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私の嫌いな写真を考えた結果、まさかのことが分かった話

こんにちは。万城目瞬(@0q_xney)です。

好きな写真について考えることはよくありますが、嫌いな写真について考えることってないので考えてみようと思います。

関係ない写真をあいだあいだに入れ込みながら話していきます。

私の嫌いな写真とは

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まず最初にどんな写真が嫌いなのかをお話しします。

それは最近SNSで流行っている着エロみたいな写真が本当に嫌いなんです。タイムラインで見かけた瞬間の絶望感は計り知れません。

その写真に感じること

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脱ぐことでしか人に訴求することしか出来ないモデルとカメラマンのとりあえず肌色撮っておけばいいでしょみたいな感じが本当に嫌悪を感じます。

性欲と承認欲求が重なって、かつ界隈独特のカオス感が相まってなんとも言えない腐臭を漂わせている感じ。

完全に人を釣る目的で作られた写真ってなんだか可哀相だなと個人的には思ってしまうんですよね。
それに釣られて途方もないリプを飛ばしているおっさんの多さたるや。

蝶は花にハエは糞に集まるとはよく言ったもので、変なコンテンツには変な人が湧きがちだよなと。良いものには湧きにくいし、むしろ共感してくれる人達がたくさんいるんだよなとしみじみ思いました。

他の写真も見てみる

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他に嫌いな写真はないかと探してみたんです。
今撮ってるストリート、スナップ、風景は好きだな、人写っているやつでもポートレートもコスプレも好きだなと。モノクロも見るのは大好きだと。

でも着エロ、てめーはだめだ。なんで人様の下着の写真をTwitterのタイムラインで見なくちゃいけないんだと。それは人に見せるもんかと。ネットに流れた画像はネットがなくなるまで永遠に漂流しつづけるんだぞと思います。10年後、20年後に見てどう思うのか‥

むしろアートとしてしっかりヌードをやっているほうが良し悪しが理解できるのかと思います。AVとかもHMJMとかはもはやコメディとかドキュメンタリーの世界が確立しているわけで。

作品としても成立していないただの消費の中の消費って感じ。性の安売り?売ってもないか。無料でネタ配るボランティアですかね。

その写真のデメリット

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SNSで着エロのような写真を見るたびに思うことがあります。
モデル側もカメラマン側もメリットよりもデメリット多くないか?と。

モデル側は、中途半端に脱いでSNSでおっさんに囲まれる毎日。脱いだ写真しか伸びない現実。
カメラマン側は、テクニック、表現方法、アイディアでは人に見てもらえない現実。

そんなので増やしたフォロワーに意味があるの?本当に応援してくれるファンなの?何を見てるの?自明ですね。

その癖エロいと思われたくてやっているんじゃない!みたいなことおっしゃる人も多いです。他の部分で付加価値をつけるか、露出以外のスキルを育てたほうがいいんじゃない?と思うんですよ。

そんなことをしてなにが面白いのかが理解できないです。肌色撮るならもっと面白い表現があると思ってしまうんです。知り合いに乳首をマクロで撮ってる人がいるんですけど、頭おかしいけど面白いなって思います笑

まとめ

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私的には着エロはやらないし嫌いかなって感じです。人撮るならおとなしくロケで撮ってきますわ。

以上です。

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