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ロボットになってしまうルーティンか、瞬間瞬間の積み重なりか

移住先で自給のための畑を借りて2年目の夏。

こちらは夏でも朝晩は過ごしやすくなるような、いわゆる寒冷地なのですが、それでも暑い。
畑で5歩も歩けばじんわりと汗をかく季節になってきました。

畑を借りることになってから、私の中でなんとなくのルールがあって、それは「頑張りすぎない」こと。

私の過去は生粋の頑張り屋さんで、心を置き去りにし、限界も超えて、それまで積み重ねきたことに終止符を打った経験があるので、そういった自分の性質について少し慎重な面があるのです。


畑を始めたことも、自分の人生に疲れ果てていた時に、都会暮らしでは癒されない何かを求めて、自然農の畑に通い始めたことがきっかけだったので、

「頑張りすぎるせいで、嫌いになるようなことにはなりたくない」

そう言った思いも強いです。



ここまで書いていても本当に面倒臭い性格だなあと思うのですが、こう言った性質を無視したり軽視することは得策ではないことももう十分わかっているので、『うまく付き合っていく」しかありません。


さて、去年一年畑をやってみて、畑の時間は本当に気持ちが良く、癒され、体力もつき、人生の土台のように、安定感をもたらしてくれる存在となりました。

そんな安定感とは裏腹に、月のようにコロコロと表情を変える私の心。
「これも植えたい、あれも植えたい」と意欲が満ちるときもあれば、なんだか心が向かないときもありました。

去年はそんな気持ちに寄り添って、「今日はやりたくないんだねえ」とサボってみたり、やる気マンマンのときには夢中でやったりと、ムラがあることを自分に許していました。

たとえ少し草がボーボーになろうとも
撮り損ねたズッキーニが巨大化しようとも
それもよしとして過ごすことにしていたのです。


私の心もころころ変わるけれど、
畑も毎日違う表情をみせます。

雨の後にはぐぐぐぐーんと草がすごい勢いで背丈をのばして草刈りに追われたり。
私のやる気があってもざんざん振りの雨だったり、
種を蒔きたくても雨がしばらくないから控えようかな、とおもったり。


自分の心にも「畑に行くか、行かないか」選択する
余地を持ちたい。

けれど畑もお天気や諸々の都合が出てくるので予定は常に左右されてくる

私の心と畑の事情。

どこで折り合いをつけよう。


おまけに最近はとにかく暑くて日中に行こうものなら本当に腰が重い。「もう少し涼しくなったら」なんて思えば、あっという間に18時を回ります。


そこで、早朝6時台に畑に到着して8時までに切り上げる、そんな生活が始まりました。

まずはとにかく畑へ行く。
早朝のすんだ空気。まだ涼しい風の吹く朝の畑は心地がいい。
草刈り鎌を持って、草を刈って、作物の周りに敷いていく。
一刈り、一刈り、どこにも余計な力みがないことを感じられれば、畑との一体感がどんどん心地よくなっていく。

やり始めてさえしまえば、結構「あれもやらなきゃな!(前向き)」「これもだな!」と次々とやることは出てくるもの。ついつい夢中に作業を進めてしまいますが、じんわりと暑くなってくる8時前には終了。

少しやり残し、心残りがあるくらいのほうが、翌日にすんなり畑にこころが向く動機になるんです。

そして、とにかく身体が心地よいと感じる動きでしかやらないこと。
のんびりと、観察したり空をみあげたり、話しかけたりしながら、その瞬間と空間を味わうこと。

そうすることで、「朝に畑に行く」が習慣づいてきました。


頭の中をぐるぐる思考が回りやすい面もある私は、やりたいことをやる時間をつくったり、エネルギーを無駄遣いしないためにも、上手にルーティン化することも大切なことなのかもしれません。

でもその時に、いろいろなことを傍において「じゃあ朝1時間やろう!」となりがちだった私の続かないルーティン化。

丁寧な心の対話と手順を踏んだ上での、「日常への組み込みかた」を見つけていく、このゆっくりとしたプロセスが、「続くルーティン」のヒントになるのかもしれません。

そして苦しくなくルーティン化できた自分を嬉しく思ったり、自信につながっていくような、そんなきがしているところです。

沙紬

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