アナーキーインザ1kの「でたらめなフォルム」って実は友達との会話が伏線になっていたんじゃないかというお話

はい、ハヌマーンで1番好きな曲は何かと聞かれたらアナーキーインザ1kを即答するまんじゅうがにです。
前々から、アナーキーって多分「なんでもない一日の出来事を時系列順に歌ってるっぽい」とは思ってたんですが今一つ根拠を示せないので黙ってました。
でもタイトルのことを思いついたおかげでこの時系列説を強化できそうだったのでノートにまとめておきます。

まず、タイトルのことについてです。
これを解釈するにあたって僕が「でたらめなフォルム」という表現から受けた印象が大前提にあります。
それは地に足のついていない状態や、片にはまらない、はまれない自分みたいなものです。
そして、自分をそのようなでたらめなフォルムだと表現したのは友達との会話で何か後ろめたさを感じてしまったからではないかというのが結論になります。

おそらく、数年ぶりにあった友達との2分の会話の中で
「そっちは今何してるの?」みたいな内容になり、友達は定職について安定しているのに、自分はアルバイトで食いつないでいるのではっきりと今何をしているか答えられなかったのかなと思います。

そう考えると、会話を2分で切り上げてしまったのも納得がいきますし、「変わっちまったのはおれかあるいはお前か」も、
「いや、何も変わっていないか」という反語のようにもきこえ、順当にいけば今のようになるのは目に見えていたよな、という意図が隠されているようにも思えてきます。

定職について安定した生活を送ってそうな友達と、いまだにバイトで食いつないでいつ叶うかもわからない夢とやらにすがっている自分を比較してしまい、これまで見ないふりをしてきた将来への不安というか、友達へのコンプレックスを受けて今の自分を「でたらめなフォルム」だと表現したのかなというお話です。

もしそうだとすると、次のバイト先での話も少し聞こえ方が変わってきます。

バイト先のパートで前から気になってたのが、
バイトの時に毎回「呪い殺してやるぜ」というくらいのマイナス感情を抱いていたのかなということです。
これだとちょっと違和感があったので、このマイナス感情の特に大きい日が歌われたんだと解釈していました。

そうだとすると、朝の友達とのやり取りを受けてちょっとモヤモヤした状態でバイト先に向かったせいで普段ならそこまで気にならないやり取り(当たり前のようにあるいじめ、変わらない話題)が特に鼻についたのかとも解釈できるのかなと思います。

※ここのバイト先でのいじめについて、あくまで傍観の立場をとっているという前提で書いています。これですが、ぼくはハヌマーンやバズマの歌詞の特徴の一つとして、なにかを遠くから見る視点で書かれることがおおい(夜の学生街、僕の知らないうるさい音楽に夢中な彼女、青年と走る鉄塊の交差etc)というか、何かに主体的に取り組んでいる様子が少ない気がするのでこういう解釈をしていました。

そうなると、このあとは夜のパートにもつながっており、おそらくバイト帰りであろうと考えるとスッキリします。

(個人的には夜のパートが一番好きで、特に印象に残っている表現が「夜を所有したあの感じ」のところなんですけど、昼の鬱陶しい喧騒から解放されて人の気配が感じられずに世界が自分だけのものになったような落ち着いた夜にふと感じるあの感覚にはめちゃくちゃ身に覚えがありますし、この感覚に名前がついたのは僕の中で大きな革命でした。)

そんな夜パートについてですが、
「あなたの声」「夢の続き」「母さんが笑ったあの感じ」はいつかの記憶を逡巡している部分であり、
それからまた視点が夜の街に戻って「街のガヤガヤ」「夜を所有したような感じ」と歌われてて、
目の前の夜と心の中に引っかかっているいつかの記憶を思い出してちぐはぐに思考していくあの感じを表現しているように思えます。
(バイト終わりの気持ちのいい夜ということで少し浮ついているのか、何となくプラスイメージの表現が多いような気がします)

そうしてなんだか何かを考えたような、そうでないような思考を経て、
でたらめなフォルムのままで部屋に戻ってまた革命の準備、音楽で何かを変える準備をするんですね。

まとめると、
普段と変わらないバイトの一日のはずが、朝たまたま会った友達のせいでなんとなく気に入らないものになり、それでもそれを受け入れて、でたらめなフォルムで夜を急ぐようになったということです

アパルトでもそうですけど、このやりきれない現実を認めた上で、それでもいいとまでは言わないけどこの生活を続けていくしかないだろ、生活を続けていくための音楽だろう、くらいのニュアンスを込めて、遠回しに何者でもない俺たちを否定しないでくれているように感じられるハヌマーンが大好きです。








※これ以降は蛇足です。
前回のアパルトの時もそうだったんですけど、こうして曲の好きなところを文字に起こすと、自分の感じてるその曲の魅力は確かに余さず文字にしているはずなのに、なんだか物足りなく感じるんですよね。
自分がこの曲を聞いてうけた刺激はこの程度じゃないというか、文字にならない部分でまだまだ表せていないものがあるというか、まあ物足りないんですよね。
アナーキーインザ1Kは、僕は一人になりたいときによく聞きますし口ずさんじゃいます。
たとえば、仕事の大きい集まりでそれっぽいことを言うのにつかれたのでそこから少し離れて一人になった時や、ただ笑ってはいるけど楽しいんだか楽しくないんだかわからない飲み会で一人入ったトイレの中とか、自分の仕事がなんだかうまくいかないときとか
そういう、一人の時間を肯定してくれるような力をアナーキーには感じているんですがこれがアナーキーのなにに由来しているのか今一つわからないです。厄介なのが、一人を肯定してくれるような雰囲気こそアナーキーのことが一番好きな理由だということです。
曲の空気感が好きと言ってしまえばそれまでですが、それで片付けたくないくらい好きだったので何とか頑張ろうと思ったのが今回のnoteを書き始めた理由かもしれません。

部屋で俺思想犯
アナーキーインザ1K
部屋で俺革命犯
アナーキーインザ1k(記事終わりますの意)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?