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おじいちゃんと鯉と弟

noteの最新記事の投稿日が、8ヶ月前の日付だった。

それを見て、長いこと落ち込んでいたのだな、と気づいた、2月の末日です。


なんでそんなに期間が空いたのかというと、
7月の頭に、おじいちゃんが亡くなったのです。


おじいちゃんはお菓子屋さんでした。

お餅やまんじゅうを作っていたから、和菓子職人だと思っていたけれど、
実は、修行していたのは、パンや洋菓子だったそうだ。

それが、おばあちゃんとのお見合い結婚から、
「今日から和菓子を作って」と言われたらしい。なんだそりゃ!


おじいちゃんの家は、自営業。わたしの両親は共働き。

そんなことで、ほとんど遠出ができなかった私たち兄弟を、
おじいちゃんは土曜日になると、隣町の大きな公園に遊びに連れて行ってくれた。

それが、ある事件から、ぴたりと公園に連れて行ってくれなくなった。

わたしが小学生、弟たちが保育園に通っていたころ。
ある春の日、遊具で遊びつかれた後。
その公園には、鯉に餌をあげられる小さな池があって、
わたしとおじいちゃんは、池のまわりで遊ぶ弟たちをぼんやりと見ていた。

下の弟は、池のふちを歩いていたのだけれど、
そのうち眠たくなったのか、足元がふらりふらりと覚束なくなって。

「そろそろ帰ろうか」と、おじいちゃんと二人で顔を見合わせた直後。

どぼん!

と音がして、下の弟の姿が消えていた。
直後、

ざばーーん!!

と音がして、おじいちゃんの姿も消えていた。

池から顔をだす、下の弟とおじいちゃん。
下の弟は、呆然としていて、まわりにいる知らない人たちが、
「そちらに、サンダルが片方浮いていますよ」と、
検討違いなことを教えてくれるのを、わたしは他人事のように見ていた。

その後、なぜか厚着をしていた(長袖を3枚も!)上の弟から
服を剥ぎ取って下の弟に着せて、わたしたちは家に帰った。

60歳すぎのおじいちゃんが、一人で3人の子守をして、まして池で泳ぐのは、さぞや大変だっただろう。

その日から、わたしたちがおじいちゃんと外で遊ぶことはなくなってしまった。


そんなこともあったね、と、母と話した葬儀の日。
「そんなこと(遊びに連れていってくれたこと)があったのか」
と、20年も経ってから、驚くワーカホリックの父。

ほかにも、下の弟が口を大怪我したときに、
仕事場にいたのに誰よりも先に気がついて、
病院に行くように手配してくれたり。


家を留守にしがちな父の代わりに、
わたしたちを見守ってくれていたおじいちゃん。

年を超えて、ようやく私は、おじいちゃんの死を受け入れられるようになったようだ。

わたしの結婚式で、乾杯の挨拶のときに「万歳!」と言ってくれたおじいちゃん。

おばあちゃんと一緒に、天国で見守っていてね。

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