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いつまでも『昨日と同じ今日』ではない

 携帯電話の配布が終了して

と、著書で書いていたのは、堀井憲一郎氏だったか。
慧眼に感服したのを覚えている。機種が無料だったり100円だったり、機種変更がポイント差引により無料でできたりしたのを、『配布期間』と名付けていた。中高生あたりから上の年齢の大多数が『携帯電話を持っているのが当たり前』になって、駅の掲示板や公衆電話が使われなくなった。駅の掲示板はなくなり、公衆電話も近所のどこにあるか場所を把握しなくなったがかなり減っていると思う。
今や中学校ですら学校や部活動の連絡はメール配信やグループLINEによることになり、
「持っていない」
ということは想定しない。
「容認しない」
というわけではないが、
「よほどの変わり者」
と認定される。
自分の携帯電話を持ち始める年齢はどんどん若く(幼く)なっており、始めて与えられた携帯電話がフィーチャーフォンでなくスマートフォンだった世代が社会人になり始めているだろう。

 今、機種変更すると、変更する機種がいくらになっているか。

 知人が先日、自分の分と子どもの分(学校に行っている間預かっていた)のスマホを、転んだ拍子に不運にも水没させてしまい、機種変更することにしたのだが(水没したスマホを継続使用していた期間にもよるのだろうが)、諸事情が重なった結果2台分購入しなければならないと言われていちどに25万円かかったという。

 


 生活の中に融け込んで、
 それまで普通にあったものに取って代わって、
 社会に欠かせないピースとして重要な位置を占めた頃を見澄まして、
 一気に値を吊り上げる。


 この手法をあてはめると


 最初は利便性をアピールし、
 利便性といってもそれほどでは、という反応に
 まずは2万ポイント付与で射幸心に滑り込み
 給食費無償化、公共交通利用時の優遇などで格差をつけ
 充分機能している健康保険証廃止をぶち上げ
 持つことの利便性というよりは
 持たないことが不便になるように画策するのは さながら兵糧攻め
 待ちきれないのかその遣り方はますますあからさまに透けて見えるようになり
 


 それでも、昨日と同じ今日がずっとあると信じられるのか。


 現在35歳を超えていれば、携帯電話が安価だった頃を覚えているだろう。持っていたかどうかは別としても。
 45歳を超えていれば、めざましく普及していくありさまをもっとはっきり、時系列で記憶しているのではないか。
 
 それでも、昨日と同じ今日がずっと続くと信じられるのか。


 否応なく追い立てられるようでありながら、それが最初に入り込んでくるときには、当時自己決定権を持つ者が、なにかと引き換えに承諾することから始まる。


 今、まだ生まれていなかったり、子どもであったりして、決定権をもたない人たちの分まで勝手に承諾するならば、

よく考えたか。


 昨日と同じ安全が、今日あるのはあたりまえではない。
 過去の選択や過去の承諾の積み重ねが、

 今日の、明日の日常を作る。


 
 


 
 

 

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