見出し画像

【エッセイ#8】楽しくないことの拒絶

ちょっと自分の思考の癖を言語化できたので、書き残しておこうと思う。
オチはないのでご了承いただきたい。

【前段】

最近会社の同僚や同期から、「いつもポジティブで楽しそうだよね〜」と言ってもらえることが続いた。「何かコツがあるの?」とも聞かれたのだが、そのときはあまり上手く返答出来なかった。自分の中でポジティブでいる意味やコツが言語化出来ていなかったからだと思う。

また、最近色んな人と飲む機会が多く、飲みの場で『仕事のやりがい』とか『仕事の面白さ』的な話題もちょくちょくあがっていた(大部分はくだらない話なのだけど)。

そんな記憶があったからか、今朝ぼんやりコーヒーを飲んでいた際に、「なぜ自分はポジティブでいるのか?(とりわけ仕事において)」という疑問に対して、一つの答えが見つかった。
それは「楽しくないことの拒絶」だった。

「楽しくないことの拒絶」の話をするにあたり、前提として、俺は『人生が毎日楽しくてハッピーでありたい、あるべき』という、おめでたい思想をもっていることを白状する。
たぶんこの時点で共感できない!という人は沢山いるのかもしれない。
俺も俺自身をおめでたい人間だなと思う一方で、そんな思想をもてるくらい幸せな日々を過ごせたことに心から感謝している。

特に大学生までは圧倒的に楽しい日々が多かった。それは学生という立場で責任がなく、親のお金で楽しいと思うことを好きなだけやらせてもらえていたからだと思う。
もちろん、楽しくない日々や辛いこともあったけれど、それらはあくまで外れ値で、平均すると毎日が楽しいで溢れていた。

だけれども、社会にでて仕事をするようになり、「楽しくないけどやらねばならないこと」のウェイトが増えてきた。というか、仕事=「楽しくないけどやらねばならないこと」なのかもしれない。そんな事実と、「毎日が楽しくありたい」という欲求がぶつかることで、「楽しくないことの拒絶」が生じたのだと思う。

【本題:楽しくないことの拒絶】

人は楽しくないことに出会ったとき、大きく二つの選択肢を取ることができる。
1. 楽しくないこともあるよなと受け入れる
2. 楽しくないという事実を拒絶して楽しさを見出す

1.は大人の対応である。人生楽しいことばかりではないから、そんなこともあるよねと受け入れてやり過ごす。この思考ができると柔軟性が増して楽になることもあるんだろうなと思う。

2.は楽しくないことの拒絶である。毎日が楽しくありたいと強く願う俺は、こちらの選択肢を自然と取ることが多い。
そして2.はさらに以下二つに細分化することができる。
2-1. 楽しくないことに大義を見出す
2-2. 何でもいいから楽しさに変換する

山登りに例えてみようと思う。俺は山登りが好きなので、あくまで無理やり山登りに連れてこられて楽しさを感じていない人の目線になってみる。

無理やり山登りに連れてこられた人にとって、山を登るという行為は楽しくない。ならばどうするか。一つは山の頂上の景色を夢見て、今の自分の楽しくなさに意味を見出すことができる。絶景を見るために今自分は苦労しているのだと。もしくは登山を通じてダイエットするという目的を捻り出し、今頑張れば引き締まった身体になれると自分を鼓舞することもできる。
これらは2-1.の拒絶にあたる。

では、2-2.の拒絶ではどうか。
「道中の綺麗な花を写真に撮ることに夢中になる」「友人とのお喋りに楽しさを見出す」「澄んだ空気を感じる」「他の登山客に好みの人はいないか探す」等々、たくさん方法はある。
要は楽しくないと思っていた登山の見方を変えて、楽しさを作り出すことが2-2.である。

どちらも有効な拒絶の方法ではあるが、仕事において2-1.を取ることは結構難しい。というのも、大義を考えても、それがモチベーションとなるほど実感を伴えるかは別の話だからだ。
そういう意味で、俺は2-2.の拒絶をすることが多い。それが冒頭で書いた、ポジティブな姿に繋がっているだろうなと感じた。

【後段】

これから先の人生で、「毎日が楽しくてハッピー」なんて幻想だったと思う日が来るかもしれない。だけど、できる限りその幻想にしがみついて生きていたい。
そのために「楽しくないことの拒絶」のレベルをあげて、楽しさ・ワクワクを創り出せる人間になりたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?