居心地が悪い
談笑するよりも、小間使いのごとく動いていたほうがいい。空気みたいに扱って、そんでもってあとに残る印象が悪くなければ御の字。
20くらいから親族の中ではそんなことを意識して動くようになって、23で家を出て家事を覚えた25の今はさらに磨きがかかっています。
自分のメンタルを守るためにそうしている部分が大きいのですが、そうすることが他者から見た自分の印象価値になるというのは皮肉だなと思わざるを得ません。
ただ、そのことをなんか嫌だな、と思いながらも解決する気のないわたしは怠惰かもしれません。いや
、怠惰なんでしょうね。同じような怠惰さをもった人は他にもたくさんいるから、咎められないだけで。
明日もあるからと早めに出て、鬱屈した気分で電車に乗ったわたしはショッピングモールに駆け込みました。ボーナスが入ったことをいいことに服屋をハシゴ。明るい色のパンプスとボトムスがほしい。
欲望に素直な買い物をして、クタクタになって帰りの電車へ。
それでも居心地の悪さは消えません。もはや、さっきまでいた家に対しての居心地ではないのです。どこということもなく、ただ、落ち着かない。
ひとりで住む家に帰って、茶を飲みながらこの文章を書きながら考えます。この居心地の悪さは、どこからくるものだろうか。
自立神経の乱れ、クォーターライフ・クライシス、突然の部署異動、身近な人々のごく当たり前の変化、増えた秘密。
要因はいくらでもあげられます。でも、親族に対してと同じように、それらに対して解決しようとは思っていないのです。しいて言えば、こんなふうに書くことが自分なりの解決方法なのかもしれません。書くことでしか、整えられない部分は必ずありますから。
とはいえ、書くだけでは整えられない部分もまたあるわけで。そのあたりの打開策を、わたしはまだ見つけられない。
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