見出し画像

神須屋通信 #27

うさぎのおみくじ

 今年の大河ドラマ「どうする家康」で、家康は本当は卯年の生まれなのに、母親の於大の方が家臣達に向かって、寅の年、寅の月、寅の刻に生まれたと偽りの宣言をする場面があって面白いなと思った。というのは、私自身にも似たようなことがあったからである。私は昭和26年の生まれだ。その年は卯年だったから、私はずっと自分はうさぎ年の生まれだと信じて生きていた。ある時、古代中国で生まれた干支という概念は英語で言うところのluna year、つまり旧暦と切り離せない歴史的習俗なのだから、旧暦ではまだ新年になっていない1月8日生まれの私は、本来、卯年ではなく寅年生まれなのだと気づいてしまった。それ以来、私の干支は寅になった。面白いのは、私がウサギからトラに変貌したのは、長嶋監督が解任されて、私が子供の頃からの巨人ファンから阪神ファンに鞍替えした時期とほぼ重なっていることだ。いうまでもなく阪神タイガースのシンボルはトラであり、読売巨人軍のマスコットであるジャビットはウサギだった。

 さて、これからが本題。私たち夫婦は、正月三が日の雑踏を避けて1月4日に京都に行った。例年通り、初詣は元日に岸和田にある近所の神社ですませているが、京都でも初詣をしたいというのが家内のたっての希望だった。今回は日帰りではなく1泊の予定である。先に宿泊先が決まった。京都駅構内のグランヴィア京都。初めて泊まるホテルである。その京都駅から近いというので、伏見稲荷と東寺にお参りすることにした。4日の昼前に京都に着いてホテルのフロントに荷物をあずけ、駅前の地下街にある日本料理店で昼飯をとった後の午後にJRで伏見稲荷に向かった。三が日を過ぎていてもさすがに伏見稲荷である。コロナが下火になってようやく戻ってきた海外からの観光客を含めて、境内にも有名な千本鳥居にも人が溢れていた。私たちは京都での晴れやかなお正月気分を楽しみながらも、雑踏にやや疲れを覚えた。すぐにホテルに戻ってしばし休息。暗くなるのを待って昼食を食べた店の隣にある洋食の老舗「東洋亭」で赤ワインを飲みながらの夕食を楽しんだ。ここは人気の店で、いつ行っても行列ができている。この日も30分以上待ってやっと席につけた。

 ホテルの部屋に戻ってテレビをつけると、ローカルニュースの時間だった。「うさぎの神社」として今年話題を集めている岡崎神社からの中継が放送されていた。これを見て、ちょっとまずいなと私は思った。というのは、私はその時すでに、翌日は東寺ではなく岡崎神社に行こうと決めていたからだ。話は昨年末にさかのぼる。京都南座で顔見世興業を見物した翌日、京都で一泊した私たちは岡崎神社へ行った。テレビの番組で、ここが来年の干支である「うさぎ」の神社だと知ったからである。京セラ美術館でアンディ・ウオーホルの展覧会を観た後、岡崎神社まで歩いて行った。スマホで地図を見たかぎりではそんなに遠いと思わなかったのだが、実際に歩くとかなり遠かった。初めて行った岡崎神社はどこにでもありそうなごく普通の神社だった。でも、狛犬ではなく狛兎の石像が神社の入口を守り、他にも境内には兎の像や提灯などがたくさんあって、本当に「うさぎの神社」だった。その時、境内ではテレビかラジオの中継か収録かがあって、タレントらしい人物とファンらしい人たちが境内の一角に集まっていて、社務所の前にも団体客らしい人たちがたむろしていたので、私たちは落ち着いていられなかった。一応お賽銭をあげて本殿に参拝したけれども、境内で何枚か写真をとっただけで、何も買わずに帰ってきた。

 その時にはさして残念だとは思わなかった。でも、大阪に帰ってからじわじわと残念な気持ちが湧いてきた。というのは、その前年やはり歳末に京都に行った私たちは、建仁寺の塔頭である両足院の「寅の神社」とも言われる「毘沙門天堂」にお参りして可愛い「寅みくじ」を買い、寅年の一年間、玄関にその寅を飾っていたのである。卯年にはぜひ「兎みくじ」を飾らないといけない。岡崎神社では可愛い「兎みくじ」を売っていたのだ。それなのに、せっかくわざわざ岡崎神社に行ったのに、どうしてそれを買わずに帰ってきてしまったのか。みなさんにも身に覚えがあると思うが、それがつまらないもの事であればあるほど、一度その事が気になってしまうと、指先にささった小さいトゲの痛みのように、そこから目をそらすことが出来なくなってしまうのだ。

 というわけで翌日の5日、しぶる家内を説得して、私たちは京都駅前から満員のバスに乗車して岡崎神社をめざした。神社へ着いた私たちが目撃したのは神社の入口から並ぶ長蛇の列だった。私たちは列を無視して中に入ろうとした。今回は参拝ではなく、社務所で「兎みくじ」を買うのが目的なのだから行列しなくてもいいだろうと勝手に判断したのである。でも、私たちはアルバイトの若者に制止されてしまった。ただおみくじを買うだけの人達にも並んでもらっていますと。自分の孫ほどの若者にそう諭された私は、その時、キレてしまった。大声を出したわけではない。悪いのは自分なのだから素直に指示に従ったのだが、もう行列の最後尾につく気持ちはなくしていた。わざわざ朝から満員バスに揺られてここまで来たのに、もう「兎みくじ」はどうでもよくなってしまったのである。当然ながら家内は私の勝手な行動を非難したが、私の気持ちは変わらなかった。再びバスにのって四条河原町に戻った私たちは、そこで昼食を食べた。後はホテルに預けてきた荷物をひきとって大阪に帰るだけである。もし家内の一言がなかったら、そうしていただろう。

 家内は、せっかく京都に来たのだから、予定通り東寺にお参りして帰ろうと言ったのである。まだ時間は充分あると。そういえば、東寺にはずいぶん長い間来ていない。あの素晴らしい立体曼荼羅を久しぶりに見物したいと私の気持ちが動いた。そして四条河原町からバスに乗って東寺に向かった。その東寺で奇跡が起こった。奇跡だなんてなんともおおげさだ。でも、その時の私には小さな奇跡だと思えた。なんと、東寺の売店で「兎のおみくじ」を売っていたのである。東寺では十二支すべてのおみくじを年中売っていて、当然ながら、その中に「兎のおみくじ」もあったのだ。その時私は、東寺と弘法大師に感謝をささげた。その後に見物した特別拝観の五重塔内陣や立体曼荼羅の仏像の数々は全て光り輝いて見えた。今年は良い年になりそうだ、そう感じた。そんなわけで、今、我が家の玄関には可愛い小さなピンクのうさぎが座っている。兎の体内にあるおみくじの中身はまだ見ていない。

今月読んだ本から

 今年最初に読んだのは、ここ数年すっかり習慣になった、ANTHONY HOROWITZの本(kindleでの読書だけれど)だった。読んだのは"The Twist of a Knife"。才人ホロヴィッツのホームズへのオマージュでもある、元刑事ホーソンを主人公にしたシリーズの4作目。ホロヴィッツ自身がワトソン役になって、自分自身の作家としての私生活を自虐的に暴露するように語るスタイルがとても魅力的で、私は大好きだ。ホーソンはもちろんホームズのように天才的で変人の探偵である。また、その育ちや背景はまだ謎に満ちている。ホロヴィッツ自身が劇作家でもあるようで、今回は彼の作品を上演する劇場が作品の舞台になっている。というわけで、今回のホーソンものは劇作仕立てだ。まさに才人ホロヴィッツの面目躍如。自らワトソン役を務めて書きついできたホーソンものも、出版社との契約では3作で終わるはずだったが、今回は自らが殺人犯として追求される状況になり、助けを求めたのがホーソンだった。いつものように、ホーソンは見事に真犯人を見つけて事件を解決するが、その結果、ホロヴィッツはホーソンものを、この作品を含めて後4作書く契約を結ぶことになった。基本は戯曲仕立てということで、会話中心に物語は進展し、小説としてはやや窮屈で不自然な話の展開になったが、そこはホロヴィッツ。見事に面白い作品になった。これで、まだしばらくホーソンとホロヴィッツの物語を読むことができそうなのはめでたい。今回の作品で、ホーソンの人生が少し見えてきた。今後の作品でさらにホーソンという人物が明らかになるだろう。なお、題名のことだが、この小説での犯行に使われた凶器はMacbethのdaggerなのに、どうしてknife なのかと疑問に思ったのだが、このホーソンシリーズでは、word 、sentence、lineをそれぞれ、いわゆるダブル・ミーニングとして使っていたのを思い出した。裏の意味がある。それで調べてみると、英語にはtwist a knifeという言葉があるんですね。古傷に触れるとか、嫌な事を思い出させるという意味だそうです。なるほどなるほど、この小説にぴったりの題名だ。さすがに才人ホロヴィッツ。

 初めて知った名前だが、江利川春雄さんの「英語と日本人」を読んだ。英語を通してみた日本近代史。新書本だから簡潔にまとめられているが、実に興味深い記述の連続だった。このテーマでは、江利川さんの同志でもあるらしい、斉藤兆史さんの「英語襲来と日本人」をかつて読んで感心したことがあるが、江利川さんは時間軸を広げるとともに、さらに読みやすく整理してくれた。とても面白かった。でも、著者が書きたかったのは第5章の現代編だったと思う。この本全体が、これまでの日本の英語教育が浅薄で間違いだらけだったことを指摘するものだったのが、著者によると、その誤りが最大化したのが現代である。英語教育について何も知らない財界の提言を鵜呑みにした政治家や文科省による英語政策がいかに酷いものかが怒りをこめて書かれている。それにしても、著者が指摘するように、(あまりに授業時間が少ない)学校教育だけで日本人がまったく言語の構造が違う英語をマスターすることは不可能である。まずはその認識を共有した上で、学校での英語教育の目標設定をもう一度やり直すべきだと思うが、それには、著者のような英語教育の専門家の意見を政治家や役人がもっと聞かねばならない。ここで、私自身の英語との関わりを書いておくと、英文科には進まなかったが英語は好きで、高校時代から積極的に英語の小説を読む習慣をつけてきたので、上記のように、ANTHONY HOROWITZの本などは、ほぼ不自由なく(それでも辞書はひく)読めるようになっているのだが、映画やドラマは聞いても半分も理解できないし、ましてや、今、英語でスピーチしろと言われれば途方に暮れるだろう。それほど英語は難しいんです。学校教育に全ての責任を押しつけてはいけない。まあ、英語力が日本の経済成長に直結すると考える経済界の焦りもわからなくはないが。

 今月、93歳で亡くなられた加賀乙彦さんの追悼読書をした。今読まないでいつ読むんだと、30年間も積ん読状態だった文庫本をようやく手にしたというわけだ。読んだのは、谷崎賞を受賞した「帰らざる夏」である。600ページもある長編。精神科医にして本格的な長編作家でもあった加賀さんは、高校時代に愛読した北杜夫さんに似た存在だったが、北さんと違って華がないというか、やや生真面目すぎる印象があって、「頭医者」シリーズなどのエッセー以外は読むのを敬遠してきた。今回、読み始めた時には、この小説は陸軍幼年学校で少年時代を過ごした著者の私小説的な作品なのだろうと思ったのだが、最後になって違うことがわかった。これは想像力によって堅牢に組み立てられた本格的な近代小説だった。解説を読んで知ったのだが、加賀さんがこの小説を構想している時に、三島由紀夫の割腹事件が起こった。このことがこの小説にかなり影響を与えたらしい。興味深い話だ。この作品は、加賀さんによる三島由紀夫へのオマージュであり、かつて軍国少年だった加賀さんが、こうもありえたかもしれないもう一つの人生を描いた美しい幻想の物語でもあったのだ。最後の自決シーンは、医師でもある加賀さんにしか書けない迫真の描写で、読みながら痛みを感じるほどだった。しかしその描写は美しかった。

 若い頃からずいぶんと長いつきあいになる(もちろん読者として)筒井康隆さんの「モナドの領域」が文庫になったので読んだ。筒井さんは現在88歳。「モナドの領域」を出版したのは80歳の時だった。書こうと思えば、埴谷雄高の「死霊」のような大作にもできた哲学あるいは神学的な内容をこれほどコンパクトに分かりやすくまとめたのは年齢の制約があったにしても筒井さんにしかできない仕事だった。筒井さんは何年か前のインタビューで、かつて星新一、小松左京と並んで「SF御三家」と呼ばれたのを嫌い、どうせ御三家と呼ばれるなら、大江健三郎と井上ひさしと並べて欲しいと言っていたのが面白かったが、たぶん本気だったと思う。その井上さんは今は亡く、大江さんも隠居状態の現在、一人筒井さんだけがまだ現役である。できれば筒井さんには瀬戸内寂聴さんのように百歳近くまで書いて欲しい。なお、この文庫本の解説は池澤夏樹さんが書いている。さすがに池澤さんだけに簡にして要を得た解説だった。この小説が役者でもあった筒井さんらしく劇的小説だと指摘しているのはさすがだった。人々の会話を中心に話が進展するのは、上記のホロヴィッツの小説と共通している。劇的小説は議論的小説でもあって、池澤さんはトーマス・マンの「魔の山」などをあげているが、私は三島由紀夫の傑作「美しい星」をあげたい。(ふたたび三島の登場ですね。)劇的とか議論的とか形而上的とか言っても、そこは井上ひさしの盟友でもあった筒井さんの事だから、「眼高手低」に徹している。決して難解にも高踏的にもならず、下世話とも思えるほど親しめる物語になった。まさに筒井康隆の名人芸である。筒井さんがこの小説が自分の最高傑作だと言ったというのもうなづけないことはない。私は筒井さんの最高傑作は他にあると思うけれど。

 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?