名月を広沢或いは大沢の池に映し眺めるという計画だけは、我ながらなんとも雅なものであったが、物事そう上手く行くはずなく。実際は電線の網に絡まる、いつもより割かし大きな円形を捉えるくらいが関の山であった一一
先日、セリ・ポエティク『アンドレ・ブルトン』の冒頭より三部を占める、ジャン=ルイ・ベドゥアンの評論部を読み終える。身が火照るような読感は、春先に触れた坂口安吾『FARCEに就て』と似通うところがある。
シュルレアリスム、もう一度概論でもなんでも読んでみなければ。学生時代に美術史で自動記述の課題があって。その文面のぎこちなさは覚えている。そして安吾も上記の『日本文化一』以来開いていないことを思い出した。
さてさて、仲秋を跨ぎまして今日からは〈ニュイ・ブランシュ KYOTO〉が。ふたつみっつは回ってみたいもの。久しぶりに持ち出した『分析美学入門』より。
ああ、忘れておった。最後に、昨日の日経文化欄で見掛けた山川秀峰の《安倍野》が素敵じゃったから。鏑木清方の門下というのは、金沢で観に行った川瀬巴水とも重なる。
気分はすっかり秋一一 といいつつも、膝上のパンツを穿いているのである。