人生の中で唯一好きな大人に出会えたことを振り返る
「海外に行けば何かが変わる」というその考えを安易だが私は悪いとは思わない。人生の中で唯一恩師であると思える人が高校2年のときの担任である。先生だけは私の周りの数少ない「海外にいっぱいいけ!」と言ってくれる大人だった。ちなみに一人目は叔父さん、二人目は高校時代のバイト先の女将さん、三人目が担任の先生。
先生は私の「将来はなにか文章とか作品とかまだわからないけど何か作りたいんだ」って思いだったり、学校をサボって家で洋服を作ってネットで販売していたことや、ひとりで東京に行ったりしていたことをおもしろがって聞いていたし、私の親の考えが古いことで色々と苦しんでいたことも知っていた。
私の通っていた高校は先生は100人程在籍していて、その先生のことを2年でクラス替えをしたときに初めて存在を知った。初めて先生と話したのは新学期2日目の生徒指導室だった。私が化粧をしたり髪を巻いたりしていたことが原因だった。生徒指導室に話したこともない担任が入ってきて第一声目に「これからどうする?」と言われた。それに対して「どうするもなにもやめません。」と答えたらそれまでだったら反省してもうやりませんと約束させられるまで帰してもらえなかったのに「そんなの当たり前じゃん、あいつらからどう逃げるかってことだよ」と言われた。その時は味方のフリしてるだけじゃないの?と思っていたし、実際にそうだったのかもしれないけど唯一否定しない人に出会えたことが私の高校生活での意味であると思っている。
先生は元々教師ではなく研究者になりたかった人だからか、好きなものをとことん好きなことも、色々なことに挑戦することも応援してくれる人だった。大人でありながら大人過ぎない、人から見たら無責任なのかもしれないが私はそんな先生に救われていたし、唯一期待を裏切りたくないから普通になりたくないというエネルギーの源になっている。
中高時代は父とは別居していたし、実際私が何が好きなのか、家の外ではどのような人間に見られているのか、何を考えているのかとかを一番理解していなかったように思う。我が家では進路も習い事も何もかも父親には最終的な決定権があって(しかも私が説得したところで覆ることは絶対に無いし、ネットで得たネガティブな情報を一番に信じている)どんなことでも否定されて、特別になんてなれないんだから、いつまでも夢見てないで現実見ろと言われて、私が自分のことを過大評価しすぎていただけなのだろうかともよく思わされた。
まあ自分のことを肯定してくれる存在だから先生に懐いていただけなのかもしれない。それでも私が自分のことをこういう人間だって思ってることを先生は分かっていて応援してくれていた。高校生活の中で個性だとか考えていることが抑圧される環境の中で生活していて、私は本当にそれが息苦しくて学校を休みがちだったし、他の先生方と言い合いも当たり前だったし、言うこと聞けないなら学校を辞めるしかないと言われて退学しますって言わそうとされたりそんな中で、繰り返す反抗は怒られたいからとかそんなことなんかじゃなくて自分らしく生きる最低限のことだって分かって何も言わずにすべてを受け入れて守ってくれた先生がいたからこそ生きることが出来たと本当に思う。というか中高生の頃の無駄な校則の縛りってものはなんだったのだろうか。
たまに自分がつまらない人生になりそうだって思ったときに先生のことを思い出すと先生のためにって思って踏ん張れそうになるときがある。私はなにをするのが正解なんだろうね、あのとき私に先生はどうしろって言ってたっけ、はあ。
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