見出し画像

カードゲーム構想中(永久に…)

シールを作り始めた頃からずっと、シンセやドラムマシンなど打ち込み用の楽器を擬人化して、現実の機材の歴史や関係性を反映した物語ありきのシール&カードゲームを考えてきた。

どうせなら子どもにも遊んでもらいたいと思ったので、世界観の設定が込み入りすぎないよう「部族間の争いに古の神話や古代兵器が絡んでくる」というベタなRPG的世界観にして、カードを組み合わせてポイントを競うカードバトル形式で作ることにした。主人公はMC−303で、一番古い楽器はテルミン。

楽器の歴史や音色作りの仕組み、いくつかの神話などを自分なりに調べて内容に反映していき、ようやく面白いと思える物語の大枠とゲームシステムがまとまりかけた頃、ロシアが戦争を始めた。

インターネットを介して、これまで経験してきた海外の戦争よりもダイレクトに人が人に殺される様子を目の当たりにしていたら、「カードでバトル」するという形態が嫌になった。
幸いなことに楽器を題材にしていたので、「カードでバトル」して得点を競い合う形式から、「カードでセッション」してプレイヤー全員で高得点を狙う形式に方向転換して、1から考え直すことにした。

ゲームの遊び方を対戦プレイから協力プレイに変更しても、現実の機材の歴史や関係性を反映したRPG的世界観の物語を作るという目標はそのまま残したい。そう思って考えるのだけど、一気に難易度が増して思うように進まなくなってしまった。
争いのない世界の歴史を面白く創造する作業が思いのほか難しいのだ。どうやってもパンチが足りない。

もちろん自分に才能がないことが一番の原因ではあるのだけど、それにしてもゲームの物語やシステムを「争い」で構成することがいかに安易で楽なことかを思い知った。

そしてこれはゲームに限った話ではないとも感じた。意見の二極化も同じ。
選択肢を極端に減らしたり、一方的な正誤や優劣を押し付けて敵味方に分断。単純化して争いの構図に当てはめた方が頭を使わなくて済むし分かりやすい。論破が流行るのもラクして気持ち良くなれるから。

このカードゲームは「カードでセッション」する協力プレイの方向性で引き続きのんびり考える。そのせいで日の目を見ないとしても、もう軽々しく「争い」をネタにすることは出来ない。
(ついでに書くと、人の作品制作を手伝う時も差別や戦争をネタにしていると感じた場合は意見するようになった。やめるように強制はしないけど、やるなら知った上で覚悟を持ってやるべき。自分も気付かずやってしまう事があると思うので指摘して欲しい。
そういえば商品到着を「着弾」と表現する人たちは自覚があって使っているのだろうか。もともと嫌いな言葉だけど、この期に及んで使っている大人たちはどいう気持ちで使っているのか)

一方で、もともと「争い」と関係なく考えていた歌舞伎をテーマにしたカードゲームはとっくにまとまっているけど熱意とお金が尽きて長らく放置してある。
どのみちズボラが原因で日の目を見ないんじゃん。


【おまけ】
協力プレイでオススメのカードゲーム!
二人用でルールはシンプルながら推理が楽しい!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?