見出し画像

バセドウ病闘病記② 再燃を繰り返し難治性に

https://note.com/mannennrou55/n/n740f652d63fa?sub_rt=share_b

 初めの頃、抗甲状腺薬は非常によく効いた。MAX6錠/日から始め、血液検査の結果を見ながら調整していくが、数ヶ月で1錠/日に減薬できた。電車と徒歩で1時間かかる総合病院は、甲状腺専門医がいて、アドバイスが的確だったことも大きい。入院を断ってからも、おりにふれて
「無理はしていないか」
と尋ねてくれ、
「ほんとうは入院が必要なレベルなんだ。今は薬で症状を抑えているだけだ。無理してはいけない。外出は、家の近所だけにしなさいよ。くれぐれも無理をしないように。幼稚園や小学校の役員なんかも、引き受けてはいけない。まだ治っていないのだから」
と言ってくれた。

 ずっとこの医師にかかっていることができれば、四半世紀もこじらせることはなかったのかもしれないと思う。この医師には、次男が幼稚園の間は通院の日に延長保育を利用することによりお世話になることができた。『無理をしないように』という医師による注意は、1度だけではなく、受診するたびに繰り返し言ってくれることで効果を保つ。そうでなければ、患者は往々にして、無理をしないのが罪悪のように思う。バセドウ病のせいだと判明するまで私は、手が震えるのも筋力の低下も運動不足(これは夫の常套句なのだ。いつも言われれば洗脳される。専業主婦は3食昼寝付きと揶揄されるので、私は自分が怠けていると見られるのを恐れていたし)のせいだと思い、家事に手を抜かず、隙間時間には筋トレを心掛けていたのだ(バセドウ病と判明してからはさすがに筋トレはやめた)。バセドウ病のせいだとわかってからも、しょっちゅう手捏ねで手作りパンを焼き(これ私の趣味)、次男の幼稚園の送り迎えは急な坂道を自転車に乗せて片道15分を漕いだ。そして、子どもは自宅に友達を呼びたがるものだ。
「ぼくの家においでよ」
と言えるのは、子どもに安心感をもたらすらしい。帰ってきていきなり、
「今日友達が来る」
と言う。家に子どもとはいえ人が来るなら掃除も欠かせない。 つまり、医師が
「無理をしないように」
と言ってくれたとしても無理と言えない(無理というのは恥ずかしい)レベルのことは普通にこなそうとする患者には、しつこすぎるくらい『無理するな』と言ってくれることがお守りになる。その意味でこの医師にお世話になっていた頃は、安定していた。…次男が小学校にあがり、下校時刻が早くなり、幼稚園にはあった延長保育が利用できなくなるまでのことだった。通院時に頼ることができた近所の人は、転勤で他県に転居していた。


 自宅の近くに転院後は、
「無理をしないように」
と言ってくれる医師ではなく、
「日常生活に制限を設けず、やりたいことや新しいことにどんどんチャレンジするほうがいい」
と言ってくれる医師が担当にになった。
そうなれば断る理由にできなくなってPTA役員も積極的に引き受けることになる。日常生活のあれこれも、無理と思わず制限を設けず積極的にポジティブに。
体調が良くないことが多くても、
「ふ〜ん、でも、元気そう」(立って歩いていれば家族を含め他者からは『元気そう』と識別されるのは世の常だ)
で受け流される。

 一時期1錠/日に減らすことができた薬は、3錠、時には4錠と、増えていった。その後、どうせ制限を設けずというのならとパート仕事も始め、2度他県への転勤に伴う引越しがあり、家庭内のいざこざもあり、一時は薬が減らせてもすぐに再燃を繰り返した。発病から10年経過する頃には、難治性といわれるまでにこじれていた。

 バセドウ病は自己免疫疾患であり、自己抗体が関わっている。その自己抗体の数値が、私の場合通常の100倍にもなるらしい。今も血液検査の度に、自己抗体の数値は異常に高過ぎるために再検査に回され、診察時には
「今日のうちに自己抗体の結果が出るのは無理だから。まあ、それだけ高いということ。」
と言われる。自己抗体が高いと、寛解は難しいという。

 今の主治医には、15年ほどお世話になっている。地域の第三次救急病院の内分泌代謝科だ。初対面は、とんでもない医師という印象だった。

 当時は転勤したばかり。夫のモラルハラスメントがひどく、私は不信感の塊だった。そんなときに主治医は大喜びで
「ちょうどいい!アイソトープ治療をしよう。ここの病院はね、アイソトープ治療の設備があるんだよ!次の診察のときにご主人に来てもらって説明して承諾書をもらおう!それがいい。アイソトープを多めにして、甲状腺機能低下症にするんだよ!それで、チロキシン製剤を一生飲むんだ。そのほうが安いし簡単だし」
と、大はしゃぎだった。
 
 夫は、安いと言われれば喜ぶだろう。しかし、私の身体・私の甲状腺だ。酷いモラルハラスメントをする夫に委ねるなどとんでもない。そんなに簡単に、医師と夫に決められては迷惑だ。抗甲状腺薬ならば飲まなければもとにもどるが、放射性ヨードは飲めば放射線で甲状腺組織を破壊するのだ。私には、甲状腺機能を亢進させるのには私なりの理由があるように感じていた。過去、何か困難な状況に直面するたびに私の体は甲状腺機能を亢進させ、一種の自己ドーピングをすることによって切り抜けてきたのではないのか。思い当たる節はいくつもある。そんな健気な自分の身体・自分の甲状腺を、安いよという言葉で売り渡したくない。年間治療件数を1増やす数字として扱いたくない。今後、困難に直面したときに私の身体はどうやって乗り切ればいいのだ。

 「不可逆的な治療には、慎重であろうと考えています」
 私の言葉を医師は聞いていない。新しい玩具をもらった子どものようにはしゃいでいる。
 「夫は、そういう説明には向きません」
 「いいんだよ!わからなくても。印鑑だけ押してもらえたら。もとに戻せない治療だから、もどしてくれと言われても困るからさあ!」

 だから、不可逆的な治療には慎重でありたいからと断ったではないか!騙すようなやり方で承諾書を取って私の身体や甲状腺をどう扱うつもりだ!

 「アイソトープ治療の結果、今甲状腺が腫れることで抑え込んでいるものが、別の疾患としてあらわれることはありませんか?」
 「それはね、わからないんだよ。やってみるまで」
なんだと!?
わからないですまされてたまるか!

 「一生チロキシン製剤が欠かせなくなってからチロキシン製剤が手に入らなくなったらどうするんですか」
「国が調達してくれるよ」
それは、絶対だろうな!?保証はあるのか!?

 医師との押し問答は続いた。
「とにかく、私はアイソトープ治療はいやです」
医師は、怒ってそっぽを向き、私はなおも質問疑問を投げかけ、看護師はオロオロしながら間に入って通訳をしていた。

 次回の診察でも、私ははっきり言った。
「先生が私のことを思っておっしゃってくださるのはわかりますが、私はアイソトープ治療は受けたくありません」
と。医師は、
「それなら仕方がない」
と、抗甲状腺薬での治療をすることになった。

 結局、ずっとあとになってアイソトープ治療を受けることになるのだが(低下症にはなっていない)、医師の
「いいんだよ、わからなくても。印鑑だけ押してもらえたら」「もとに戻せない治療だから、戻してくれといわれても困るからさあ」
という言葉への不信は大きかったので、それまでには7年を要した。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?