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老いとホクロ。20代ギリ前半

会社の求人募集にわたしの写真が掲載されているということでどんなもんかと見てみました。表情は、まぁ案の定目が笑っていませんでしたが及第点です。が、最大の問題は、ホクロ。片頬から首筋まで一定の間隔で大小のホクロが連なっていたのです。いや北斗七星じゃないんだわ…。わたしの預かり知らぬところで、身体が変化している。身長はもう止まっているのに。

求人広告は一眼カメラで撮ってもらいましたが、そういえば一眼カメラは見たままの姿がそのまま写るカメラなのだと聞いたことがあります。普段誰かと携帯で撮るときは当然のごとく加工カメラ。ひかりをバチバチに飛ばして、ホクロもシミもなかったことにするのもお手の物です。こんなにも変わるとは。恐るべし一眼、そして加工の力よ。とはいえ、現実の顔だって毎日見ています。朝の洗面所、職場の歯磨きタイム、夜の風呂上がり…毛穴やら日焼けやらはチェックしているのに、ホクロの増殖はわたしの目を通り抜けて、どんどん浮き出ます。元々ホクロが出やすい体質で、これはもう遺伝なのでどうしようもない。今は20代ですけれど、これが40,50になったらもうなにかの柄みたいになるんじゃないかと本気で考えます。それはちょっと嫌だなぁ。

老いが恐ろしいという気持ちと、歳を重ねることが楽しみだという気持ちは往々にして入れ替わります。早生まれの友達は、若いことが唯一の強みだから、それがなくなったら何も残らないと嘆いていました。それ以外にもあなたの魅力はあるし、若くなくなる前にそれ以外の強みをつければいいじゃんとも思いましたが、今はなんとなく、その友人が老いを怖がっていた気持ちがわかる気がします。だって、「若さ」という万能かつ絶対的な強みは失ったら最後、二度と戻らないものだと感じ取りはじめたのです。他の魅力や力をどんなに身につけたとしても。若さの万能さには敵わないんじゃないだろうか…

だって、今までずっと「若い人」という立場だったのです。わたしはまだ、「若い人じゃない自分」を知らないのです。先輩になろうと、学生の立場であるうちは無条件に若者ですし、社会人1年目という肩書もまごうことなき若者の証でした。しかし社会人は2年目に突入し、後輩が入りはしなかったものの自分が指示をしたりリードをする機会はやっぱり増えてきて。いま言われる「若いのに頑張っているね」は、年を重ねるごとに当たり前のことになってしまいます。わたしは、いつまでだって褒められたいのです。自画自賛もいいけれど、やっぱり人には認めてほしいし、褒められたい。そう思うと、若さを失うということは恐ろしいし、足元がおぼつかなくなる心地になります。

年を重ねるごとに出る魅力がきっとあると信じてみますが、いきなり熟成することはもちろんなくて、さら言えば若さを完全に失ったわけでもないのです。ただひたひたと足音が近づいてくる気配を感じたというだけの、中途半端な、いま。

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