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神須屋通信 #25

□W杯カタール大会テレビ観戦の日々

 私は、釜本選手に憧れて高校のサッカー部に入ったが、練習についていけなくて、1年で退部した人間である。それでも、その後の約55年間、ずっとサッカーを愛し続けてきた。Jリーグでは、かつての釜本ヤンマーの系譜を引き継ぐセレッソ大阪を応援している。選手としては、元セレッソで、私が住む岸和田のお隣り、泉佐野出身の南野選手が贔屓だ。私がサッカーを始めた頃は、日本は五輪に出るのが精一杯で、W杯などは夢のまた夢だった。なにしろ、当時はプロサッカー選手は日本に存在しなかったから。もちろん、釜本さんもW杯には出場していない。だから、日本が7大会連続でW杯に出場している現状は、まさに夢の中の世界である。しかしながら、まだサッカー後進国だった時代の面影を忘れられない私は、日本チームの実力に関しては悲観的で、アジア予選では、今度こそ本戦に出られないのではないかとおびえ、W杯が始まったら始まったで、予選リーグで3連敗する姿を想像してしまうのだ。実は、その方が、W杯出場が決まったりW杯本番で勝利した時には、期待していなかった分だけ、さらに喜びが大きくなるのだ。これまでに、何度もそんな喜びを味わってきた。

 そんな私だから、今回のカタール大会の組み合わせが決まった時、ほぼ3連敗を覚悟した。なにしろ、同組にスペインとドイツがいるのだから。少しでもサッカーを知っている人は、たぶん私と同じ判断をしたと思う。そして、11月20日、W杯カタール大会が開幕した。いろいろと批判のある大会だが、その事にはここでは触れない。文化も歴史も違う他国に欧米先進国の「正しさ」を押しつけてはいけないと思うとだけ書いておく。誰かがツイッターに書いていたが、開会式は東京五輪の開会式よりもレベルが高かった。実態はともかくとして、サッカーで多様な世界をつなぐという、ハリウッドスター、モーガン・フリーマンを起用したメッセージも高尚だった。

 さて、日本の第1戦は、23日に予定されていた対ドイツ戦だったが、それまでの2日間は、毎晩、他国の試合をテレビ観戦した。まず、21日に見たのはイングランドvs.イラン戦。イランが6点も獲られて惨敗。アジアでは日本よりも強いはずのイランがこれではと、アジアとヨーロッパの超えられない格差をあらためて痛感させられる試合だった。明後日ドイツと戦う日本のことを考えると暗澹となったのは当然だ。せめて引き分けにとの多くのファンの願いは叶わないかもしれないが、イランのような大敗だけはしないで欲しいと思った。前回のコロンビア戦のこともあるから、試合はやってみなければわからないぞと自分に言い聞かせながら。翌日の22日に見たのは、デンマークvs.チュニジアの試合。チュニジアが格上のデンマークに果敢に挑んで0-0で引き分けたのに勇気を得たが、その裏の別の試合では、なんと、メッシのアルゼンチンがサウジアラビアに逆転で負けるという大波乱。アジアのチームが世界の強豪を負かすという衝撃的な出来事に、明日のドイツ戦に対する希望が急速に膨らんだ。これは、ひょっとすると、日本も出来るかもしれない。

 そして11月23日、運命の日がやってきた。朝から、前夜に録画しておいた、フランスvs.オーストラリア戦をざっと見て、また期待が少し萎んだ。オーストラリアは先取点をとったが、終わってみれば4-1で敗退。アジアとヨーロッパの差をまたまた思い知らされた。まあ、フランスもイギリスも優勝候補ではあるので、ドイツがこの両国よりも弱いことを願うばかりだった。夜、クロアチアvs.モロッコの0-0の引き分けに終わった素晴らしい試合を見て気合を入れてから、夜10時、いよいよ、日本対ドイツ戦が始まった。前半の日本は全くひ弱で、ドイツがPKの1点だけで済んだのが不思議なほどだった。この分だと3-0くらいで負けるなと思って、ハーフタイムに風呂に入って気持ちを落ち着けたくらいだ。しかし、後半に奇跡が起こった。新たな攻撃陣を次々に投入した日本が、三笘、南野、堂安とつないで1点、さらに、浅野の超絶的な1点が入って、一気に逆転した。アルゼンチンに勝ったサウジアラビアと同じ展開で、強豪ドイツ相手に見事な勝利。キーパー権田の幾度ものファインセーブがなければ負けていたかもしれない試合だったが、なんとか勝ちきった。これで、正直なところ、不可能だと思っていたベスト8への展望が一気に開けた。

 11月27日は日曜日だった。ドイツ戦の奇跡の勝利に日本中が湧いた余韻がまだ残る中、コスタリカ戦がある日だ。ドイツに勝った日本がコスタリカに負けるはずはない。日本は連勝して予選突破を決めるだろうと多くのサッカー・ファンは考えていた。正直なところ、日頃は悲観的な私でさえそう思った。その日は朝から私は気合が入っていた。まず、二週間ぶりにスロージョギング約50分。少年時代から長距離走が苦手だった私が70歳を越えた今、週に1度とはいえ、こうして走っているのは自分でも信じられないが、これも糖尿病療法のひとつ。外は秋らしい爽やかな気候でとても気持ちよかった。昼食は、家内と二人で貝塚市にある「くら寿司」で。ついでに貝塚イオンで買い物をして帰宅。帰宅後、少し昼寝をして、寝覚めてから忙しくなった。まずは、中国語の勉強。HSK4級のテキストでヒアリングの練習をした。しばらくして、そうだ、今日は大相撲の千秋楽だったと気づいて慌てて階下の居間へ行ったが、高安と阿炎の取り組みはすでに終わっていた。どうやら高安は負けたらしい。その後、貴景勝が勝って、高安、阿炎、貴景勝3力士の巴戦による優勝決定戦になった。なんと28年ぶりの巴戦だそうだ。その結果、またもや高安は優勝できず、阿炎が初優勝した。高安の両目から涙。見ている方も辛かった。この時、嫌な予感がした。ひょっとして、コスタリカ戦に日本は勝てないかもしれない。

 相撲が終わった後は、衛星放送で「鎌倉殿の13人」。鶴岡八幡宮における実朝暗殺の回である。世間では、「鎌倉殿」を見るか、サッカーを見るか、迷った人がいるかもしれないが、衛星放送だと6時からの放送なので、サッカーの前にみることが出来るのだ。誰もが知っている史実なのに、三谷さんが書くと、全く新しいドラマになる。実朝暗殺も期待通りだった。暗殺の背後で、三浦義村と北条義時の幼なじみの悲しい暗闘。そして物語は承久の乱に続く。などとドラマの余韻に浸っているいとまはない、サッカーが始まった。絶対勝たないといけない試合だし、日本は今まで負けたことのない相手だったのだが、高安敗戦時に感じた嫌な予感が的中してしまった。日本は格下のコスタリカに1-0で敗戦。一方的に攻め込みながら得点できず、守備のミスで失点するという最悪のパターン。吉田がまたやってしまった。ドイツ戦でこの上なく膨らんだ希望の風船は、この試合で無惨に破裂してしまった。これでたぶん、目標のベスト8どころかベスト16も無くなった。日本の現在の力は世界でこの程度だという現実を見せられた思いがした。スペイン戦で二度目の奇跡は起こらないだろう。そんな、暗澹とした気分を癒やすため、試合後、Netflixで韓国歴史ドラマ「シュルプ」の第13話を見た。物語は、終盤を迎えてますます佳境。「鎌倉殿の13人」を凌ぐかと思われるほどの面白さ。ドラマの世界でも、日本はもはやアジアのリーダーではないという悲しい現実。そんな風に、私の思考はもはやネガティブな方向にしか向かわない。

 ドラマ終了後にネットを覗いたら、コスタリカ戦敗戦の戦犯探しが始まっていた。一番はもちろん、失点のきっかけを作った吉田キャプテンだが、フォワードで先発した上田や相馬、不調だった鎌田、三笘を活かせなかったバックスの伊藤、さらにはドイツ戦で絶賛された森保監督の采配までもが批判されていた。まさに手のひら返し。日本だけではなく世界中で、サッカーファンなんてこんなものだ。監督や選手の皆さんには、スペイン戦でファンを見返してほしい。でも、無理だろうな。ただし、スペインに負けてもファンは責めません。実力だから。でも、日本に負けたドイツは奮起してスペインと引き分けたんだよね。さて、そのスペイン戦は12月に入ってから。

□同窓会旅行は紅葉の京都へ

 年に2回開催する、私が最年少で平均年齢が72歳を越える老人4人による大学同窓会旅行。今回は幹事のN君の決定で京都に行くことになった。紅葉の季節の京都は混雑が予想されるから、今回はいつもの車ではなく、公共交通機関も利用する予定だった。どういうわけかまだ接種券が届かない私を除いて、他の3人全員が5回目のワクチン接種済みである。詳細を書くと長くなるので概略だけを書くが、11月29日、阪急の池田駅に集合した我々は、N君の運転する車で京都は嵐山に着いた。よりによって最も混雑する場所を選んだわけだが、平日で雨だったから、さすがに観光客は少ないだろうと予想したのだ。結果は大正解。人混みをかき分ける必要はなく、かなりゆったりと観光できた。渡月橋から見る、雨にけぶる嵐山はまさに絶景で、これぞ日本を代表する景観だと堪能した。その後、まさにその景色を読んだ、周恩来の「雨中嵐山」詩碑を見物し、かつての映画スター大河内傳次郎が生涯をかけて建設した「大河内山荘」を見物した。高台にある広大な庭から眺める比叡山や京都市街もまた絶景だった。山荘内で抹茶もご馳走になった。山荘を出た後、嵯峨野の景観を代表する「竹林の小径」を歩く、ここはさすがに混雑していたが、歩けないほどではなかった。竹林を出て天龍寺を見学した。足利尊氏が後醍醐天皇の霊を弔うために日明貿易で稼いだ資金で建立した、嵐山・嵯峨野を代表する名刹である。数々の塔頭寺院があり、朝鮮通信使は多くここに宿泊した。天龍寺には何度も来ているが、いつもとは違う裏口から入ったので新鮮だったし、境内の鮮やかな紅葉の背景に雨に濡れて青々とした竹林がある光景は、まさに日本画のような美しさだった。

 今回の宿舎は、亀岡の湯の花温泉だった。ここには昨秋も泊まったが、今回はちょっと離れた場所にある「京都・烟河」という大規模なリゾート施設に泊まった。紅葉シーズンは割高になるが、今回は、政府の旅行支援政策のおかげもあって、ワクチン接種済みの人には宿泊費が割引になる上、京都府内で使えるクーポン券が3千円分ももらえた。他の3人は普段はプロ野球の話しかしないのだが、今回、会ってすぐの話題は、時節柄、W杯サッカーのことだった。旅館に入ってからの話題は、家族のことや相続のことなど、いかにも老人らしいものだった。このコロナの期間、私以外の連中はほとんど、この同窓会旅行以外の旅行をしていないようだったのが意外だった。海外旅行こそしていないが、我々夫婦はこれでも旅行しすぎなのかもしれない。

 翌日、11月最後の30日は曇り。もう一度、嵯峨野の違うエリアに行くという選択もあったが、結局、南禅寺から哲学の道など東山地区に行くことになった。亀岡駅前のイオンに車を置いて、JRで京都市内に出る。保津峡、嵯峨野駅などを経て、二条駅で地下鉄東西線に乗り換えて蹴上で下車して、南禅寺に入った。ここから観光客で賑わう永観堂の前を通り過ぎて、「哲学の道」に入った。ここは紅葉シーズンとはいえ、人影はまばらでゆっくりと散策することができた。行き交ったのは、日本人よりも外国人の観光客の方が多かったのは、いかにも京都である。今回の幹事のN君は国文学を専攻して、昔から谷崎ファンだったが、その彼が知らないというので、法然院の谷崎の墓に案内した。それやこれやで、朝からの歩数は1万歩近くなり、歩き疲れて腹も減ったが、みんなカレーが食べたいというので、カレー屋を探して銀閣寺付近まで歩いて、近くで古くから営業しているという食堂がカレーも出すようなので入った。みんなはカツカレーを食べ、私はトンカツ定食を食べた。揚げたてのトンカツはまずまずだった。その店から出た時、目の前の疏水の向こうにカレー専門店の姿が目に入った。その後、また喫茶店を探して歩いた後、あまりにくたびれたので、京都駅までタクシーで行った。駅の土産物屋に寄って、そこで現地解散。N君は一人で山陰線で亀岡に戻って車で自宅まで、私は京都駅から新快速で大阪に戻った。他の二人もそれぞれ京都駅から電車でそれぞれの街に帰った。次回は来春、私が幹事役で、彦根と長浜に行く予定。もうマスクなしで行動できるといいのだが。

□今月読んだ本・見た映画

 一部で話題になっている、秦正樹「陰謀論」を読んだ。新書だが、いかにも学者らしい実証的で冷静な著述で、話題性を狙った本ではない。その分、面白みに欠けるが、そんな中で印象に残ったのは、一般には陰謀論の巣窟だと思われているTwitterが陰謀論との相関性は低いという調査結果だった。ツイッターというと、W杯の開会式があった11月20日、イーロン・マスクがTwitter社を買収してから、職員が買収前の3分の1になり、世界中で様々な憶測がされている中で、トランプ前大統領のアカウントを復活したというニュースが流れた。半ばtwitter中毒になっていた私にとっては、楽しみにそのツイートを読んでいた小田嶋隆さんの死去に続く今回の騒動で、そろそろ、twitterと手を切るチャンスなのかもしれないと思うが、怖いもの見たさという気持ちもあるし、さあ、どうしたものか。でも、よく考えて見ると、私自身、かつてはトランプをフォローして、無責任に、そのツイートを楽しんでいたのだ。自分は騙されないが、彼の嘘八百が多くの情報弱者の人々を扇動するなどと考えるのは、「陰謀論」に書かれている「第三者思考」で、それこそ愚民思想そのものだし、だからこそ、そう考えがちのリベラルは嫌われているのだ。だから、イーロン・マスクの今回の処置は間違いだとは言えない。トランプといえど永久追放は言論の自由に反する。問題発言があれば、その都度批判して訂正すればいいのだ。まあ、トランプはツイッターに戻らないと言っているが。

 11月13日に近所の「ユナイテッド・シネマ」で新海誠監督の最新作アニメ「すずめの戸締まり」を見た。期待を裏切らない傑作だった。「君の名は。」「天気の子」につづく、三部作の総決算。古代から、天変地異とともに暮らしてきた日本人の記憶の古層から汲み出したような物語が美しい映像とともに展開する。今回の作品は特に、東日本大震災の犠牲者たちへの鎮魂の意味合いが大きいが、それが変に感傷的にも偽善的にもならず、エンタテインメントとして世界共通に受け入れられる作品になっているところが、新海作品の真骨頂である。とにかく、素晴らしい映画だった。会場で「新海誠本」という、内容の充実したパンフレットが無料で配られたのは、すでにこの映画の商業的成功を確信しているからだろう。

 映画をみた後、土居伸彦「新海誠 国民的アニメ作家の誕生」を読んだ。あれだけ複数のスクリーンを使って上映していれば当然だと思うが、「すずめの戸締まり」は大ヒットしている。これからたくさん書かれるだろう、その新海誠監督に関する、たぶん初めての研究書。色々と教えられた。読んでいて思ったのは、著者は、全くそんなことは書いていないが、新海誠はアニメ界における村上春樹なんだなということだった。私自身の体験から言っても、両者とも、まだ知る人ぞ知るという段階から熱心なファンになっていて、前者は「君の名は。」で、後者は「ノルウエーの森」で、一気に国民的作家になってしまった。それ以降も、ファンであることは変わらないが、皆んなが認める前からファンだったんだよというのも気恥ずかしい。そんなことより、この両者は、中身にも共通点があるように思う。土居さんは、新海誠の世界を、神道的世界観とかアニミズムとか評している。村上春樹もまた、上田秋成を愛する、同様の世界観の持ち主である。新海誠は村上春樹の読者なのかどうか、知りたくなった。

 NASAが、久しぶりの月探索船の前哨となるアルテミス発射に成功した日、CIXIN LIU(劉慈欣)の "THE WANDERING EARTH" (地球放浪)を読了した。宇宙的大ホラ話。そのスケールが小松左京をも越えることは、中国SF史上に燦然と輝く世界的な名作「三体」3部作で立証ずみの著者の短中編集だ。地球の赤色巨星化にそなえて、巨大なノアの箱舟的な宇宙船を建造して地球を脱出するという話ならありふれているが、地球そのものを宇宙船にして太陽系からアルファケンタウリまで「放浪」させるというアイデアは、さすが、白髪三千丈の国の作家だと感心した。他にも骨太な奇想に満ちた中短編が並ぶ。著者の才能に敬服した。本来ならば、中国語の原文で読めればいいのだが、今のところは英訳で。英語で読むと、著者の国籍を忘れる。

 今月は、映画館で映画を2本も見た珍しい月だった。もう一本見た映画は、平野啓一郎原作の「ある男」。原作も素晴らしかったが、映画はほぼ原作の魅力を正確に映像作品に再現している。原作を読んでいなくても、十分に楽しめる映画になっていた。このところ韓国映画に押され気味だが、日本映画もまだまだやれる。この映画では、主人公を演じた窪田正孝が特に良かった。全くボクサーの身体になっていた。役者の凄みを感じた


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