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ペーパーバックを読む⑨

寅さん映画:エド・マクベインとディック・フランシス

 高校生の時から、もうすぐ古希になろうとする現在に至るまでに、大量のペーパーバックを読んできたが、著者別に見ると、確かめたわけではないが、エド・マクベインとディック・フランシスが最も多かったんじゃないかと思っている。人生のある期間、毎年発行される、両人の新作ペーパーバックを読むことを楽しみにしていた。かつて、多くの日本のおじさんたちが、盆と正月に「寅さん映画」を観ることを楽しみにしていたように。(私自身は、寅さん映画を全て見ているけれど、定年退職してから、DVDでまとめて見たので、上記のおじさんには当てはまらない。でも、あの50周年記念の映画は、映画館で、涙とともに見ました。)

 さて、まずは、エド・マクベイン。簡単に経歴を紹介しておくと、ニューヨーク生まれのイタリア系アメリカ人。1944年海軍入隊。太平洋戦争に従軍して日本にも滞在した。1946年、ハンター・カレッジで創作を学ぶ。エヴァン・ハンター名義の「暴力教室」で人気作家になった。1956年、エド・マクベイン名義で「87分署シリーズ」の第1作「警官嫌い」を発表。架空の都市、アイソラを舞台にした警察小説。スティーヴ・キャレラらの刑事が活躍。第10作「キングの身代金」は黒澤明監督の「天国と地獄」になった。市川崑監督の「幸福」の原作は「クララが死んでいる」。「87分署シリーズ」は全56作。「最後の旋律」が遺作になった。2005年、喉頭癌で死去。79歳。その他、ヒッチコック「鳥」の脚本も担当している。

以下に引用するのは、マクベインの死の知らせを聞いた月の「神須屋通信」。書いたのは、もちろん、私自身です。

 空梅雨ぎみの6月のあと、7月に入って急に雨が降り続いた。でも、その雨も祇園祭の巡行までにはすっかり収まり、真夏日と熱帯夜がやってきた。トータルしてみると、今年の梅雨における雨量はかなり少なかったようである。作物に影響が出なければと思う。水不足に悩む地方はないだろうか。さて、そんな7月に悲しいニュースが入ってきた。87分署シリーズの作者、エド・マクベインが亡くなったのである。78歳だった。87歳の誕生日を共に祝いたいというのが、世界中にいる87分署ファンの気持ちだったろうと思うが、僕もその一人だった。愛読者にとっては、あまりにも若すぎる死だった。もう、87分署シリーズの新作が読めないと思うととても哀しい。これからの人生の大きな楽しみの一つが消えてしまった気分だ。
 でも、ちょっと待てよ。新作はもう読めないけれど、旧作なら読める。過去のシリーズ作品の中に、未読のものが何冊もあったはずだと気が付いた。というわけで、我が家の本棚のペーパーバック・コーナーから、87分署ものを探し出してきた。過去何十年間の、僕の87分署もの読書履歴がこれで確認できる。数えてみると、全部で32冊あった。以下に列挙しよう。
●Cop Hater(1956) 警官嫌い
●The Mugger(1956) 通り魔
●The Pusher(1956) 麻薬密売人
 The Con Man(1957) ハートの刺青
 Killer's Choice(1957) 被害者の顔
 Killer's Payoff(1958) 殺しの報酬
 Killer's Wedge(1958) 殺意の楔
●Lady Killer(1958) レディ・キラー
 'Til Death(1959) 死が二人を
 King's Ransom(1959) キングの身代金
●Give the Boys a Great Big Hand(1960) 大いなる手がかり
 The Heckler(1960) 電話魔
 See Them Die(1960) 死にざまを見ろ
 Lady,Lady,I did it!(1961) クレアが死んでいる
 The Empty Hours(1962) 空白の時
 Like Love(1962) たとえば愛
 Ten Plus One(1963) 10プラス1
 Ax(1964) 斧
 He Who Hesitates(1965) 灰色のためらい
●Doll(1965) 人形とキャレラ
●Eighty Million Eyes(1966) 八千万の眼
●Fuzz(1968) 警官
 Shotgun(1969) ショットガン
 Jigsaw(1970) はめ絵
 Hail,Hail,the Gang's All Here(1971) 夜と昼
●Sadie When She Died(1972) サディーが死んだ時
●Let's Hear It for the Deaf Man(1972) 死んだ耳の男
 Hail,to the Chief(1973) われらがボス
 Bread(1974) 糧
 Blood Relatives(1975) 血の絆
 So Long As You Both Shall Live(1976) 命果てるまで
●Long Time,No See(1977) 死者の夢
●Calypso(1979) カリプソ
●Ghosts(1980) 幽霊
●Heat(1981) 熱波
●Ice(1983) 凍った町
●Lightning(1984) 稲妻
●Eight Black Horses(1985) 八頭の黒馬
●Poison(1987) 毒薬
●Tricks(1987) 魔術
●Lullaby(1989) ララバイ
●Vespers(1990) 晩課
●Widows(1991) 寡婦
●Kiss(1992) キス
●Mischief(1993) 悪戯
 And All Through the House(1994) 87分署に諸人こぞりて
●Romance(1995) ロマンス
●Nocturne(1997) ノクターン
●The Big Bad City(1999) ビッグ・バッド・シティ
●The Last Dance(1999) ラスト・ダンス
●Money,Money,Money(2001) マネー、マネー、マネー
●Fat Ollie's Book(2002
●The Frumious Bandersnatch(2004)
●Hark!(2004)
 ●印がついているのが本棚にあった本だ。こうして見ると、1977年から習慣的に87分署ものを読み始めたことがわかる。その時点で、古い既刊の作品を探して読んだのだろう。それにしても、黒沢監督の「天国と地獄」の原作になったKing's Ransomや、Ten Plus Oneは読んだつもりでいたのに、書棚にないのはどうしてだろう。いずれにしても、未読の作品がこんなにたくさんあることがわかったのは心強い。いや、これではとても87分署ファンだなどと公言できない。それに、エド・マクベインには、本名のEvan Hunter名義の小説がたくさんあるし、87分署ものの他にも、マシュー・ホープのシリーズなどもあるのだ。僕は、それらは全く読んでいないのだから、もう読む本がないなどと嘆く必要は全くないわけだ。でも、やっぱり新しい87分署ものを読みたいなあ。キャレラやクリングの今後の運命が気になる。世界の誰よりも87分署に詳しい直井明さんによると、マクベインは死後に発表する87分署の最終話を金庫にしまってあると冗談を言っていたそうだが、実際には、何も書いていなかったという。

 何か情報はないかと思って、エド・マクベイン公式ホームページ(http://www.edmcbain.com/)をのぞいたら、トップページにこんな文章が載っていた。ここに引用させていただいて、ご遺族に哀悼の意を表したいと思う。
MY BELOVED HUSBAND,
EVAN HUNTER AKA ED MCBAIN,
DIED PEACEFULLY IN MY ARMS JULY 6
SURROUNDED BY LOVED ONES
IN THE COMFORT OF OUR HOME.
PLEASE LET ME EXPRESS
MY PROFOUND GRATITUDE
TO ALL OF YOU WHO HAVE JOINED ME
AT MY TIME OF DEEPEST SORROW.
DRAGICA DINA HUNTER


次は、ディック・フランシス。Dick Francis は、1920年10月に生まれた。英国の障害競走の元騎手。ウエールズ生まれ。第二次大戦に従軍。イギリス空軍に所属。戦後、祖父も父も騎手だったので、騎手を目指したが、身長が高すぎて平地の騎手になれず、障害の騎手になる。リーディングジョッキーになるなど、スター騎手だったが、1957年に騎手を引退。引退した年に自伝「女王陛下の騎手」を発表。その後、長らく競馬記者を続けた後、1962年Dead Cert 「本命」を発表して「競馬シリーズ」スタート。以後、2000年まで、1年に1冊発表し続けた。英国推理作家協会の会長も務めている。2000年に妻で協力者だったメアリー・フランシスが死去してから空白期間があったが、2006年に、次男フェリックスを共著者として「Under Orders」(再起)で復活。2010年死去。89歳。「競馬シリーズ」は、本人の死後も、フェリックスが執筆を続けている。

以下は、2010年2月号の「神須屋通信」からの引用。

 ここで、ディック・フランシスのことに触れておきたい。「競馬シリーズ」で有名な、ディック・フランシスが、今月亡くなった。89歳だったそうである。「この優れた作家が、こんなにも競馬界に詳しいのはなぜだろう」と評されたのは、今では伝説となっている。もちろん、ディック・フランシスが、障害競馬の著名な騎手だったことを踏まえての賛辞である。
 ミステリのシリーズものが大好きな僕は、この「競馬シリーズ」の長年のファンだった。このシリーズが他の探偵や刑事もののシリーズと違うのは、シッド・ハレーなどを除いて、毎回、主人公が変わることである。だから、本来はシリーズではなく、独立した作品群なのだ。今度の作品は、どんな職業の人物が主人公だろうと、僕は毎回、楽しみにしていたが、なになに、名前や職業が変わっても、主人公は基本的にいつも同一人物だと言ってもよかった。競馬の世界となんらかの関係を持っていて、マゾヒスティックなまでに苦難に耐える、正義感に燃える魅力的な男性である。ディック・フランシスにとって、そして、世界中にいる我々ファン達にとっても、かくありたいと願う、理想的な男性像であった。ワンパターンとも言えたが、それが、ディック・フランシスの魅力だった。だからこそ、「競馬シリーズ」と呼ばれたのだろう。
 ネットで調べてみると、この「競馬シリーズ」は、晩年の息子との共作作品を含めて、42冊あったらしい。そのほとんど全てを菊池光という人が翻訳したようだが、例によって、僕はペーパーバックでしか読んでいないので、それが、どんな日本語か知らない。でも、名訳として有名だった。「大穴」「血統」等、書名はいずれも漢字で2文字である。僕は毎回、小説の原題が、どんな書名になるのか、楽しみにしていた。うまく訳すものだと感心することが多かった。
 数えてみると、このシリーズの中で、僕が読んだのは33冊だった。未読の作品が、あと9冊あるということだ。それにしても、よく読んだものである。僕にとっては、「87分署」シリーズと並ぶ、定番のお楽しみだった。もう新作は読めない。でも、僕の人生の半分くらいの長い間、十分楽しませてくれた。ディック・フランシスよ、有難う。そして、お疲れさま。合掌。

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