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駐在員妻 下から見るか横から見るか②

こちらは下の記事の続きです。
①を未読の方は是非先にご覧ください。

第1回駐妻生活2年目~妊娠・出産~【後編】

子供を産んだ後の仕事として、家で教室をするのはどうかと考えた私は、ネットで教室を開けそうなスキルを得られるスクールを探しました。里帰りする予定は8ヶ月程度のうち、出産前の約3ヶ月と、それで足りなければ産後1ヶ月以降で多少実母に赤ちゃんを任せればなんとかやれるんじゃないかなと想定しました。付け焼き刃ですね。私だったらそんな教室には通いたくないです(笑)が、その時は自分のことしか考えていませんでした。折角長期間日本にいるんだから、何かしておきたいという気持ちもありました。今の私からは、産前・産後くらいゆっくりしろと言いたいです。
でも、日本で働いて産休育休を取得する女性でさえ、産後のキャリアというのは悩みの種なんだと思います。海外で、しかもキャリアが途切れた状態での妊娠・出産というのは、ずっと仕事をしていたい私にとってはとてもとても不安で、産前・産後であっても何かキャリアに繋がることをしていないと気がすまないような状態でした。

ところで就職活動の時には社会に出ること自体憂鬱でたまらなかった私ですが、なぜこんなに仕事が不可欠になったのでしょうか。
もちろん、仕事の内容が評価されれば誇らしいからという面もありますし、NHKの「プロフェッショナル」にいつか出られるくらい輝いた仕事、自分にしかできない仕事をしたいと思っていたこともありました。
でも一番大きいのは「経済的に自立していたい」と考えているからです。この理由は何点かあって、①離婚したくなった時に経済的な理由で諦めたくないから、②夫が大病したり、リストラされたり、脱サラしたくなった時に、「大丈夫だよ」と言ってあげたいから、③節約が苦手(時間とトレードオフになっている節約に意味を見いだせない)なので、そういうことを考えなくてもいいくらいの世帯収入がほしいから、といったところです。でも結局、帯同と妊娠・出産で、新卒から十年と少しのうち、丸4年は仕事をしていません。キャリアも切れ切れになってしまって、キャリアパスを描くのも難しいし、ロールモデルもいないような状況です。

さて話を戻します。ネットでスクールを探した私は、アロマテラピーかベビーマッサージの選択肢を得て、重たい身体を引き摺って見学をしてから、ベビーマッサージ教室の資格を取ることにしました。赤ちゃんのことなら私も目下最大の関心事ですし、その頃当地でやっている人がいるという話を聞いたことはなかったし、赤ちゃん連れが出歩く場所が少なかったので、ある程度単価が高くてもお客さんは来てくれそうだなと思ったからです。ベビーマッサージのレッスン受講は出産前までに終わらせて、産後1ヶ月の頃に実技試験があったのでそれを受けに行き、晴れてベビーマッサージ教室の資格を得て、その2ヶ月後日本を出発することができました。

ただ、実は結局、当地でベビーマッサージ教室を開くことはありませんでした。主な理由は2点。①ママ友がターゲットになってしまうから、②ベビーマッサージの一部の内容にトンデモ医学を感じてしまったから です。
①については、出産前には思いもよりませんでしたが、その頃当地には赤ちゃん連れママのコミュニティがあって、赤ちゃん連れはほとんど顔見知りといった状態でした。私もたくさんのママ友ができて、海外での大変な子育てを一緒に頑張る同志のような関係性になりました。このコミュニティに対して営業をかけるということは、すなわちママ友それぞれとの関係を変えてしまうことに繋がりそうで嫌だなと思いました。考えようによっては、ベビーマッサージを広めることでこのコミュニティに貢献することもできたかもしれませんが、怖さの方が勝ってしまい、身近な友達に数回やるだけで終わってしまいました。
そして②について。ベビーマッサージはとてもいいものだと私は思っています。特に低月齢の赤ちゃんはまだできる遊びも少ない中、親が赤ちゃんとのふれあいを通じて愛着を伝えられる良いコミュニケーションツールだからです。ただ、私が資格を取得したスクールの教本には「胸のマッサージで胸腺を刺激して免疫細胞を活性化する」といったようなことが参加者に伝えるべき内容として記載されていました。体表を撫でる程度のマッサージで果たして免疫細胞の活性度合いが変わるものでしょうか?教本にはその根拠の記載もありませんでした。こういうことを医学を学んでもいないのに人に伝えることにかなり抵抗がありました。スクールに通っている時点で疑問ではあったのですが、実際に開業できるか?と自問した時にはっきりと「やりたくない」と思いました。後から考えればそういうことは勝手にすっ飛ばして楽しくやればよかったんじゃ?とも思いますが、①の理由との兼ね合いもあったと思います。また、資格の維持に年会費が必要など、資格ビジネスの香りをまざまざと感じた面もあります。
資格取得に関わる費用は全部20万円くらいかかっていたので、自分の中で「やらない」と決めた時はお金を無駄にしてしまったとかなり落ち込みました。

産後に当地へ帰ってくると、夫の後輩が赴任してきていて、その奥さんも帯同してきました。初めて年下の駐妻仲間ができました。その方も日本での仕事を辞めてきたと言っていましたが、元の仕事への未練は全くなく、働かなくていいなんて良い機会なので、妊活をしつつ、本帰国後に新しい業界での仕事に繋がるようなスキルを得られないか考えているとのことでした。私には、彼女がすごくキラキラして見えました。現状として駐妻が働くことは良いことと思われていません。私はクソクラエと思っているけど。そことあえて戦おうとはせず、かといって長期的には働くことを諦めずに準備する期間にしようとしている。その結論に赴任当初から至っていることが、心の底から羨ましかったです。

敢えて会社と戦ってしまった私は、悪しき前例も作ってしまっていました。私より少し上の方お二人も、実はできたら働きたいと思っていたという話を、産後当地に帰ってきてから聞きました。お一人はバリバリのキャリアウーマンで、会社は帯同中は休職しているけど、会社からリモートでいいから復職しないかと打診されているとのことでした。もうお一人も日本では大企業にお勤めで、帯同をきっかけに辞められたけれど、当地の日本法人で働くことを希望すればできそうだ、とのことだったんです。普段は全然そんな風に見えなかったので、同じ会社の駐妻で働きたいと思っている方が他にもいたことにびっくりしました。それと同時に、私の失敗談を共有することでお二人は「じゃあやめておこうかな…」となってしまったことに少し責任を感じました。私がもっと頑張ってあの状況を打破していれば、彼女らも働くことができたのかもしれませんでした。お二人は、夫の会社と波風を立ててまで働くことは希望しない、というご判断でした。もしあの頃、三人同時に希望を伝えていたら少し結果は違っていたかな、と今でも考えます。

子供ができたことでコミュニティが広がった私は、さらにびっくりすることになります。ママ友として知り合う人のうち、日本で大企業で活躍していた人がとても多かったんです。駐妻は世代が上になると大学を卒業してすぐに結婚されて専業主婦、というような方がほとんどという印象ですが、2020年現在の30代だと職場結婚の夫婦も多く、名だたる企業で働いていた人がゴロゴロいます。そしてそのほとんどは帯同をきっかけに仕事を辞めています。もちろん、仕事を辞めたくて辞めた人もいると思います。私だって休職の選択肢があったのに自分から進んで退職しました。ただ、海外帯同する妻に対する休職などの制度は社会全体で整っているとは言えないし、制度があっても使いづらい環境・雰囲気だというのが実情じゃないかなと思います。

第1回本帰国生活1・2年目~ワーママ始動編~

子供が1歳を過ぎたころ、夫に本帰国の辞令が下りました。ベビーマッサージ教室を諦めた私は、その後帰国まで仕事はしませんでした。「まぁ育休を取っているようなものと考えて…」と焦る自分を納得させました。しかし本帰国が決まってからというもの、私は子供が寝ついては転職サイトや求人サイトを見るようになっていました。帰国したらとにかく早く働きたい、その一心でした。東京で、子供を保育園に入れてのワーママ生活です。最終的には認可保育園に入れることを考えると、フルタイムの仕事でなければなりません。帰国後の夫の業務内容によって、夫の協力が得られるかはわかりません。これまで私がしてきたような激務では、子育てや家庭運営との両立は図れません。職種としては、残業がなくて、かつ前線に出ないような仕事ではなくてはいけないなと思いました。そこでせっかくなので、未経験だけど自分の関心が高い業界を選ぶことで、モチベーションを保つのがいいのではないかと考えました。

それにしても、まず夫の通勤時間を考えた家探し、そこから通える範囲の認可外保育園探し(年度途中だったので認可保育園は論外)、保育園の送り迎えの時間を考慮してフルタイムで働ける職場探し、この3つを同時並行で考えていたので頭はパンクしそうでした。冷静に考えれば、引っ越ししてちょっと生活が落ち着いて、夫の協力度合いも把握してから職探しをする方が現実的だと今は思うのですが、その時は「一番色んなことに挑戦できる働き盛りの時期に無職でいてしまった」という焦りと「早く仕事がしたい」という気持ちでいっぱいだったのです。

日本に到着してからおよそ一ヶ月半、まさに目まぐるしく仕事や保育園の面談を繰り返し、子供の保育園の慣らし保育をこなし、仕事を始めることになりました。予定していた通り、未経験なものの憧れがあった業界を選びました。仕事内容は事務職で単純作業も多いものでしたが、仕事への慣れや子育ての状況に応じて職種を変えていってもいいと言われて、それを目指して入社しました。

この事務職での給料は手取り約15万円で、この時入れた保育園の保育料が約12万円。びっくりするほど高いですが、高いからこそ空きがあったのだと考えるとそれでもありがたいと思いました。保育園への交通費などを考えるとほとんどプラマイゼロの状態が約半年続きました。保育園は家からバスを2本乗り継いで行く必要があり、乗り継ぎがうまくいっても家から30分はかかりました。またしても「自分が働きたくてやってるからしょうがない」と思わざるを得なかったですが、フルタイムで働いて、子供を保育園に預けて送り迎えをし、家事はいつもギリギリで回している状況に「自分は一体何をやっているんだろう?」と思うこともしばしばでした。
次の春に認可保育園に入園することを希望していましたが、一年目は落ちてしまいました。あの時の絶望感は半端じゃないですね。認可保育園に入れるためにフルタイムの仕事を選んで毎日色んなものをすり減らしてきた生活が否定されたように感じました。「保育園落ちた日本死ね」からは、1年か2年が経っていたと思いますが、なるほど確かに「日本死ね」とも言いたくなる気持ちでした。ただ、もう少し安くて家からも近い認可外保育園に転園できたことと、給料が少し上がったことで、無理やりモチベーションを保っていたことを覚えています。

さて、次回はそのモチベーションもだんだん保てなくなる事態になっていきます(笑)おそらく次回で完結するのではないかと思います。ラインナップは以下の通りです。応援していただけるととても嬉しいです。

第1回本帰国生活3年目~ワーママ転職編~
第2回駐妻生活1年目~リモートワークと妊娠・出産編~
第2回駐妻生活2年目~育休・そして今後のこと編~

【番外】駐妻のルサンチマンを煮詰めた話

自分のキャリアとは少しずれる話なので番外編としました。また、マジのマジでルサンチマンたっぷりな部分で本来人には見られたくない部分なので有料にします。すみません!
実は、夫の後任の方は女性でした。夫より年次は上で、結婚されていてお子さんもいらっしゃいました。ご家族が帯同で来られるという話を聞いて、ご主人のお仕事はどうされるのか伺いました。

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