だったとしても、救急車を呼んでいたと思う」と話した。一方、無職女性(53)は「軽症か重症か、本人や家族には分からない。7700円は高額で、救急車を呼びにくくなる」と語った。

(立論者が引用)

テーマ設定


今回は「救急車有料化の是非」についてCAを行いたいと思います。

立論側は、『救急車の有料化はするべきでない』という立場から議論を行いますので、皆様は『救急車は有料化するべきだ』という立場で反論をお願いいたします。

記事では救急車の「軽症有料」を取り上げていますが、軽症の線引きが難しいため、今回の議論においては「救急車を要請した事案全てに料金が発生するもの」とします。また、救急車を呼ぶことで発生する料金の額については議論しません。

(立論者が設定)

参加者
救急車の到着時間が遅くなった理由は、本当に軽率な通報のみなのか?
立論者
高齢化によって、高齢者が運ばれることが多くなって、というのもあるかと思う。

参加者
ユニバーサルサービス料、つまり、電話を利用する際の基本的な料金は議論に含むのか?
立論者
含まない。

(ファシリテータが文字起こし)

議論

立論者による単純立論

論点1
|救急車を本当に必要とする人が利用しにくくなる可能


救急車を有料化することで、お金に余裕のない重症患者が救急車利用を躊躇してしまう懸念がある。このことにより、お金を持っている人の命は助かる一方で、お金のない人の命は助からないという医療格差の問題が深刻化する可能性が出てくる。救急車を有料化することで、経済的に弱い立場の人々や貧困層にとって負担が大きくなり、緊急事態に対処するための支援が経済的負担となり、健康格差や社会的格差を広げる可能性がある。

(立論者が設定)

——この論点に関する議論はなかった。

論点2
|有料化しても安易な利用は減らない可能性


有料化で安易な利用をする人を減らし、重症患者の搬送を円滑にすることで助かる命が増えるといった意見もあるが、お金に余裕がある人の安易な救急車利用は減らない。有料化したところで、「お金は払うから」とタクシーのように利用する人が増え、緊急性の低い出動は無くならないという指摘もある。

また、有料化することによりどの程度不必要な救急車事例を減らすことになるか明らかではないため、救急車を本当に必要とする人の命を天秤にかけてまで救急車を有料化する必要はない。

参加者
緊急性の低い利用は結局は無くならないという指摘だが、無くならないにせよ、流石に減りはするのではないか。台湾では、成功例がある。搬送数全体が10%減り、緊急性のない通報は0.2%まで減った。
立論者
元々の「緊急性のない通報」はいくつだったのか?
参加者
わからない。しかし、意味はあったということは言えるかと思う。
立論者
それが日本でも同様の効果があるのかはわからない。数値についてはよくわからない。

論点3
|救急車の役割の再確認


初めて救急車が登場してから約80年が経っているが、現代の救急車は「人の命を救う車両」という重責を果たしている。以前は医師以外の者が医療行為をすることは法律で禁止されており、病院への搬送途中で患者が心肺停止になっても救命することができず、すぐに処置をすれば助かる命を救うことができていなかった。しかし、平成3年の救急救命士法の施行により、救急車は病院への搬送中にも救急救命士の資格を持つ救急隊員が救急救命処置を行うことができるようになった。つまり、救急車は病院への救急搬送という役割だけでなく、救急救命処置を行うという役割も果たしている。救急救命処置を行うためにも救急車は呼ぶべきであり、そのことが有料化によって阻害されてはならない。

参加者
救急救命処置の役割は、有料化による阻害という議論には関係がないのでは?
立論者
クリティカルな指摘であり、反駁を断念する。

参加者
1970年代には交通事故が多く、そういった市井があったからその役割があった。いまの高齢化社会では状況が違う。制度が変わるのは自然なことではないか?
立論者
「高齢者だけが大事」というわけではない。若い人にも救急車を呼ぶ権利はあり、高齢者がどうとかという理由で若者からも通報でお金をとることになるのは、よくない。
参加者
そういう時代だからこそ、抑制策は必要ではないか?
立論者
しかし、「高齢者の命も大事」である。抑制するのもまた違うのだ。

論点4
|救急車を呼ぶかの判断の困難さ


救急車を呼ぶタイミングや基準が難しいといったことがよく言われている。平成28年度に、一般財団法人救急振興財団調査研究助成事業がおこなった「救急車を利用すべき症状の市民理解度調査」において、半数以上の 回答者が「救急車を呼ぶべき状況について見たり聞いたりしたことがない」と回答しており、救急車の利用方法が十分に普及されていないと考察していた。

そこで、♯7119に電話すると救急安心センター事業に繋がり、専門家が救急車を呼ぶかの判断を手助けしてくれるといったサービスが始まった。しかし、この救急安心センター事業の利用には人口密度や地理的な条件などが影響しており、地域によっては救急安心センターが適切なサービスを提供できない場合がある。救急安心センター事業には他にも、コストと運営負担やスタッフ不足といった問題がある。救急安心センターのサービスが適切に利用できないとなると、手遅れになってしまう前に救急車を呼ぶ必要があり、そのためにも救急車の有料化はするべきでない。

——この論点に関する議論はなかった。

論点5
|本人の意思によらない通報についてのあつかい


救急車の要請の半分以上は本人が要請していないケースである。有料化されたら、道で倒れている人を助けて救急車を呼んだ場合など支払いが問題になる。

救急車の要請の半分以上が本人が要請していないケースであるというのは一般的な現象で、たとえば周囲の人々や通行人が緊急の状況を目撃し、救急車を呼ぶといったことがほとんどである。こうした場合には、本人が自身の状況を理解していない場合や意識を失っている場合も多くある。

こうした現状であるにも関わらず救急車の要請が有料化された場合、倒れている人を助けて救急車を呼ぶことで支払いが問題になってしまう。救急車の呼び出しに伴う費用が、通報者や周囲の人々に請求される可能性があり、そうなると具合が悪そうな人を見つけても見て見ぬふりをしてしまう原因となってしまう。

参加者
運ばれて「こういう症状だから、こういう治療をしましょう」というインフォームドコンセントがなされる段階があるかと思う。その際にお金をとるのではいけないのか?
立論者
クリティカルな指摘であり、反駁を断念する。

立論者による反論予想と事前再反論

反論予想1
|救急車を安易にタクシー代わりにするケースがある。


「有料化することで救急車をタクシー代わりにする人が減る」ということも言われてはいるが、お金に余裕がある人の安易な救急車利用は減らない。有料化したところで、「お金は払うから」とタクシーのように利用する人が増え、緊急性の低い出動は無くならないという指摘もある。

参加者
実際にそんな悪し様に語るべき状況であるのかについては疑義がある。この論点については議論が難しいのではないか。
立論者
判断を保留したい。

反論予想2
|診察や治療を受けたら料金を支払うわけで、救急車にも料金が発生しても問題ない。


一般の診察や治療と救急車の呼び出しとでは緊急性が異なる。救急車の呼び出しは突然の緊急事態に対処するためのものであり、本人や周囲の人々の安全や健康を確保するために不可欠である。一方、診察や治療を受ける場合は、計画的に予約を入れたり、受診のスケジュールを調整したりすることができる。そのため、救急車の要請に関する料金が発生することは、緊急性の違いを考慮する必要がある。

参加者
いま、どうして無料でやれているのかといえば、血税による。一度の出動で45,000円ほどがかかる。日本全体で、単純計算で億単位の支出になっている。財源には余裕がない。有料化は致し方ない。
立論者
そもそも、救急サービスとは、この国の社会インフラであり、基本的価値の一部である。その出費は必要なのではないか。
参加者
しかし、その税金は全ての国民が負担している。利用者のなかにフリーライダーがいるのはやはり大きな課題である。
立論者
その議論は、予想反論1での議論に帰着するのではないか。

予想反論3
|夜間は医療スタッフの数が限られており、本当に重症な患者の診療の妨げになってしまう。


これは救急車の有料化によって解決される問題ではない。むしろ、有料化によって救急車の利用が減少し、医療施設への直接受診が増えると医療従事者の負担が増大してしまう。

更に、重症な患者が支払いを躊躇して救急車を利用しない場合にその症状が悪化する可能性があり、最終的にはより深刻な医療問題を引き起こす可能性がある。

参加者
反論予想2と矛盾するのではないか?
立論者
ここでは、「直接受診が増える」という話をしている。直接受診をせず救急車を経由する来院が減る、という話をしている論点2とは異なる。
参加者
論点2では「妨げにならない」という話をしているのに、ここでは「妨げになるから、直接受診が増える」という話をしている、という矛盾を指摘したい。
立論者
安易な利用は減らないが、そもそも救急車を呼ぶことをためらう人が全体では増える、ということを主張したい。論点2とは矛盾しない。

参加者
あくまで救急車を経由するか直接かというプロセスの形が変わるだけであって、来院者の絶対数は変わらない。それによって医療現場が逼迫するということは無いのではないか?
立論者
クリティカルな指摘であり、反駁を断念する。むしろ救急車の方が人員が必要だから負担が減るのかも……?

反論予想4
|世界的に見て、無料で搬送するのは時代遅れである。


救急車を有料化している国々でも問題は起きている。たとえばアメリカでは、利用料不払い者が続出している。また、救急車の有料化によって重症な状況でも救急車を利用せずに自家用車やタクシーで病院に向かう人も増えるといった問題も指摘されている。オーストラリアでは、有料化によって、救急車を必要とする人々が費用を心配して遅れるケースが増え、医療へのアクセスに影響が出ているという報告がある。

参加者
アメリカの例を下に上げてはいるが、アメリカでは、救急車の料金のための保険のとりくみがあったりする。これは、保険業界の経済効果というプラスの効果があるのではないか?
立論者
判断を保留したい。

参考文献

  1. 2024年6月1日 読売新聞オンライン「救急車〈軽症有料〉に賛否 出動数抑制/呼びにくい 入院しない患者に7700円 松阪市きょうから

  2. 2016年11月17日 日経ビジネス「医師の9割が救急車の有料化を支持

  3. 2024年5月24日 政経百科「救急車有料化メリット・デメリットは?日本全国の事例や賛成・反対意見などを解説!」 

  4. 消防署情報救急車の始まり「時代とともに進化してきた救急車」

  5. 2022年7月8日「利用料不払者続出?アメリカの救急車の費用が高いワケとは?」

  6. 外務省 「世界の医療事情 オーストラリア」 2022年10月 最終閲覧2024年6月4日

  7. 篠原拓也(2016)「救急車が有料に?-救急搬送の現状と課題」 ニッセイ基礎研究所 『基礎研REPORT』 2016年9月号

  8. 消防庁 平成27年度「救急業務のあり方に関する検討会」 第3回資料

  9. 平成28年度「救急車を利用すべき症状の市民理解度調査」一般財団法人救急振興財団調査研究助成事業 救急車適正利用研究会 代表研究者 中澤真弓2017 年 (平成 29 年 ) 3 月

コメント

ファシリテータ(私)


ところどころ、面白い議論に発展しそうなのに、参加者側も立論者側もうまく議論の実態をつかめず、判断が保留されてしまう議論がみられたのが勿体なかった。たとえば保険の例などは、本来は、「保険制度によって有料化のデメリットは受任可能なレベルにまで減るのではないか」というふうな方向での反論を想定して話し始めたようであったが、話がうまくまとまらず、流れてしまった。

いっぽう、議論の設計そのものに関する議論が白熱したのは、他の会のCAにはあまりみられない傾向であって、理論スポーツとしてのディベートに本来あるべき面白みが発掘された感があり面白かった。

指導教員(上久保誠人)


この問題は、ようは「財源さえあればいい」というところに行き着く。財源さえあれば、フリーライダーが一定数いたとしても、それすらカバーして、低コストでサービスを維持できる社会をつくっていた。しかし、それは高度経済成長による蓄積に根ざしていた。本来、理想としては、経済成長があればいい。

こうした根本課題に由来する社会課題は他にもいくらでもある。テクニカルな議論が展開されたのは良いことだが、そうした社会全体の視座をもち、そもそもこの問題がどういった問題なのかという次元からの議論がなされればよかった。

ひたすらテクニカルに寄るのではなく、思想を出して、マクロな議論を展開してもいいかもしれない。そうでなければ、本質が見えない場合がある。「水掛け論」に決着をつけるのは「思想・信条」である。そのためには準備が必要だが、その準備の機会が確保されているのがCAだ。また、今回、全員がしゃべれたわけではなかった。多様な論点が出てくるのが大事なことだ。全員がこうした議論が得意というわけではないが、参加者の多様性をもって議論にも多様性をもたせられると良い。

準備をして、いくらか荒っぽくても構わないから、トリッキーな質問を恐れないでほしい。エレガントさにこだわる必要はない。なにか、ひとつ考えてくることを強く勧める。「気楽さ」を肯定するべきだ。何も言わなければ、何も得られない。「なにか、ひとつは言える」というのは、大事なことだ。

(ファシリテータが要約)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?