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【舞台】minimumanti第10回公演「真世の光教」【感想】

11月29日(金)12月1日(日)と、真田林佳天使の出演する舞台minimumanti第10回公演「真世の光教(しんせのひかりきょう)」を観に下北沢にある「小劇場 楽園」へ。

緻密なプロダクションと役者のパフォーマンスが高いレベルで融合・昇華された作品で、その完成度に驚いた。

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「真世の光教(しんせのひかりきょう)」という新興宗教団体における“マザー”と呼ばれる教祖・光(ひかり)と、その跡取りである“ある力を持った”息子・救(すくう)を中心とした殺人劇をめぐる物語で、時系列に仕掛けがあり、配役・セリフ・小道具etc…など沢山の伏線が埋め込まれているので、観察眼を必要とするのだけど、お話そのものはわかりやすいように思った。


1968年に制作された「ローズマリーの赤ちゃん」というミア・ファロー主演の映画をご存知だろうか?

とあるアパート内で悪魔崇拝者たちに囲われ、騙され、悪魔の子供を宿されてしまう、という内容なのだが、一見親切そうに見える人達が実はこの世離れた異常さに支配された人達である、という部分がとても恐ろしく、それと同種の“得も言われぬ怖さ・気味悪さ”がこの「真世の光教」の劇中の雰囲気を終始支配していた。


「オーメン」などもそうなのだが、知らず知らずのうちに周囲に“異常な何か”が紛れ込んできてるっていうのは、言い知れぬ怖さがある。

まぁ異常な側から見れば正常なほうが異常だろうし、見方を変えれば何が正しいかなんてわからないのだけど、この「真世の光教」という作品では、“視点を変えると違う景色が見える”という部分で、あらゆる方向から思考を張り巡らせているという印象を受けた。


役者さんは皆さんとても巧く、「この人はこの役で間違いない」、というキャスト・マッチングが絶妙

光役の馬渡直子さんは、その存在感・インパクトが圧倒的で、”この世ならぬ”ムードに威厳が伴っていた。過去と現在で小川麻里奈さんと役を分け合っているのだが、雰囲気が近く、お2人とも違和感がなくリンク出来た。

杉山麻衣さんは伊織・孝子の二役なのだが、硬軟の使い分けが上手く、特に信者、孝子のガラっと変わる表情が印象深かった。

救役の藤堂五作さんはご本人の持つ親しみやすさが、癒しの超能力を使う“善”としての雰囲気を観る者に与えていて、文字通り”癒し”となっていた。(とりあえずメガネに指紋が沢山付かないか観てて心配だった笑)


さて、真田林佳天使の演じた役は“うつわ”(=メアリー)と呼ばれる信者の一人であり、マザーの側近。

悲しいとか嬉しいとか怒りとか、そういう感情が全く見えない(見せない?)、ある種ロボットのような人間ではあるのだが、“情緒”の部分が振り切れており、次の瞬間には何をしだすか見当もつかない、“対人的な怖さ”を持ったキャラクターだった。

マザーは、この“うつわ”を次の主宰となる息子・救に嫁としてあてがう。普通、こういう人に迫られれば、抵抗・敬遠しそうなものだけど、うつわはどこか“魅力的”であり、次代教祖である彼もその魅力に取り込まれてしまう。


この“うつわ”というキャラクターを天使は、試行錯誤の末に独自に解釈し、取り込むことに成功していた。いや、取り込むというよりは、自分の内側にあるものと“うつわ”をリンクさせてアウトプットすることに成功したのだと思う。

だからだと思うけど、「演じている」というより「同化している」ように見え、キャラクターに命が宿っているように感じた。

お世辞ではなく、本格的な役者への一歩を踏み出した瞬間に居合わせたような気がして、なんだか嬉しかったし、「すごいなぁ」と思った。


ちなみに私は1回目の観劇時は一番後ろの上のほう、2回目は最前列で観たのだけど、どちらも良さはあって、遠くからだと、全体を客観的に見れるし、近くは表情がよく見えるし、役者さんの熱量が伝わってくる、ということ。まぁこれはどんなライブでも同じだけど。


目の動き、表情、身振り、手振りなどなど、人間の動きというのは感情と直結しているから、大抵は何かを反映している。

普段我々はそれを自然にやっているわけだけど、役者さんというのは、それを意識的にクリエイトしなければならないわけで、そのためには、自分の演じる役どころを独自に解釈しなければならないし、ひとりよがりではなく、観客にわかるように、そして見え方、角度、立ち位置まで考える必要がある。

そういう計算・工夫が、近くだとハッキリとわかるので、とても参考になった。


あと面白かったのはアニメのOPテーマ的なものを実写で再現していたところ。アニメのOPって大体物語中に起きる事件や人間関係を簡潔にイメージで流していくのだけど、 それが舞台上で表現されていたのが興味深かった。曲もとても良く出来ている。


救が光を殺すシーンで、うつわは信者であり側近であるのにそれを止めなかったのを見て、うつわは救の子を宿している→新しいマザーとなる(それが目的だった)→救の子であるなら何かしらの力を持っている→新章へ…
という流れを余韻で残してるのかとも思ったので、終演後天使様に話したけど、それは観る人の自由な解釈でいいんじゃないか、ということだった。


とにかく作り込まれているので、各キャラクターを主役にしたスピンオフ企画、シリーズ化も可能な、まさしくうつわ=器の大きい作品と言えるだろう。モノ創り、そしてそれを展開させる手法など、非常に勉強になった。観れて良かった。

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