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一般教養対策① 自己決定権とパターナリズム


前置き

 一般教養で行った対策の内容と私見等を公開します!京大や阪大、神戸大の一般教養の対策になると思います。私見は、完全に個人の思想が入っていますので、参考程度にしてください。

1. 自己決定権

(1)自己決定権と他者加害原理

 ①自己決定権

 自己決定権とは、個人が自己に関する事項について、自ら決定する権利である。

 代表的なものとして、次の4つがある。

 1つ目は、リプロダクションの権利である。これは、子どもを作ったり、避妊・中絶・出産について自己決定する権利である。

 2つ目は、家族形成・維持に関わる権利である。これは、結婚や離婚、家族の共同生活について自己決定する権利である。

 3つ目は、生命・身体の処分に関する自己決定権である。これは生命維持装置の取り外しを求めたり、安楽死、尊厳死を求める権利である。

 4つ目は、ライフスタイルの自己決定権である。これは、個人の外観、趣味、人生などを自分で決定する権利である。

 このような自己決定権を認める意義は、個人の自律を保障し、多様性を尊重するといった点にある。

 そもそも、個人の幸福と考えることを一番よく知っているのは、その個人でしかない。したがって、個人の幸福を実現するには、自己決定権を認めることこそが必要となる。

 また、個人の自己決定に須らく国家権力が介入することで、国家が善き価値観を国民に押し付けることになりかねない。その結果、特定の価値観のみが尊重され、その余の価値観は、排斥されてしまい、多様性が減殺されてしまうのである。したがって、個人の自己決定権を認める必要があるのだ。

 もっとも、自己決定権といってもすべてが認められているわけではない。すなわち、自己決定権が須らく認められてしまうと、公益に反する結果となりかねない。

 そこで、J・S・ミルは、自己決定権として認められる行為と国家権力を発動して規制すべき行為とを画すべく、他者加害原理を定立した。

 

 ②他者加害原理

 「国家権力が、文明社会の成員に対して、正当に権力を行使しうる唯一の目的は、他人に対する危害の防止である。(J・S・ミル)」

 これは、国家権力がどのような場合に発動されるべきかを表象したJ・S・ミルが残した言葉である。

 この原理によれば、原則として、国家権力は、個人の意志に反して発動されてはならない。他方で、例外として、国家権力の発動は、他人に対する危害の防止を目的とする場合には、正当化されることになる。なぜなら、文明社会においては、複数の構成員が存在しており、特定の一個人だけが尊重されるものではないからである。すなわち、特定の一個人だけでなく、他の一個人も尊重されていなければならないのである。これこそが他者加害原理である。

 この原理によれば、他者に危害を与えない限りは、どのような行為であっても、自己決定権として認められることになる。例えば、喫煙や賭博、自殺等の自らを傷つける行為であっても、他者に危害を加えない限りは、国家権力によって制限されるべきではないのである(愚行権)。


(2)自己決定権の問題点

 ①女性の自己決定権と胎児の権利

 他者に危害を加えない行為が自己決定権として須らく認められる場合、新たな問題を顕在化させる可能性がある。

 例えば、子どもが欲しい母親が居るとしよう。この母親には、自己決定権が認められている。すなわち、他者加害原理に抵触しない限りは、子どもを産むのも堕ろすのも自由である。この場合、胎児に危害を与える可能性があるものの、妊娠22週目まで、胎児は母体外で生存ができない。すなわち、人として扱われていないのである。したがって、他者に危害を与えるとは言えない。

 その一方で、胎児はやがて母体から独立した個人と認められる存在となる。すなわち、胎児は自己決定権や生存権(プロ・ライフ)の帰属主体ともなりうる。それにも関わらず、別人格である母親がそれを侵害してしまうことにもなりかねないのである。

 また、優生思想を正当化する危険性をもはらんでいる。

 例えば、近年では、出生前診断が発達してきている。出生前診断とは、羊水検査や超音波検査を通じて、生まれる前の赤ちゃんの病気や奇形の有無を診断することを指す。その目的は、生まれる前の赤ちゃんの状態を観察・検査、治療を行うことや情報の適用を行うことにある。これを利用し、胎児に障がいや難病が有ることを知らされると、中絶しようと考える人も多い。その結果、障がい者に対する差別(優生思想)が蔓延することになりかねない。そして、このような思想を親の自己決定権の尊重という名目で正当化してしまう危険性をはらんでいる。

 コラム:優生思想

 ①優生思想とは
 上記のように障がいを持つ子供を生まないという考えには、優生思想が内在している。優生思想とは、人類が遺伝的に獲得する形質を科学的にコントロールすることで、より良い社会の実現を目指す思想を意味する。


 ②背景
 19世紀後半のヨーロッパでは、科学至上主義が世の中を席巻していた。ここに、科学至上主義とは、実証的な近代自然科学が進歩すれば、将来的には、世界中のいかなる現象も科学的に解明されるという信念である。そして、このような信念を下に科学者はあらゆる現象を実証的に解明しようとする動きが活発化した。その結果、人間社会の科学的な改良について、生殖活動や遺伝現象という生物学的な観点からアプローチする優生思想が誕生した。

 例えば、フランシス・ゴルトンは、イギリス社会のさらなる発展のためには、望ましい形質を持つ個体の数を殖やし(積極的優生学)、同時に望ましくない形質を持つ人間の数を減らす(消極的優生学)ことが必要と述べた。その根拠は、芸術家や科学者などの才能がある個体は統計上、互いに血縁関係にあることが多く、社会的に有益な知能や性格などは、遺伝的に継承されているとする点にある。


 ③問題点
 ゴルトンのいう良い形質とは、明らかに当時のイギリス市民階級の生活習慣や考え方を基準にして考えられていた。すなわち、ある特定の視点から語られた「良い」人間の数を社会的に増やし、また同時に「良くない」人間を減らそうとする思想であった。その結果、「良くない」形質を持つ人間、あるいはマイノリティの社会的な価値を低下させ、彼らの生活を脅かす危険性を顕在化させることとなった。

 例えば、1933年には、ナチス政権下のドイツで、身体・精神障がい者や依存症患者等に対する強制断種法が制定された。なお、断種法の適用者は、地域の医師や精神疾患施設の責任者が候補者をリストアップし、遺伝衛星判定所が候補者を断種するかを決めた。

 また、アメリカでは、1907年にインディアナ州で断種法が世界で初めて制定された。それに加えて、1924年には移民法(ジョンソン=リード法)が制定され、能力的に劣った移民との混合によって優秀なアングロ・サクソンが遺伝的に劣化することを予防する趣旨で、東欧系・南欧系・アジア系移民を厳しく制限した。

 我が国においては、1948年から1996年までの間、優生思想の見地から、①不良な子孫の出生の防止及び②母体の保護という目的を掲げ、優生保護法が機能していた。本法では、特定の障がいや疾患を有する者を「不良」と扱い、そこから子孫の繁栄がなされないよう強制的に不妊手術を行うことを正当化した。特定の障がいや疾患は、遺伝性疾患や奇形症候群などであり、その他厚生大臣が指定するものも含められていた。


 ②解決策(私見)

 私見では、どちらか一方が尊重されるのではなく、双方が尊重され、調和することが望ましい。

 妊娠・出産において、「どのような形質の子どもを持ちたいか」といった自己決定権を尊重すると、上述したような問題が発生しかねない。したがって、このような自己決定は認められるべきではない。

 一方で、一切の中絶が許されないとすれば、母親の自己決定権を侵害しかねない。すなわち、中絶が一切認められないとすれば、抵抗できない状態で姦淫されたこと(いわゆる強姦)による妊娠や母体の健康を著しく害するおそれのある妊娠であっても堕胎が許されないことになる。その結果、女性は、生命や身体に対する自己決定まで制限されることになりかねない。

 そこで、妊娠・出産における母親の自己決定権は、一定の留保付きで認められるべきである。すなわち、望まない妊娠や母体の健康を害するような妊娠においては、女性の自己決定権として、中絶する権利が認められるべきである。

 これに対して、胎児が障がいを持ったまま産まれれば、辛い人生を歩むことになりかねない、といった反論が想定される。

 しかし、個人にとっての幸福は、個人によって異なる。すなわち、障がいを持って産まれてきた子どもが人生を追い遂げるまでは、その子が幸福であったかはわからないはずだ。それにも関わらず、我々が一方的に、辛い人生を歩むことになると決めつけることはできない。

 以上の通り、母親の自己決定権と胎児の生存権は両立することが望ましい。


2. パターナリズム

(1)自己決定権の脆弱性

 自己決定権には、次のような問題点もある。すなわち、社会には、自己決定権として権利を主張できない者が存在していることである。例えば、重度の障がい者であって、言葉を発することができない者は、自ら権利を主張することができない。また、判断能力が未熟であれば、間違った選択をしても、自己決定権として行使した結果、発生した責任を甘んじて受け入れなければならない。

 そこで、パターナリズムが必要となる。


(2)パターナリズム

 パターナリズムとは、父親が子どもを庇護するように、国家が個人に対して、温情から、必要なものを与えようとする主張あるいは態度のことをいう。その意義は、本人の利益に反する行いをするような人を誤った道から救い出すという点にある。

 例えば、従来の医療は、パターナリズムだと考えられてきた。すなわち、医者が患者の容態や適切な医療を温情によって決定するものであり、患者はそれに従っていればよいと考えられてきた。また、薬物を制限するのも正にパターナリズムである。すなわち、薬物は高度の依存性から、薬物依存から脱却することが難しい。したがって、これをあらかじめ制限するのである。


(3)パターナリズムの問題点

 ①一方的なパターナリズムが横行しかねない

 上述したように、従来の医療においては、パターナリズムが主流であった。

 しかし、その結果、個人の自己決定権を無視した過剰なパターナリズムが横行するようになった。

 例えば、アメリカにおいて、足の痙攣を訴え、医師から投薬治療を受けてきた男性が居た。彼は、医師に足の検査をする必要があると説明され、それを了承した。なお、その検査によって、足が麻痺する合併症が発生する可能性が少なからずあった。そして、検査が終わると彼の足は麻痺して動かなくなっていた。これに対し、裁判所は、合併症が発生する可能性を説明しなかったとして医師側の責任を認めた(サルゴ裁判)。

 我が国においては、エホバの証人輸血拒否事件が有名である。この事件は、宗教上の信念から、いかなる場合であっても、輸血を受けないとしていた者に対し、医師が、手術において、輸血を行った事件である。
 本件において、最高裁は、医療に従事する者が医療水準に従った相当な手術をすることは、当然のことであるとした。その一方で、輸血を受けるか否かの決定をする権利は、人権の一内容として尊重されていなければならないとして、輸血を受ける者に対し、相応の配慮をしなければならないと判示し、医師側の賠償責任を認めている。

 このように、医療の現場において、過剰なパターナリズムが横行するようになっていたのである。


 ②自己決定権を阻害し、社会の多様性を危うくしかねない

 パターナリズムというのは、特定の価値観を善とした上で、それを個人に押し付けるものである。このような思想は、最大多数の最大幸福を前提としている。

 最大多数の最大幸福...人間は快楽を求め、苦痛を避けようとする存在である。したがって、この快楽の量を計算し、なるべく多くの人間が、快楽を得ることによって幸福になるというのが政治や法律の目的とするところである。

 他方で、何を快楽と考えるかは、人それぞれである。例えば、末期のがんに罹り、生きていること自体が苦痛である人が居るとしよう。そのような人々の中には、安楽死によって、がんの苦痛から逃れることに快楽を見出す者も存在している。それにも関わらず、パターナリズムとして、安楽死を規制すれば、個人の自己決定権を阻害し、ひいては特定の価値観を排斥することになりかねない。その結果、多様性を減殺する社会となってしまう。


(4)自己決定かパターナリズムか(私見)

 これまで見てきたように、自己決定とパターナリズムには、それぞれの意義があり、かつ問題点がある。したがって、どちらか一方が採用されるのではなく、両者が共存することが望ましい。

 では、どのように自己決定とパターナリズムを共存させていくか。

 私見によると、原則として、個人の自己決定権が尊重されるべきである。なぜなら、自己決定権を認めることには、上述した意義があるからだ。

 一方で、自己決定権を認めることで、問題が生じる場合には、パターナリズムによって、自己決定権を制限する必要性が生じてくる。

 もっとも、自己決定権の問題点を解消するために、須らくパターナリズムを施せば、上述したパターナリズムの問題点が顕在化しかねない。

 そこで、パターナリズムは、個人の判断能力が認められない場合若しくは著しく制限される危険のある行為に認められるべきである。

 例えば、個人の判断能力が認められない場合として、未成年者の自己決定が挙げられる。我が国においては、未成年者に対して、性的自己決定が制限されている。なぜなら、未成年者は、一般的に性的な判断、同意能力に劣ると考えられ、性的経験による悪影響から保護すべきだからである。

 また、個人の判断能力が著しく制限される危険のある行為として、被害者なき犯罪を例に挙げよう。ここに、被害者なき犯罪とは、犯罪によって被害者が発生しないものの、処罰する犯罪類型を指す。例えば、麻薬や組織売春等が被害者なき犯罪である。
 このような犯罪類型は、個人の判断能力を制限することから、パターナリズムとして規制が認められる。例えば、違法薬物は、高度の依存性から人の判断能力を奪う危険性がある。また、組織売春は、多くの場合、経済的弱者が行っている。すなわち、組織売春は、売春組織が売春によって生計を立てるしか方途がない者(他に生計を立てる方途が存在しないという意味で判断能力が制限されている)の状況に乗じて行うものである。このように、個人の判断能力が制限されていれば、正常な判断に基づいて行為することが困難となる可能性がある。その結果、本人の利益に著しく反する自己決定を行うことになりかねない。

 したがって、個人の判断能力が制限されている場合には、自己決定よりもパターナリズムが採用されるべきである。

3. 解いておきたい問題

・自己決定権にはどのような意義があるか。自己決定権の問題点に触れつつ述べなさい。

・現代では、出生前診断が発展している。出生前診断とは、事前に胎児の病気や障がい等の有無を確認することで、早期の治療を施すことや母体を保護することを目的とするものである。このような出生前診断の意義と問題点に触れつつ、あなた自身の見解を述べなさい(類題1:神戸大学令和三年度一般教養)。

・パターナリズムには、どのような意義があるか。パターナリズムの問題点に触れつつ述べなさい。
 
・喫煙や賭博等、それを行う者に対する危険性・依存性を根拠として、規制を行うことは許されるか。規制を行うことの問題点に触れつつ、あなた自身の見解を論じなさい(類題1:尊厳死・安楽死の意義及びその問題点について述べた上で、あなた自身の見解を論じなさい。類題2:京都大学
平成31年度 第二問 (過去問は京都大学HPを参照)。)。

・近年、海外を中心に、代理母懐胎の制度が整備されてきている。ここに、代理母懐胎とは、夫の精液を第三者である代理母に人工授精し、代理母が妊娠・出産することをいう。このような代理母懐胎の意義及び問題点について述べた上で、あなた自身の見解を論じなさい。 

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