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幻のコーヒー TH Special


1. 最初の出会い

 私は商社に入社後5年目の1979年にコーヒー課に転属になった。その頃、客先や先輩たちから最近のコーヒーは不味くなったとの話をよく聞かされていた。

 当時コロンビアコーヒーは大きく分けてマニサレス(北部)、メデジン(中部)、アルメニア(南部)と3つの産地に分けられ、どのコーヒーもいずれかの産地の名前が付けられていた。当時、日本で最も人気があったのはメデジンで日本に輸入されるコーヒーのほとんどがコロンビア中部で生産されるメデジンコーヒーだった。

 ある時、アルメニア地方のコーヒーが入って来て客先から文句を言われないか気になっていた。しかし、逆にそのアルメニアコーヒーの味が素晴らしいと大評判になり、アルメニアコーヒーの注文が殺到した。実際にそのコーヒーを飲んでみると初めて経験する濃厚な旨味があった。コーヒーの味の三大要素である苦味も酸味も香りも全てが非常に高いレベルでバランスが取れており、これが深みのあるこくになっていると思った。これがこれまで飲んできたコーヒーとは全く違う味の原因だ。ブラックで飲めると言うより砂糖もミルクも余計なものは一切入れてはいけないコーヒーだと思った。初めての経験だった。一瞬でその味に取り憑かれた。

 コーヒーの味を言葉で表現するのは難しい。コーヒーを買う時はその味の表現を見て選ぶ。しかし、その表現通りの味に出会ったことは今まで一度もない。大概は実際の味との違いにがっかりするものだ。だが、そのコーヒーの味はどの様なことばを使っても表現できないと思った。

 しかし、残念ながら同じ輸出業者に、アルメニアコーヒーを注文しても、2度と同じ味のコーヒーには巡り会うことはできなかった。以来、私の中では幻のコーヒーとなった。

 2年後にコロンビアに駐在になりコーヒーの買い付けを担当した。必ず、あの幻のコーヒーとの再会できると信じていた。しかし、なぜか6年半の駐在の間には、あのコーヒーには巡り会うことはできなかった。

2.再会

 その後、1990年にニューヨークに駐在になり、米国でのコーヒーのトレードを担当した。コロンビアでの駐在経験を生かし、コロンビアコーヒーの販売を武器に、米国最大手のコーヒーメーカーからも気に入られ、商売は順調だった。1994年には知り合いになった米国カルフォニアのコーヒー輸入業者よりコロンビアのポパヤン地方のコーヒーを輸入したいと相談を受けた。本来はこの地方のコーヒーはアルメニアコーヒーと称されるのだが、当時すでに西海岸ではコーヒーを差別化する傾向が生まれており、更に狭い範囲の産地を指名されることもあった。ポパヤンとは南部の地方で、そのコーヒーの評判は聞いていた。

 そこで、最も信頼していた、コーヒーの輸出業者に相談したが、残念ながらポパヤンコーヒーの取り扱いはないと言われた。しかし、同じようなコーヒーなら紹介できるとサンプルを受け取った。早速、サンプルを客先に送付したが、客からは即座に、これはポパヤンではないと言われ、商売にはならないなと思われたが、すぐに契約することができた。理由がわからず、とにかくサンプルコーヒーの試飲をしてみた。なんとあの幻のコーヒーだった。15年ぶりの再会だった。

 すぐにコロンビアに飛び、友人である、コーヒー輸出業者と話をした。彼によれば、Huila(ウイラ)地方のコーヒーで最近取り扱いができるようになったと言う。実はウイラ地方はゲリラの拠点になっており、長年誰も出入りできなかったのだ。商社の駐在員もウイラ地方への出張は禁止されていた。ウイラではずっとコーヒーは栽培されていたが、量も多くなく、他のコーヒーと混ざりウイラコーヒーとして取り扱われる事はなかったと言う。

 ようやく、ゲリラから解放され、コーヒーの買い付けが可能になり、私の友人がほぼ独占的に取引を始めたばかりだった。ただし、まだ分からないことが多く、手探りで商売を始めたいと言う。

 その時、初めてウイラを訪れ、実際のコーヒーの入荷に立ち会った。小規模農園のコーヒーが主で、品質は生産者によりバラバラでこれで一定の品質が保てるかどうか不安だった。

 そこで、私は彼と下記の協定を結んだ。
1)産地で販売するのでなく、味を厳格に規定し、その味を売り物にする。
Huila地方が端境期の時は、隣のTolima地方のコーヒーで同等の味をもつコーヒーで代替する。
2)米国向けは私の独占販売とする。
3)最初の年は米国の西海岸に販売を制限し、数量的に余裕があれば東海岸に販路を広げる。
4)プレミアム価格で販売するが、最初の年は私がそのプレミアムを全てもらう。2年目以降はプレミアムを折半とする。
5)産地は企業秘密とするため、コーヒーをT(Tolima)&H(Huila)Specialと称す。

 私の名前のイニシアルがTHであり、おそらく、客は私の名前からとったものと誤解してくれたものと思う。なお、このTH Specialというブランド名はあくまでトレーダー間の呼称で一般の消費者向けのブランド名では無い。

3.販路の拡大

 西海岸での販売は順調で、ある程度供給量も安定してきたので、翌年から東海岸にと販路を広げた。TH Specialを紹介された客先は誰も夢中になった。契約をする時に聞かれるのは供給可能量だけで、価格を聞かれる事もなかったのは私には新鮮な驚きだった。その当時はまだ、コーヒーの差別化は稀で、むしろ均一化が主流だった。従い、価格的にもプレミアム価格で取引されるのは主流ではなかった。

 スペシャルティーコーヒーと言う言葉は生まれていたが、その概念は今のそれとは異なる物だった。米国西海岸で生まれたスターバックス等の高級なエキスプレッソコーヒーも産声を上げたばかりで主にコスタリカコーヒーの取引が主流で味にそれほどのこだわりがなかった時代だ。

 そもそも米国民はコーヒーをよく飲んでいたが、味音痴で味にこだわりはなかった。コーヒーの品質を表す規格にEuropiann preparationとUS preparationがある。つまりヨーロッパ向けのコーヒーが上質で米国向けが2級品と言う意味である。レストランで飲むコーヒーも砂糖とミルクを入れないととても飲める代物ではなかった。

 そんな米国人がTH Specialに出会ったときはコーヒーではなく、全く別の飲み物と言う印象を持っただろう。米国でコーヒー販売をしていて感じたのは米国人は決して言われているほどに味音痴ではない。当時のジェネラルフーズの様な全米のコーヒー市場を独占するような大手飲料メーカーの政策の犠牲になっていただけだ。だからこそ、スペシアルティーコーヒーの概念も西海岸の後に世界を末席するエスプレッソコーヒーのサプライヤーも米国で生まれたのだ。

 しかし、TH Specialは世に出るのは少し時代が早かったのかもしれない。

4.TH Specialの終焉

 サラリーマンの宿命だが、1997年には帰国の辞令が出た。コーヒー課へではなく、砂糖課課長の辞令だった。儲からないコーヒー化と異なり、砂糖課は部門の儲け頭だった。もちろん、それ以前に帰国の内示は受けていたので、その準備はしていた。少し前にウイラ地方で火山の大爆発があり、この地方に大きな災害を及ぼした。そこで、コロンビア政府はウイラ地方の復興策として産業振興のため、この地方へ新たに進出する企業の法人税を数年間、免除する政策を発表した。

 私の友人はこれを利用して、この地方にコーヒーの集荷と精製を行う別会社を設立した。そこで、我が社の米国法人にその会社への資本参加をさせ、
友人とはこれまでの個人的な関係から会社どうしの関係性に変化させ、供給を確保する事にした。

 私の後任は砂糖課の元課長でコーヒーのトレードには素人だったが、彼には米国での商売を有利に進めるための大きな武器(TH Special)があるので心配はしていなかった。かくして私はコーヒーから離れた。

 しかし、後任者はコーヒーのトレードに興味がなかったのか全く商売は進まず、TH  Specialを日本に丸投げしてしまった。かくしてTH Specialはウイラコーヒーとして販路が米国から日本に移った。当然、日本市場で人気は爆発し、誰もがウイラコーヒを欲しがった。

 しかし、やがて起こるべき事が起こった。TH Specialは差別化されたコーヒーであり、味・品質を守るため供給量は限定されていた。しかし、日本での拡大する需要に対し、供給を増やすため、TH Specialをウイラコーヒーとして汎用化してしまったのだ。つまり、ウイラ地方で取れるコーヒーであれば全て買い付ける事となり、味は似ても似つかぬものに変わってしまった。かつてのアルメニアコーヒーと同じ様に。

 当時はコロンビアでも遅まきながらウイラコーヒーの人気が高まり、コロンビア国内の買付競争も激化し、私の友人も独占的に買付することができなくなった。また、日本のコーヒー焙煎業者は欧米の新興のエクスプレッソメーカーには価格的に太刀打ちできず、買付競争で敗北した。かくして日本におけるウイラコーヒーの流通は短命に終わった。

5.再び幻のコーヒーを求めて

 5年後、私はサルバドール、グァテマラのコーヒー輸出会社の経営の再建のためグァテマラに駐在する事になった。これまでは買付(コロンビア)、トレード(米国)とコーヒービジネスの川中で仕事をしてきたが、コーヒーの栽培、買付、精製、輸出と川上の仕事を経験することになり、再び、別の観点から幻のコーヒーを求める旅に出る事になった。

 その経験は今後のブログで述べたい。しかし、その前に、次回は本稿の時代的背景の理解を深めてもらうため、1990年代後半に誕生したスペシアルティーコーヒー誕生について触れてみたい。

以上


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