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道路の亀裂から裏山から見た引き波


もうすぐ震災12年 今日はちょっとだけ触れてみたいと思います。だが正直震災には合ってませんから、、今が今まで書くことをせずに来ましたが

2011年3月9日に結構大きな地震がありました。東京の妹から地震大丈夫❓…とのTELが入りましたが。大丈夫だよとメールで返信、だが何処か気がかりで近くで高台にある親戚の庭から見た海 後で考えたら津波の前兆だったか?写真を一枚
 津波当日は午前中友人宅でお茶のみ、昼前に帰り普通にテレビを見て過ごしてた時に世界中の人々を脅かす地震 直ぐに玄関から外になんと道路に亀裂が、そこを乗り越えガードレールに寄りかかり海を、自分より一足早く海を見ていた従弟が、M子津波だぞって言う 違う津波は波が引けてから来るからと(チリ津波の時は海底が見えたのが蘇ったこの津波で大船渡に住んでた叔父が生まれて間もない子を腕の中から波にさらわれた)

だが従弟はありゃ長磯の方を見ろと目を言われた方に、磯の前の海が渦巻いてるではないか、それと同時に防波堤の灯台の前の海が同じ状態、そしてそこに繫がれていた船等が離され防波堤が飲み込まれていく,恐ろしさと何がどうなってるかの❓マークの時、消防車が津波だ逃げろーこの時には7・8人ぐらいで近くの山に、同時に家の屋根や瓦礫が流されてくるようになった。今度は引き波 見る見る内に防波堤の海一面が瓦礫の山、瞬く間に海の底が広がっていく、この時地元の知人が来、津波で地元が全滅と話を聞いてる時間がもったいなく避難場所を下り先日写真を撮った家を目指したが、途中小さな川が、この川に津波が押し寄せ数件が被害に合っていた、瓦礫をかき分け親戚の庭にここで見た自分が生まれた育った地元が想像を絶すると実家を探した有った。だが弟の家はない。駐車場に戻り車に危機一髪タイヤが塩水をここまで来たんだといつ帰って来たのか夫が居た。大船渡からの途中と戻り山道を通って帰ってきたとか二人で林道を通り途中三々五々人だかりここに避難したんだと車を降り輪に入って様子を聞く、想像も付かない話をここで聞くことになる。数人が流された様子を実家に行く途中茶飲み友達の旦那さんが、「おい!おっ母あ 居んねえ‐何でえ 」けっこう高台にある新築の家だったから二階にでも避難したと思ってたのに 「数日過ぎに後ろの家の床下から見つかったとか」
その夜は兄夫婦に弟に自分達夫婦5人で実家で夜を明かしたが、夜中に結構大きい地震と津波が来た記憶が 


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