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神須屋通信 #28

□外国語の勉強の話

 ロシアのウクライナ侵攻から1年がたっても、収束どころかいつ停戦できるのかも見通しがたたない。全てはプーチン次第。そんな情況下にあって、トルコとシリアで大地震が発生して5万人を越える人たちが亡くなった。戦争とは違ってこちらは天災だが人災の要素もあるそうだ。いずれにしても大勢の人が死んでいる。ようやく数年続いた新型コロナのパンデミックとお別れできそうになっているというのに。私が住む大阪では、今月、鉄道ファンが注目する出来事があった。私たち夫婦が京都に行くときによく乗る特急「はるか」などが通る梅田貨物線の線路が地中化されたのだ。その線路の切り替え工事が今月あった。地中に新設された新しい大阪駅のホームは来月にオープン予定。それ以降、「はるか」は大阪駅にも停車することになって、大阪駅から関西空港に行くのが便利になる。そんなさまざまな出来事があった2月、年金生活者であるわれわれ夫婦の生活は普段と変わりなく続いていた。

 今月、中国人女性である先生(老師)がコロナに罹患して一ヶ月お休みになっていた中国語教室が再開した。上海にいる先生の親族は既に全員感染していて、日本にいる先生が最後の感染者になったらしい。夫婦揃ってコロナにかかったそうだ。その今年最初の教室で知ったこと。同学の一人の高齢女性が中国語検定の4級に合格した。私と同じように趣味で中国語を楽しんでいるのだとばかり思っていたのに、検定試験を受けるほどの向学心があった事に驚いた。正直なところ、自分の方が出来ると思っていた。ということは、私も中検4級程度の実力はあるということか。中国語の勉強を初めてもう10年以上経つが、月に2回の授業を受けるだけなので、当然ながら、いまだに初級レベルのままだ。語学の勉強はなによりも勉強時間の長さがものをいう。まあ、いまのところ私自身は中検もHSKも受ける気はないのだが、検定試験という刺激があるほうが上達のためにはいいのかもしれない

 大学で東洋史を専攻し、朝鮮の近代思想で卒論を書いたから、中国や韓国への関心は半世紀前からのものだ。でも、中国語や韓国語の勉強を始めたのは会社を定年退職してからだった。韓国語は独学。韓流ドラマのファンになった家内が私よりも先にハングル教室に通い始めたので、真似をしたくなかった。というわけで、韓国語もいっこうに上達しない。まあ、無理もない。圧倒的に勉強時間が短いから。そんな私が今、毎日、韓国語を学習している。Duolingoのおかげです。昨年、近所で一人暮らしをしている兄が、東京にいる孫に教わったとDuolingoで英語の勉強を始めた。Duolingoという語学アプリのことは知っていたが、無料で出来るとは思っていなかったので、自分も始めることにした。Duolingoには何十カ国語もコースがあるが私は韓国語を選んだ。これを書いている現在、連続136日も勉強を続けている。毎日15分程度のスキマ時間でも学習が可能だし、スマホに毎日督促のメールが入るので、サボっていられない。教材もよく考えられていて、単語学習だけではなく、読解も作文もヒアリングの勉強もゲーム感覚でできる。15問程度の問題が最小単位になっていて、それを10回クリアすると次のレッスンに、そのレッスンを10個ほどクリアすると次のユニットへという感じで進み、私が今やっている「基礎1」の全コースをやり終えるのは、今のペースだとあと半年かかりそうだ。それでもまだ先がある。実に充実した内容だ。最初HPポイントが5つ与えられて、1問間違えるたびに1ポイント減る。ポイントがなくなればしばらく休憩。先には進めない。広告を見るとポイントが1つ回復する。そんなシステム。幸いなことに、私自身は今までHPが0になった経験はないが、いつも緊張しながら回答している。それが面白さを倍加する。HPとは別に、最小単位をクリアするたびに増えていくポイントXPもある。そのポイント数を今世界中で同時に学習している人たちとランキングで競う。ランキングが上位になると上のクラスに行ける。そうやって競争心をあおるわけですね。有料コースを選ぶと、HPが無制限になり広告画面を見る必要もなくなるわけだが、私の考えでは、それではゲームのスリルがなくなってつまらないと思う。まあ、お金を払いたくないだけなのかもしれないが。でも、このアプリにはお金を払う価値は充分あると思う。おかげで、私の韓国語の実力はかなり上がったように感じるから。今、コロナ禍がようやく収まりつつあって、日本社会も3年ぶりに元の生活にもどりつつある。今年は韓国旅行ができそうだ。ひょっとしたら中国旅行もできるかもしれない。私の外国語学習にも熱が入り始めた、かな?

□今月読んだ本のこと

 残念ながら、私は未だに中国語や韓国語の本が読めない。でも、英語の本ならなんとか読める。サラリーマン時代でも、少なくとも月に一冊は英語の本を読むことを習慣にしていた。今月読んだのは、David Christianの"Future Stories"。ビル・ゲイツが推薦しているので、未来予測の本かと思って、見慣れない著者の本を手に取ったのだが、まるで違った。これは宇宙史や人類史を含む、「ビッグ・ヒストリー」という新しい分野の本だった。どうやら、ビル・ゲイツはこの分野の研究を支援しているらしい。この本のテーマは未来だが、まず時間の哲学的定義に始まって、バクテリア、細胞、植物、動物にとっての未来とは何かというような議論に進む。まるで松岡正剛さんのような理系文系の垣根を越えた著者の博識と語り口のうまさには感心したが、全体としてはいかにも真面目な学者が書きそうな、総花的、教科書的で尖った部分がなく、ちょっと物足りない本だった。著者自身、未来予測に関しては、ル・グインのようなSF作家のほうが優れていると正直に書いているくらいなので、無い物ねだりかもしれない。その点、同じ学者が書いた未来予測の本でも、ノア・ハラリの本は面白かった。ハラリは大胆に独自の主張をしていたように思う。それはとにかく、国別の歴史教育には排他的なナショナリズムを醸成するという負の面がつきものだから、この種の「ビッグ・ヒストリー」には人類としての希望があると思う。ビル・ゲイツもそう考えて支援しているのだろう。

 今月は新書本を3冊読んだ。その中の2冊、篠田謙一「人類の起源」と渡辺努「世界インフレの謎」が、今月発表された2023新書大賞の上位に入っていたのは偶然だ。いや、毎年数多く出版される新書本の中で、既に世評の高い本だけを選んで読んだせいかもしれない。篠田さんの本は、この分野の開拓者がノーベル賞を受賞して一気に注目を集めるようになった古人骨のDNA解読の研究情況を紹介した本で、とても面白かった。実に高度な内容を読みやすくまとめてくれていると思うが、ゲノム解析が全ての古代の歴史を解明する万能の鍵であるかのようによめる記述は、ちょっと言い過ぎではないかなと、読みながら時々思った。素晴らしい著書なのだが。

 渡辺努さんの「世界インフレの謎」は、コロナ禍の後、世界が同時にインフレに見舞われているのは何故かを解明する本だが、どうして日本だけが長年デフレに悩んできたのかを説明する本でもあった。問題の根本は賃金だった。賃金があがらないから物価もあげられない。物価があげられないから賃金もあげられない。日本国内だけみればそれなりに安定したガラパゴスの時代が、この二十年ほどの日本だった。これまで私は賃金をあげるためには生産性をあげるしかないと思っていたのだが、どうもそれだけではなかったようだ。日本人や日本企業の根深い「デフレマインド」が原因だったのだ。その意味で、アベノミクスの目指した方向は間違いではなかったが、金利がほとんどゼロの日本では、効果を出すことができなかった。皮肉なことに、世界がインフレに悩んでいる今こそ、日本人と日本企業が長年一体となって抱いてきた「デフレマインド」を払拭し、長年凍結してきた賃金と物価を解凍する時期だというのが渡辺さんの主張だ。こんなに説得力のある経済書を久しぶりに読んだ気がする。今度変わる新しい日銀総裁に期待するが、それよりも、これは政治のリーダーの仕事だ。少々物価があがってもいい、まず賃金を上げること、今こそ日本企業に大号令を出す時だと思う。

 3冊目の新書は、今月出版されたばかりの、斉藤淳子「シン・中国人」。政治か経済がらみの話ばかり聞かされてきた現代の中国における、特に都会の若者達の生態をリアルに教えてくれた。適度な距離感があって、実にバランスのとれたレポートだった。斉藤さんという人のことは知らなかったが、北京に26年も住んでいる女性で、大使館に勤めたことがあり、現在は多数のメディアに寄稿しているという。日中をつなぐ貴重な人材だと思う。ああ、私ももっと中国語を勉強しないと。

 次は、片山杜秀さんの文庫本を二冊。「左京・遼太郎・安二郎 見果てぬ日本」と「クラシック大音楽家15講」。片山さんは大阪万博の時に小学1年生。既に大学生だった私とはずいぶん年齢が違うが、年齢差を越えて師匠とあおぐ評論家である。それにしても彼の本職は何なのだろう。現代政治思想史かな。とにかく普通の物差しではかれない鬼才だ。「左京・遼太郎・安二郎 見果てぬ日本」は、書名通り、この三人に関する人物評論だが、実に教えられることが多かった。考えてみると、私はこの三人全員の墓参りをしている。そんな、長年私が敬愛する作家や映画監督に関して書かれた文章にこんなに感心するなんて。やっぱり片山さんは只者ではない。「クラシック大音楽家15講」に関しても同じような印象だった。談話を文章にしたような軽い読み物なのだが、片山さんにしか書けない高度な考察に満ちていて、中身は深い。なによりも、最後の吉田秀和論がうれしかった。もう吉田秀和のような存在は二度と現れないだろうという片山さんの言葉に完全に同意する。片山さんは、フランス語が必修の暁星に中高と学び、幼いころからヴァイオリンを習い、現代音楽、それも主に日本人作曲家の作品を愛好するマニアだったという。生まれ育ちによる文化資本がすでに私などとは大いに違っていたのだ。なお、司馬遼太郎は今年生誕100年を迎えた。今月、菜の花忌に記念行事があった。中之島のロイヤルホテルで開催された送る会に一般読者として参列して菜の花を捧げた日のことを懐かしく思い出す。今年、私はすでに司馬さんの没年齢と並んだ。ただただ茫然とするばかりだ。

 最後に紹介するのは北村薫さんの文庫本「雪月花」。北村さんの本を読む時はいつもそうであるように、今回も本好きだけが味わえる至福の時間を過ごさせてもらった。かつてこのような気分を私に味わわせてくれたのは丸谷才一さんのエッセーの数々だった。写真でしか知らないが、なにやら最近の北村さんの風貌は丸谷さんに似てきたように思う。この文庫本の解説を書いている池澤夏樹さんが、北村薫さんのことを「博学無双、八宗兼学、万邦無比、縦横無尽の人」と書いている。この本で北村さんが池澤さんの御父君である福永武彦のことを書いているからかもしれないが、まんざらお世辞だけでもないだろう。作中に北村さんがミステリ批評の名著「深夜の散歩」の、中村真一郎、丸谷才一、福永武彦のトリオを、「脱線トリオ」と「てんぷくトリオ」の中間で出会ったと書いていたのには吹き出してしまった。なお、我が敬愛する丸谷才一さんが最も尊敬していたのが、折口信夫、吉田健一、吉田秀和といった人々だった。この本には吉田健一も登場するし、北村さんと折口信夫の関係は書くまでもないだろう。なお、この本の副題は「謎解き私小説」となっている。北村さんによると、この本は私小説のかたちで本への愛を語ったものだ。その中で、いままで誰も気づかなかった多くの謎が解かれ、一章ごとに見事な短編小説にもなっていた。感嘆するしかない。


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