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親子

親は、自分がたいへんだったことや子どもにしてやったことは美化して覚えている。
子は、理解してもらえなかった悲しみや理不尽な扱いを受けたことを決して忘れていない。幼すぎて言葉にできなかったり、幼い身の寄る辺なさを思って言い出せなかったりしたことは、謝罪を受けていないからまだ終わっていないのだ。

大きくなった時点で、子は思う。
親とて、あのときあのような振る舞いをしたのだから、自分にもこのくらいする権利はあるだろう、と。

親は戸惑う。
あんなに可愛がってやったのにと。
子どもの為に無理を押してあんなにしてやったのに、と。

子の真剣な抗議に遭って、
そんなことがあったかもしれない。
だが別にいいじゃないか。
昔のこと、過ぎたことだろう。
と、言ってしまったが最後。子にとってはまだ解決などしていないことなので、猛烈な怒りと失望を招く。

子の反撃に、つい、
誰に向かって言っているんだ!
いったい誰のお蔭で大きくなれたと思っているんだ!誰のお蔭で暮らしていけていると思っているんだ!
などと言おうものなら…はい、人として、親として、負け。

子は親にしてもらったことは子としての当然の権利として受け取るので、まさか成長してから恩着せがましく回収を要求されようとはと心外に思い、親の人間性を警戒する。

親の気持ちと、子の気持ちとは、平行線。
自分の親だからこそ、
自分の子だからこそ、
相手の認識が赦せない。

身を削るような思いと裏表の自己同一視による信頼。全知全能の存在と見上げ信頼しながら生殺与奪を握られている畏れ。
注ぎ込んだ心と、時間と金銭と親の若い時間。
親の臆病さの盾にされ都合よく丸め込まれた幼い存在。

難しいけれども、人として。
血のつながりにもたれかからず甘えず、大切な存在として互いを認識するとともにひとりの他者として尊重しなければおさまらないであろう。


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