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7.愛犬ガル

・犬の訓練より私に訓練を

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山小屋に住み始めて間もなく、仕事先のガソリンスタンドに中学3年生の時の同級生、松野保男君がやってきた。松野君とは仲がよかった。彼は、勉強は嫌いだったが、動物が大好きで動物のことなら何でも良く知っていた。中学のころは、一緒にメジロ捕りなどへ行ったりしていた仲だった。

松野君は、中学を卒業して警察犬の訓練士になっていた。地方では警察犬といってもその犬は、警察で飼っているのはほとんどなく、一般の人が飼育している。その犬を訓練するのが松野君の仕事だった。

訓練士の仕事は、まず「待て・すわれ」等の犬のしつけを教える基本訓練を行う。次に、テレビでよく見るような、臭いで行方不明者や犯人を捜す捜索訓練をし、そして、犯人などが向かって来た時にそれを攻撃する訓練、と段階的に難しい課程をこなしてゆく。

そして、年1回行われる警察犬認定試験を受け合格すると、その年1年間、警察犬の必要があると警察からの要請により、出動することになる。警察から飼い主への費用補助はほとんどなく、優秀な犬を飼っているという名誉のために、子供を教育するのと同じように、もしくはそれ以上にお金と情熱をかけるのである。

松野君は中学を卒業してから訓練士の学校に入学し、資格を取り開業していた。1年ほど前に市内で盗難事件が発生し、警察犬の出動を依頼された松野君と彼の訓練犬は、見事竹やぶに隠れていた犯人を見つけ出し、犯人の逮捕に協力して表彰されていた。

そんな話を聞いているうちに、私も犬を飼いたくなっていた。山小屋に一人で住んでいるので、私の言うことを良く聞く犬と一緒に生活したら絶対楽しいなと思ってしまうのだった。松野君は、私の気持ちを察した様に「シェパード犬を飼ってみないか? 6ヶ月の雄が一匹いる」と切り出した。私はすぐに「ほしい」と返事した。

後で彼に聞いたことなのだが、その犬はあまり物覚えが良くなく、売るにはちょっと成長しすぎていて、餌代がばかにならないことから早くどこかへ処分したかったのだそうだ。松野君の表現によると、脳膜炎をわずらった犬との事。だが血筋は良く、名前は「ガルムフォンいわき」といい、血統書付きだった。私は「ガル」と呼ぶことにした。犬と私の生活が始まった。犬の飼い方だが、アメリカへ行ったときに感じた日本との犬への接し方の違いが思い出された。

アメリカでは、たくさんの犬を見たが、犬どうしのケンカは見たことはなかったし、よく言うことを聞いていた。本当に必要な時以外は、縛りつけておくことはなかった。いろいろなところへも犬と一緒に出掛けており、飼い主も犬も楽しそうだった。

私は、日本でそんなふうに犬と付き合えないかと考え実行してみる事にした。そのためには、自分で犬に教えることを覚えたいと思い、松野君にこう頼んだ。

「犬に教えるのは自分でやる。訓練費用を払うので、訓練の方法を私に教えてくれないか?」

松野君は、ダメ犬を押し付けた責任も感じており了解してくれた。1週間に2回、松野君がガソリンスタンドに来て、私が犬に訓練するのを見てアドバイスしてくれる間接的訓練が始まった。まず、すわれから教え始まる。次に伏せ・やめ・待て・立て・来い・持って来い・ほえろ、これに真っ直ぐ前に向けて歩かせる。前へ・右へ・左へ等が基本訓練である。声と体の動きの合図の両方で指示をする。犬をすわらせるには、「すわれ」と言いながら右手人差し指を腰から頭のところへ上げる。声だけでも指の合図だけでもできるようにするのだ。

訓練の方法は条件反射である。「すわれ」を教えるには、すわれとはっきり声を出して言いながら犬の腰を下に押し付ける。ほとんど1回では腰をおろすことはないが、2度3度と繰り返す。たまたま腰をおろした時が大事だそうで、間をおかず、ほめてあげる。「よしよし」とのどや頭をなでてやるとよいという。

松野君の指示のようにやるが、なかなか腰をおろさない。「志賀君、押してもだめな時は、首紐を上にひいてみな」と松野君からのアドバイス。言われたとおりにしてみる。ガルはスッと腰をおろした。できた!すぐほめてやる。

こうして松野君の私への訓練が始まった。松野君はガルに金をかけても無駄だと言ったが、私はいつか警察犬の認定を受けたいと思い始めていた。犬に教えることで、何かをつかめる手ごたえも感じ出した。どうしたら良い犬に育てられるかを松野君はこう教えてくれた。

「ひとつ叱って三つほめ、五つ教えて良き犬にせよ」

訓練士学校で言われた事だそうだが、ほめるのは叱る量の3倍、教えるのは5倍のエネルギーを使えばよいとのことらしい。ついつい教えても分からないと怒ってしまい、教え方を工夫もせず、あげくのはてに、言っても分からないのは相手が悪いと結論づけてしまいがちだ。

この教えは50歳になる今でも私の心に残り、犬の訓練以外にも通ずるものだと思っている。

私とガルの生活はこうして始まった。


・愛犬ガルとの山小屋生活

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山小屋へ住むようになって1年が経った。私の仕事場であるガソリンスタンドへ愛犬「ガル」も一緒に連れて行く。そこで犬を放し飼いするためには、いくつかの問題をクリアーしなければならなかった。

そこは、旧6号国道と新6号国道にはさまれており、交通量も多い。まず何があっても道路に飛び出さないように犬を教育しなければならない。ガルは既に「すわれ・まて・いけない」等の言葉を理解していた。しかし、犬には言葉で教えるわけにはいかない。体で覚えさせないと間違いがおきてしまう。

ガルはボールが大変好きだった。スタンドの中で、私が投げたボールを拾ってこさせる遊びをしていた。これを利用して「道路に出てはだめだ」ということを教えることにした。

まず何回かボールを投げて持ってこさせ、遊んでやる。楽しくてガルもだんだん興奮してくる。こうして投げたボールを必ず追いかけるようにしむけてから車の来ない時をみはからい、わざとボールを道路へころがす。ガルはそのボールを追って道路へ出ようとする。道路にでようとした瞬間、はげしく「いけない」と言いながら駆け寄り強く怒る。これを何度か繰り返す。

こうして道路にでると怒られることを犬の体にしみこませることができた。たまたまボールが道路にころがっていっても、ガルは道路の直前でピタッと止まり、「わかってますよ 出ませんよ」というような顔で私を見るのだった。

お客様にじゃれつかないようにもした。特に子供に対しては、ガルは遊んでいるつもりで立ち上がっても大きいので、ころばせたら怪我をさせてしまう。こうしていろいろな訓練を重ねて行くうちにガルは、ガソリンスタンドのお客様にかわいがられるようになっていった。

ガソリンスタンドにはお客様用の飲み物として、缶コーヒー等といっしょに牛乳も置いてあった。ガルに牛乳を飲ませるためにプラスチックの丸いおわんを裏の更衣室に用意しておいた。冷蔵庫から牛乳を取り出すとおわんを持って来いと命じる。ガルは喜んでしっぽを振りながら更衣室からおわんをくわえて来て私の前にすわる。おわんに牛乳を入れるとすぐ飲もうとする。「まて」と軽く声をかける。少し待たせて「よし」と言って飲ませる。ガルの好きな牛乳を飲ませてあげるのが私の楽しみだった。これを見てガルをかわいがってくれるお客様の金成さんは、ガソリンスタンドに来るたびに、ガルに牛乳を飲ませてくれるようになった。
ある時、牛乳をくれる金成さんが来た。おわんを持って来いと言われないのにガルは裏へ行っておわんをくわえて来て、チョコンとすわってしまった。金成さんと私は顔を見合わせ笑ってしまった。「これじゃ飲ませない訳にはいかないな~」と言い金成さんが牛乳を取り出した。私は申し訳ないと思い、もうひとつお客様に喜んでもらえることをガルに教える事にした。

おわんのかたづけである。牛乳を飲んだ後、おわんをくわえて元の場所へ置いて来ることを覚えさせた。持って来ることを教えるよりも置いてくるのを教えるには数倍時間がかった。犬も人間も同じで、物事を成し遂げるにはハングリーな気持ちが必要で、欲望の満たされた後の仕事はなかなか覚えないものだと思ったものである。
ガソリンスタンドでは、灯油の配達や集金もあるが、こんな時もガルは私と一緒だった。私が「乗れ」と命じると軽トラックの荷台に飛び乗った。走りながらバックミラーで後ろを見ると、荷台のワクに前足をかけ、得意げに風を受けて気分よさそうだった。配達して来る間、「やすめ」「待て」と声をかけておくと車の荷台から降りずに待っていてくれる。

どれくらいの時間、待っていられるかを訓練士の松野君に聞くと、「人間と同じで、苦痛を感じる姿勢や夏の暑い最中なら数分だろう。無理な事やつらい事を意味なくやらせようとするのは、飼い主失格だよ。」と教えられた。

松野君の助言で、私のガルへの訓練成果もぐんぐん上がった。町の銀行へ行くにも首ひもなしで何の不安もなかった。駐車場に車を入れ、「おりろ」と声をかける。道路を歩く時は、「わきへ」と声をかけ、左手でももの外側をたたくと私と並んで歩く。私より前にも出ず、後ろにも下がらない。私が立ち止まればガルも止まる。銀行へ着くと日陰を探して「伏せ・やすめ」と声をかけて待たせておくことができた。最高のガードマンだった。

こうした事ができるようになったのは、訓練士の松野君が私に犬のしつけの仕方や訓練方法を適切に教えてくれたからだった。最初松野君が、ガルは脳膜炎をわずらった犬なんだと冗談に言ったぐらい物覚えが悪いと思われていたのだが、決してそんなことはなく、これには松野君もびっくりしていた。松野君も私も愛情を持って行う教育の再確認をした。

教えるとどんどん覚えてくれた。その事で私もガルも行動の自由がどんどん増えていった。ガルと一緒にジープに乗り、3泊の旅行に出かけた。白馬の雪渓を一緒に見に行った。山を登る途中で出会う人は、首ひもなしで私の言うことを良く聞いて歩くガルを見て、うらやましそうだった。

ガソリンスタンドの仕事が終わる夜の12時、シャッターを下ろしカギを閉め、ガルと一緒に山小屋へ帰る。30分かかる道のりを月あかり・星あかりを頼りに一緒に歩いて帰るのは、楽しかった。一緒にいるとガルの気持ちがスーとわかり、ガルも私の事をわかってくれているのを感じることがたびたびあった。お互いに信頼できたのである。

ガルは、山小屋へ近づく不審な人をいち早く感じて吠えて私に知らせてくれる優秀なガードマンでもあり、山小屋生活を楽しく続けて行くためには、ガルはわたしにとってかけがえのない存在だった。


夏は豊間の海へ海水浴にも行き、一緒に泳いだ。雪の降った水石山に一緒に行ったこともあった。キャンプにも一緒に行った。ガルは友達なのでひもでつなぐ事は、本当に必要な時のみであり、不要なストレスをもたなかったせいか、他の犬とケンカする事もなかった。

そんなガルは、10年以上を生きて私にたくさんの思いでを残し、生涯をまっとうした。

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