年収の壁 支援強化パッケージのテレビCMに思うこと レモンバームさんへのコメント返信のまとめ。1月28日追記あり。
レモンバームさんからこの記事にコメントをいただき、長い返信を書いた。これを返信にとどまらせず、記事にすることにした。
1月28日追記:私が子ども達を得たのは平成一桁の頃。
私の子が成人するまでと比較してみて、今は親に要求されることが増えている。
私自身が育った昭和の頃と比べて、私自身が子育て中に親に要求されたことが大きく増えていたが、今はそれに増して増えている。
そのことを、はっきりと書いておきたい。
書かなければ、人は自分自身の経験に鑑みて判断するから。
以下本文。
大金を使って頻繁にテレビCMを流してまでいったいなにを目論んでいるのか。
私には、国民年金第三号被保険者制度の廃止の準備だと感じられて仕方がない。
年間収入130万以上で働こうと思ったら働ける人間のあぶり出しと、年間収入130万以上で働ける人間を雇用できる事業主の把握を目的としていると思う。
私の夫は全国に事業所のある会社の従業員で、転勤は県どころか地方をまたぐ長距離だった。双方の実家も他県にある状態だった。毎日残業・頻繁な休日出勤が日常である核家族で2人の子の心身の安全を守り育てる為に、私の状況は上の子が中学校2年生になるまでは完全に専業主婦だった。その後も、フルタイムは無理でパート。家庭の事情の他に、私自身の健康上の理由もあるので。
もっと早くにパートに踏み切ろうとしたのだが、地域で小学生の誘拐殺人事件もあった為に時期を延期した。そのときに、各家庭ごとの事情はそれぞれであることを具体的に見た。頼れる親族が近くにいるかどうかで状況はまるで違ってくることや、子どものタイプによっても事情は違ってくることも。
社会のリーダー達は厳しかった。竹中平蔵氏は特に顕著だったが、心ない専業主婦非難には心を傷つけられ自己評価は著しく下がった。
『フリーライダー』。
宮崎哲弥氏、猪瀬直樹氏も週刊文春で専業主婦非難の論説を書いていたと記憶している。
共働きの小学校女性教員が自分自身の嫁姑問題から偏見で専業主婦家庭の子をあからさまに差別するようなことすらあった。その教員が担任だったときには、個人懇談会は専業主婦の家庭にとっては一方的な基準で裁かれる日だった。
次世代をいとおしんではぐくむという意識の低い社会だとつくづく感じる。
『共稼ぎ』という言葉は、差別用語だという意見がある。『共働き』であるべきなのだそうだ。
では、専業主婦は働いていないというのか。
とんでもない誤解だ。『仕事』や『働く』という概念を、非常に狭い範囲でしか捉えていない貧困な発想でしかない。
上の子が中学校3年生だった頃のあるとき、自嘲気味に「どうせ私は働いていないから」と言ったら上の子は怒った。「働いていないとか、そんな言い方はやめろ」と。「両親が共働きで家に保護者が誰もいない同級生がどんな状況か知っていて言っているのか」と。
それよりもっと前、子ども達が2人とも小学生だった頃には、地域で子ども達を見守るおじいさんがいらして、そのかたは100歳を超えているとのことだった。街で「あっ、おじいさんだ」と子どもが言うので、「こんにちは。いつも子ども達を見守ってくださってありがとうございます」と、ご挨拶をした。すると、「あんたは子どもを学童保育に預けて働いているかね?」と尋ねられ、「いいえ、私は働いていないんです」と、引け目を感じながら答えた。すると、「それは良かった。学童保育は、あれは放ったらかしじゃ」と、おじいさんは微笑まれた。「時間があるなら市場に行ってあんたになにか買ってあげたいが」と言われてびっくりして辞退したが、考えてみれば当時30代だった私は100歳の方からみれば孫より幼い小娘だったのだろう。
少子化を問題視する世情に思う。
人間の子どもは、もしも保護せずに放ったらかしにしたら育たないのだけど、なんのために増やしたいのですか?と。
まさかと思いますが人数をとにかく増やして、今の大人達の老後の面倒を見させる為・年金の資金を得る為じゃないですよね?と。
『親はなくとも子は育つ』ということわざは、子を守りはぐくむ存在は必ずしも生みの親に限ったことではないというだけで、守りはぐくむ大人が誰もいなくても自然に都合良く育つという意味ではない。
ある自民党国会議員の子を知る人は、「あの家の子は放ったらかしでかまわれていないから…」と、いろいろな問題があることを指摘していると人づてに聞いたことがある。これも1例でしかないが、1例ではある。
私の両親と舅姑は、そして私の夫と子ども達は、私が長い専業主婦期間を過ごしたことを肯定して支えてくれた。
但し夫は、「誰のお蔭で、誰の金で暮らしていけていると思っている」と凄んだことが一度ならずあるにはあるが。
国民年金第三号被保険者という国の制度も、大きく助けて支えてくれた。
国民年金第一号被保険者の配偶者にその保護が及んでいないということは、また別の問題であり、一緒くたに論じることは問題を有耶無耶にすると思う。
今の若い世代から、その大きな支えを奪い取りたくない。
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