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ペーパーバックを読む⑪

世界の賢人:ジャレド・ダイアモンドとユヴァル・ノア・ハラリ

 昨春、朝日新聞が識者アンケートで選んだ「平成の30冊」を発表して話題になった。ベスト10は、以下の通り。ちなみに、私は10冊すべて読んでいる。なんて自慢にはならないか。

1位 「1Q84」        村上春樹
2位 「わたしを離さないで」  カズオ・イシグロ
3位 「告白」         町田康
4位 「火車」         宮部みゆき
4位 「OUT」         桐野夏生
4位 「観光客の哲学」     東浩紀
7位 「銃・病原菌・鉄」    ジャレド・ダイアモンド
8位 「博士の愛した数式」   小川洋子
9位 「<民主>と<愛国>」  小熊英二
10位 「ねじまき鳥クロニクル」 村上春樹

 2作もベスト10に入った村上春樹の人気が特筆されるが、今回注目するのは、7位に入ったダイアモンド教授の「銃・病原菌・鉄」だ。この著書は、すでに現代の古典として、世界中で広く読まれている。コロナ禍が拡散する現在、ますます読まれるべき本になったと思う。このピュリッツアー賞を受賞した"GUNS,GERMS AND STEEL"は、超一級の知性による、文明史の傑作だが、タレブ流に批判すれば、捏造された偽の物語ということになるのかもしれない。でも、この理系と文系の垣根を楽々と越えた壮大な物語は、面白いことはこのうえなかった。なぜ、ヨーロッパの文明が世界を制することになったのかということの説明がこの本のテーマだが、その中で、「銃」と「鉄」の間に「病原菌」を持ってきたところが、ダイアモンド教授の非凡なところである。南北アメリカ大陸に乗り込んだヨーロッパ人が、圧倒的人口を持つ先住民を滅ぼしたのは、「銃」や「鉄」の威力だけではなく、ヨーロッパにおける永い家畜との共生から、彼らが体内に持ち込んできた「病原菌」の力だったのである。新しい病気に免疫を持たなかった先住民たちは、闘わずして滅びざるをえなかった。実に鮮やかな説明であった。

 正直にいうと、私は、ダイアモンド教授の著作を、この「銃・病原菌・鉄」を含めて、3作しか読んでいない。すべて、ペーパーバックで読んだのだが、一般向けに書かれた著作ばかりだから、学者の書いた文章ではあるが、読みやすい英語だった。以下、私が読んだ、他の2冊を紹介する。まずは、"COLLAPSE"。日本語版では「文明崩壊」となっているが、これは意図的な誤訳だろう。歴史から消滅してしまった、いくつかの文化圏や社会が話題になっているが、「文明崩壊」というほど、大げさなものではない。とはいえ、さすがにダイアモンド教授で、歴史的、地域的なケーススタディを積み重ねて、実に大きな絵を描いてみせた。ケーススタディの中には、成功例として、徳川期の日本や、20世紀のドミニカ共和国などの事例があげられていて、その視野の広さと叙述の巧みさに感心した。この本のテーマは、環境の悪化による、文化圏や社会の消滅の危機である。現在、環境と言えば、地球温暖化ばかりが注目されているが、ここでは主に、森林の消滅が社会の崩壊につながったことが、記述されている。アフリカのルワンダの例などは、その、もっとも悲惨なものであった。マルサスの呪いである。過剰な人口が森林資源を消滅させ、食糧や資材の不足が惨たらしい内戦の引きがねとなった。これは、昔の物語ではなく、現代の、我々の目の前で起こった出来事なのだ。

 グローバリズムの時代にあって、これらは、過去の話や、貧しい第三世界だけの話ではなく、先進国を含めた、人類全体に起こりうる問題である。その意味で、「文明崩壊」は誤訳ではない。そのような崩壊を避けるために、ダイアモンド教授は、このような警世の書を著したわけだが、さて、我々には何が出来るのか?以下は私の考えだが、少なくとも、環境問題を「地球温暖化」のみにおいて捉え、しかも、その環境問題を金儲けのチャンスと考えるような人間がいる限り、将来は暗いと言えるだろう。まず、我々先進国の人間が、資源浪費型の生活習慣を変えること。日本について言えば、「少子高齢化」を厄災と考えるのではなく、先進国の人口減少こそが、人類への最大の貢献であることを、高らかに宣言するべきだと思う。その意味でも、田中優子さんの「江戸学」は、日本が世界に発信すべき、貴重な情報になるだろうと思った。たぶん、賛成する人は少ないだろうけれど。ついでに書いておくと、ダイアモンド教授は、地球温暖化の方が大きな問題だから、日本は原発をあきらめるべきではないと東日本大震災の後に発言している。一部の人にとっては不都合な発言ですね。

 最後の一冊は、"UPHEAVAL"。日本語版は「危機と人類」。あえて分類すれば、「比較現代歴史学」とでも言うべき本でした。まあ、「賢者の書」としか言いようがない。この本で、ダイアモンド教授は、その生涯で深い関わりを持った国々、フィンランド、インドネシア、チリ、ドイツ、オーストラリア、日本、アメリカ をそれぞれ襲った危機に際して、それらの国々がいかに対処したかを比較して論じている。驚いたことに、日本を除いて、ダイアモンドさんは、それらの国全てに長期滞在したことがあり、言葉も習得しているのだそうだ。韓国語も知らないのに嫌韓本を出版するような下衆な人間とは出来が違う、と言うのは余計かな。日本が唯一の例外だが、どうやら奥さんの関係で日系人の親戚がいるようで、大学での教え子にも日系人が多いそうなので、この本で書かれた日本理解はとても深いものだった。だから、他の国に関する記述も信用できる。

 この本で、今までよく知らなかった事をたくさん教えてもらったが、日本人の読者としては、日本に関する記述が気になる。この本での日本関連の記述は、他国のものよりも多いくらいなのだが、明治日本へはかなり好意的な記述、第二次大戦以後、現代の日本に関する記述はかなり厳しいといったところだろうか。例えば、慰安婦問題の理解は、ほとんど韓国の主張に即したものであり、sex slave という言葉も使用している。これは、ダイアモンド博士が歴史に無知だからではなく、欧米の知識人の一般的な見方だと考えるべきだ。南京虐殺や捕鯨問題と同じように、国際的な世論において日本は既に敗北している。つまり、博士は、日本はもっと謙虚に、ドイツを見習って、近隣諸国との和解に努めるべきであり、でないと、将来、経済的にも軍事的にも優位に立った、近隣の中国や韓国から脅威にさらされることになる。それが、少子高齢化とともに、日本に今後予想される最大の危機だと警告しているのだ。重く受け止めるべき言葉だと思う。ダイアモンド博士は、本当に日本の将来を心配してくれているのだから。それなのに、この本に関する批評で、その事に言及しているものがないのは、どういうわけだろう。日本の識者たちは、誰も、まともにこの本を読んでいないのか。

 ここで、例によって、wikipedia を借りて、ジャレド・ダイアモンドの経歴を簡単に紹介しておきたい。1937年にボストンで生まれ、現在、82歳。ハーバード大で生物学、ケンブリッジ大で生理学を学んで博士になった。その後、生理学者として分子生理学の研究を続けながら、平行して進化生物学・生物地理学の研究も進め、特に鳥類に興味を持ち、ニューギニアなどでのフィールドワークを行なった。そこでニューギニアの人々との交流から人類の発展について興味を持ち、その研究の成果の一部が『銃・病原菌・鉄』として結実した。


 もう一人の賢人は、ユヴァル・ノア・ハラリ。彗星のように登場して、三冊の著書で、一気に「世界の賢人」の一人と目されるようになった人物だ。私よりもずっと若い。1976年、イスラエル生まれの44歳。ヘブライ大学で地中海史と軍事史を学び、その後オックスフォード大学で博士の学位を取得した。著書『サピエンス全史』は2011年にヘブライ語で出版された。2014年には英語版が出版され、その後30に迫る数の言語に翻訳された。

 私が"Sapiens"を読んだのは、日本語版の「サピエンス全史」が出版された後だったが、その前に、世界の識者や著名人が絶賛しているという噂を聞いていた。私がこの本を読み始めた頃に、NHKがこの本の特集番組を放送するなどしたので、書店によっては一時品切れになってしまったそうだ。日本語訳は単行本で上下二冊。私が買った英訳のペーパーバックも、ずいぶん分厚くて大判なので、持って歩くのに苦労した。しかし、英訳は読みやすい英語で書かれていて、思ったより早く読了することができた。さすがに数多くの著名人が推奨する国際的なベストセラー、とても面白くて教えられる内容だった。たぶん、この本で述べられている個々の内容は、すべてが著者の発見や独創ではないのだろうが、博覧強記の著者の勉強ぶりと、それをまとめて物語とする語り口の巧さが際だっていた。こんな人に講義をしてもらったら、どんなこともスラスラ頭に入るだろう。勉強も楽しくできる。

 この本では、人類の歴史を「認知革命」「農業革命」「人類の統一」「科学革命」の四つの章で描いている。私が一番面白かったのは、最初の「認知革命」の章だった。同じようなことを、かつて中沢新一さんが書いているのを読んだ記憶があるが、それよりも、岸田秀さんの「唯幻論」と考え方が似ているなと思った。人類が他の類人猿との競争に打ち勝ったのは、脳の拡張による「認知革命」によって、「妄想」する能力を得たからだ。その「妄想」が現世人類を集団化させた。実に面白い指摘だ。言語の発達も、集団的狩猟時の指示の必要からというよりも、集団維持のための暇つぶしの雑談のためだったという指摘も目からウロコだった。「農業革命」の章では、人類にとって「農業革命」が結果的に幸福な選択だったかどうかわからないという記述など、まるで梅原猛さんの「縄文讃歌」だななどと思いながら読んだ。この本は、理系と文系の知を総合した、まさに総合知の巨人の傑作だった。立花隆さんにこんな本を書いてほしかった。

 "Homo Deus"は、「Sapiens」の続篇と言ってもいいだろう。。前著がホモ・サピエンスの数十万年の歴史を描いたものだったのに対して、この本ではその未来を描いている。書名に明らかなように、人類はHomo Sapienceの段階から、餓えや戦争や寿命という三つの大きな難題を乗り越えて、神に近い存在、Homo Deusになろうとしているというのがハラリの予想だ。(まるで小松左京の「神への長い道」みたいですね。)でも、それで人類ははたして幸福になるのか?ハラリはそんな疑問には答えてはくれない。個人の自由や平等、博愛などという人類の理想はHomo Sapienceのものであって、神のようになった、Homo Deusのものではないからだ。Homo Deusとはどういう存在なのだろうか。ハラリがDataism と名付けた、感情よりも知性が優先される時代、グーグルのようなアルゴリズムが全能の神になって、人間の全てが数値として管理される時代、全ての仕事をAIが行うようになる未来にあって、Homo Deusとはどんな存在なのだろうか。ハラリは明確には書いていない。私は、SF作家のレムが描いた「ソラリスの海」のような存在を想像してしまった。ひょっとすると、もう、Homo Deusは生身の人間ではなくてAIなのかもしれない。ハラリも知性は有機体である必要はないと書いているから。どうやら、望ましい未来ではなさそうだ。

  "21 Lessons for the 21st Century"。は、「世界の賢人」の一人になったハラリの第三作。前二作で人類の過去と未来を描き、この本では、現在、私たちが直面している諸問題を論じている。前半は前二作の二番煎じのような感じだなと思ったが、後半になって、俄然面白くなった。さすがにハラリ。実に記述が巧みだ。難解になりがちな話題を、的確な比喩や実例を用いてわかりやすく説明してくれる。その例の中に、日本の話も何度か出てくることは、我々日本人の読者には嬉しいことだった。叡智に満ちたその文章は、これから何度も読み返すことになるかもしれない。「人間の愚かさを過小評価してはならない」なんて文章は傑作だ。行動経済学者も思わず頷く事だろう。また、この本でハラリは、かなり個人的なことも書いている。彼がゲイであり、現在「旦那さん」と同棲中であることも率直に書かれていた。そんな彼の性向や生まれ育ちが、その思想とどう関係しているのはわからないが、ハラリの根本的な立場は、岸田秀さんの「唯幻論」や養老先生の「唯脳論」に近いものだろう。だからこそ、「現代は"Post Truth"の時代だと言われるけれど、人類はそもそも初めからpost truthだったんだよ。」というような文章が書けるのだ。現実とは別の幻想、あるいは情報によって行動する能力を持ったからこそ、人類は地球の主人公になったのだということだ。人類がここまで発展できたのは、幻想である「物語」のおかげであり、いつまでも戦争やテロから逃れられない現在の人類の悲惨もまた、人類が「物語」を持っているおかげなのだ。宗教もまた物語である。ハラリはユダヤ人だが、キリスト教やユダヤ教、イスラム教の一神教に否定的で、仏教の虚無的思想にひかれ、自らも毎日瞑想を実践しているそうだ。そして、そんな瞑想の習慣がなければ、これら三冊の本を書くことはできなかったと書いている。でも、かつて流行したニューエイジの思想は評価していないようだった。私は、一時、カプラの「タオ自然学」等に夢中になりましたが。さて、次の本では、そんな、ハラリの思想についても知りたい。


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