神須屋通信 #32
スタジオジブリと宮崎駿監督の最新作
今月初旬、集英社新書の「スタジオジブリ物語」を読みました。普通の新書本二冊分くらいの厚さがありましたが、スタジオジブリの40年間の通史をコンパクトにまとめてくれていて、長年のジブリファンとしてはとても楽しい時間を過ごすことができました。実際に執筆したのはジブリのスタッフのようですが、責任編集者はジブリの名プロデューサーである鈴木敏夫さんですから、ジブリが過去に生み出した数々の名作の制作裏話的なお話だけではなく、もちろんそれらもとても面白かったんですが、それらの作品をいかにして興業的にヒットさせたのかという、宣伝にかかわるプロデューサー側の視点からの具体的な記述もあって、広告業界のサラリーマンだった私などには特に興味深いものでした。実際、私は広告マンだった時に、CMの監督だった方が劇場映画の世界に進出した際に、その映画に出資したクライアントとの関係で、映画の制作と宣伝の現場を覗いたことがあったからです。その時、これはまさにプロフェッショナルの世界だと思いました。
鈴木プロデューサーの考え出した「法則」は、宣伝費と配給収入は等しいというものでした。この場合の宣伝費には、新聞やテレビなどでの直接的な宣伝費に加えて、タイアップやパブリシティ、イベントなどの間接的な宣伝効果も金銭に換算したものです。この本には具体的な数字まで書かれていました。「紅の豚」が28億円、「平成狸合戦ぽんぽこ」が26億円など。そして、スタジオジブリにとって画期的な作品になった「もののけ姫」の場合は、60億円の宣伝予算がたてられました。つまり、それくらいの配給収入がないと赤字になるくらい、難航したこの作品の製作費が膨大なものになったというわけですね。結果として、「もののけ姫」の国内での最終的な興行収入は当時として史上最多の193億円に達しました。スタジオジブリおよび宮崎駿監督はこの時まさに神話になったと言えるでしょう。その後も、スタジオジブリは数々の名作やヒット作を連発し、「千と千尋」ではアカデミー・アニメ賞を授賞するなど、作品内容でも評価されて、ジブリの名前は世界中に知られることになりました。
というようなことは、日本人にはもう半ば常識になっていますね。現在、前期高齢者である私は、「鉄腕アトム」や「鉄人28号」の世代の人間であって、スタジオジブリが発足した時には既に30代のサラリーマンでした。晩婚の上に子供もいなかったので、残念ながら、子供や孫たちとジブリアニメを楽しむという経験はできませんでしたが、その全てを映画館で見たわけではないけれど、ジブリ作品はほぼ全て見ています。では、ジブリ作品の中でどれが一番好きかと聞かれたら、一番好きな司馬遼太郎作品を聞かれた時と同じように答えに窮するわけですが、ひょっとすると、「トトロ」などの宮崎駿監督作品ではなく、高畑勲監督の「おもひでぽろぽろ」を挙げるかもしれないのは、やはり私の世代的なものでしょうかね。でも、宮崎作品は大好きです。
それにしても、スタジオジブリという会社の存在はそれ自体が奇跡的なものでした。宮崎駿と高畑勲という二人の天才と、その二人を支えて、それぞれの才能を見事に羽ばたかせた鈴木敏夫プロデューサー、この三人が揃わないとスタジオジブリはなかったでしょう。この本ではないところで鈴木さんが書いておられましたが、この二人の天才が芽を摘んだ若い才能は数え切れないくらいあったそうです。今ならパワハラかモラハラで訴えられたかもしれないくらい。アニメというものは監督一人で作れるものではなく、膨大な数の才能が結集してつくるものですが、自分の能力に自信のあるクリエーターほど、この二人の巨大な才能の前で萎縮してしまったり絶望したりしたであろうことは容易に想像できることです。高畑さんの場合は、自分で絵が描けないからまだよかったが、宮崎さんは何でも自分でできる人だったから、そばにいた人たちはさぞ大変だったろうなと思います。念のために書いておくと、スタジオジブリには、このご両人の他にも素晴らしい作品を作り出した若手監督が何人かいました。全ての才能の芽を摘んだわけではありません。庵野秀明や細田守など、宮崎監督と別れてから大成した監督もいますが。
その宮崎駿監督が「風立ちぬ」を最後に引退宣言をしたけれど、その宣言を撤回して新作をつくると発表してから7年が経ちました。その撤回宣言を聞いた時には当然だろうと思いました。文学の世界からしばらく遠ざかっていた森鴎外が、夏目漱石の登場に刺激されて再び戻ってきたように、たぶん、宮崎さんは若い新海誠らの作品に刺激されたのだろうなと思ったからです。そして、題名だけが伝えられていたその新作、「君たちはどう生きるか」の完成をずっと心待ちにしていました。この「スタジオジブリ物語」の中には、宮崎さんが引退を撤回した時の事が書かれています。鈴木さんは最初、晩節を汚すことになるからと、引退撤回に反対したそうです。でも、一度燃え上がった宮崎さんにもう抑えは効かなかった。鈴木さんは腹をくくった。そして、どうせやるなら、時間もお金も、今までの映画の2倍はかけたいと思ったそうです。しかしながら、結局、この映画はスタジオジブリ単独出資で制作することになりました。宮崎監督にはとことん時間をかけて制作してほしい、それには共同制作の出資会社はない方がよかったからです。もちろん大きなリスクがともなうことは覚悟の上だった。さらに鈴木プロデューサーは大きな決断をしました。「君たちはどう生きるか」の上映にあたって、直接、間接を問わず、宣伝をいっさいしないことにしたのです。ええっ?!その時、この本を読んでいた私が驚いたのは、その宣伝なしという事にだけではありませんでした。なんとなんと、そこに映画の公開日が2023年7月14日に決まったと書いてあったのです。あと一週間もないじゃないか!さらに、この新書のあとがき追伸には、鈴木さんのこんな言葉が印刷されていました。「この新書の編集中、宮崎駿の新作『君たちはどう生きるか』がほぼ完成した。宣伝をしないことを決めていたので、時間に余裕があった。」
鈴木さんにしてやられた。なんと、この新書の出版こそが、「君たちはどう生きるか」の唯一の前宣伝だったのです。さて、この鈴木さんの賭けの結果はどう出るか。私には予感がありました。明敏なプロデューサーである鈴木さんはきっとこの賭けに勝つだろう。なぜなら、ごく平均的なジブリファンである私が封切日に映画館に駆けつける決心をしたから。私のようなジブリファンは他にも大勢、ほんとうに大勢いるだろうから。スタジオジブリと宮崎駿監督がこれまで40年間に築いてきたブランドの価値はそれほど大きなものだったのだから。(スタジオジブリ創設当時、外資から出資の誘いがあったそうです。受けていれば、ジブリは日本のディズニーになったかもしれない。でも、鈴木さんらは、日本の中小企業として生きていく事を選択した。会社の規模とブランド価値は別物です。)
というわけで、7月14日、私は家内と二人で、関西国際空港に近い「イオンモールりんくう泉南」内のイオンシネマで、「君たちはどう生きるか」を見ました。この映画館のロビーの壁面上部には、以前から、過去のジブリ作品の主人公たちの大きな画像が壁紙のように装飾されています。それなのに、「君たちはどう生きるか」に関する宣伝物は何もありませんでした。あったのは、あの不思議な鳥の絵のポスターが1枚だけ。(これは鶴なの?嘴の下にあるあの不気味な眼は何だろう?映画を見終えた今では答えを知っているけれど、あえてここには書かない。)その他には、リーフレットもポスターもスチール写真も何もなし。徹底していました。事前知識を何も持たず、真っ白な状態で映画を見てもらいたいという鈴木プロデューサーの強い意志の表れを感じました。
映画が始まりました。「スタジオジブリ物語」を読んで、「君たちはどう生きるか」の内容は原作とは無関係で、あくまでも宮崎駿監督のオリジナルであるとは知っていましたが、冒頭から30分間くらい、息を呑むように見続けながらも、いったいどこへ連れていかれるんだろうと不安に思ったことは事実です。しかしながら、映像のクオリティはまさに最高でした。鈴木さんは、かつて宮崎アニメの魅力をこんな風に表現していました。宮崎アニメには他のアニメにはないものがある。それは重力だと。このアニメでも、主人公の少年がベッドに倒れ込んだ時のベッドのきしみや放られた帽子が着地する時のたわみ、和服の女性が人力車から地上に降りる時に足に身体の重みがかかる細部の描写などに、たしかに重力が働いている事を実感できるのでした。これだけのカットのために、どれだけの手数がかかっているのか。それに何よりも背景の絵の素晴らしい美しさ。たぶん、これが最後になるだろう宮崎監督の作品のために、かつて監督とともに数々の名作を制作してきた、日本有数のスタッフたちが生涯最高の仕事をしているのです。もうストーリーなんかはどうでも良い。これだけの映像を見ることが出来たらもう充分満足だと思いました。
でもそれは、この作品が面白くなかったというわけではありません。それどころか、面白すぎるのです。これは果たして今や80歳を越えた監督が作った作品なのでしょうか。あまりにも若々しくて内容満載なのです。まさに宮崎駿監督生涯の仕事の集大成。オレは年をとっても枯淡の境地になんてならないよ。若い人に教えをたれる道学者じみた老人にもならないよと宣言しているのです。オレはただアニメが好きなだけなんだ、精神はいまもアニメ好きの少年なんだ。そんな宮崎さんの声が画面から聞こえてきました。映画を見終えて、私はそんな宮崎監督に対して大きな拍手を送りました。心の中でだけだったけれど。
それはそれとして、この映画を見終えた私は、「君たちはどう生きるか」という題名とこの映画の内容は全く無関係だとは思えませんでした。この映画の主題はやっぱり、宮崎さんなりの「君たちはどう生きるか」だったのではないのでしょうか。私にはそう思えます。自分が子供の頃に読んで感動したあの名作を若い人たちにも読んでもらいたいからというだけで題名に選んだのかもしれないし、あるいは、この題名は宮崎さんと鈴木さんが仕組んだ観客を欺くたくらみだったのかもしれないけれど。(映画の題名に関して、宮崎さんと鈴木さんの意見が異なったことは過去に何度かあったそうですが、今回はどうだったのかな?)
帰宅してから、私と同じく、事前知識が何もないままに封切日にこの映画を見た人たちはどんな感想を持ったのか知りたくなって、Twitterを見ました。こんな時はTwitterは便利ですね。それらを読むと、皆さんネタバレを避けながらも、私と同じように戸惑ったりしながらも、この映画を賛美する意見が多かったように思います。中には、タイトルロールを見て、宮崎監督の下をかつて去ったスタッフが、この映画で数十年ぶりに戻ってきていて感動したなどという、ずいぶん内部事情に詳しいディープな感想を書いている人がいましたが、私がタイトルロールを見て驚いたのは声優陣のことでした。へえ~、あの人が出ていたの、でも何の役で?タイトルロールに載った声優陣は豪華なメンバーでしたが、木村拓哉以外は誰がどの役を演じていたのかまるでわからなかったのです。Twitterにも情報はありませんでした。その後、日数がたつにつれて、声優陣の情報も少しずつ流れてきましたが、実に意外なものでした。でも、この文章を書いている現在、スタジオジブリからは、まだ正式な情報は出ていません。本当にあの人があの役をやったのかな。
さて、一切の宣伝なしで公開するという鈴木プロデューサーの賭けですが、その結果を判断するのはまだ早いとしても、今のところは彼の読み通りだったようです。観客動員の出足は好調。最終的に、「千と千尋」の興行成績をしのぐかもしれないという業界情報がネットで流れました。新海誠作品が内外で脚光を浴びる中で、スタジオジブリと宮崎駿監督の威光はまだまだ燦然と輝いていました。私も機会があれば、もう一度、この映画をじっくり見てみようと思います。そして、多分生涯最後になるであろうこの映画で宮崎監督は私たちに何を伝えようとしたのか、あるいは、現実の世界とイマジネーションの世界との関係について、さらには、村上春樹と宮崎駿の共通点などについてもじっくり考察したいと思います。
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